26日木曜日、舞台友Nより招待チケットがあるから行こうってことで歌舞伎座へ。
演目は
通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
楽日前日、夜の部である。
3月は通しで昼の部、夜の部菅原伝授
夜の部はここから↓
四幕目 車引(くるまびき)
梅王丸 愛之助
松王丸 染五郎
桜丸 菊之助
杉王丸 萬太郎
藤原時平公 彌十郎
五幕目 賀の祝(がのいわい)
桜丸 菊之助
松王丸 染五郎
梅王丸 愛之助
春 新 悟
八重 梅 枝
千代 孝太郎
白太夫 左團次
六幕目 寺子屋(てらこや)
寺入りよりいろは送りまで
松王丸 染五郎
武部源蔵 松 緑
戸浪 壱太郎
涎くり与太郎 廣太郎
菅秀才 左 近
下男三助 錦 吾
春藤玄蕃 亀 鶴
園生の前 高麗蔵
千代 孝太郎
(車曳〈くるまびき〉の段)菅丞相は流罪となり、斎世親王は法皇のもとに預けられたことで梅王丸と桜丸は主を失い、いまは浪人の身の上である。ある日ふたりは往来でばったりと出会い、親王や姫のこと、また流罪となった菅丞相の身の上などについて涙しつつ語り合うのだった。そこへ雑色が先払いに、左大臣時平公が吉田神社へ参詣するために道を通る、片寄れと厳つい声で言い捨て去って行く。これを聞いた梅王と桜丸はいまこそ時平に返報と、やってきた時平の牛車を襲う。だが時平付きの牛飼いである松王丸が二人を阻む。互いに牛車をやるやらぬと曳き合ううちに牛車は大破し、中から金冠白衣の時平が姿を見せた。梅王と桜丸は時平に襲いかかろうとするが、「ヤア時平に向い推参なり」とくわっと睨んだその眼力にふたりは動けなくなる。結局梅王、松王、桜丸の三人は、来月行われる親四郎九郎の賀の祝での再会を期して別れる。
(茶筅酒〈ちゃせんざけ〉の段)四郎九郎の隠居所には菅丞相の御愛樹とて梅、松、桜の木があった。四郎九郎は七十の賀を機に、名を白太夫と改めた。そこに近所の百姓十作がきて白太夫と話をしている。今日は白太夫の七十の賀の祝いに、三つ子とその妻達が集まることになっており、十作の家もその祝いの相伴に茶筅で酒塩を付けた餅を貰ったなどと話すうち、桜丸の女房八重が来たので十作は帰っていった。やがて梅王丸の女房お春と、松王丸の女房千代も訪れ、道で摘んだタンポポや嫁菜も使っての祝いの料理を、八重もいっしょになって作るのだった。
だが白太夫は、十作から梅王、松王、桜丸の三人が吉田社で喧嘩沙汰を起こしたこと(車曳)を聞いていた。そのことを嫁たちに問うが、春も千代も八重もどう答えたものかと困惑するばかりである。祝いの膳も出来たのに、その三人の息子たちはまだ見えない。ならば自分は氏神様にお参りに行こうと、白太夫は出かけていった。
(喧嘩の段)やがて松王丸が、そのあと少し遅れて梅王丸がやってきた。しかし菅丞相にとっては敵の時平に仕えている松王丸と、それが面白くない梅王丸は女房たちが止めるのも聞かず取っ組みあいとなり、そのはずみで庭の菅丞相遺愛の桜の木を折ってしまう。
そこへ白太夫が戻る。梅王と松王は桜の木を折ったことを叱られると思ったが、桜が折れているのを見たはずの白太夫はなぜか何もいわなかった。梅王丸は白太夫に、九州に下って菅丞相にお仕えしたいという。しかし白太夫は、まずは行方の知れぬ御台様や菅秀才様たちをお尋ねしろ、丞相様の所には自分が行くといって許さない。松王は、親白太夫から勘当を受けたいと願い出る。親兄弟とは縁を切って、時平に忠義を尽くすというので白太夫は怒り、その願い聞き届けてやるから出て行け、梅王も出て行けと、八重を残してみな追い出されてしまった。梅王と松王それぞれの夫婦は致し方なく帰る。
(桜丸切腹の段)白太夫も奥に引っ込んでしまい、ひとり残された八重が落ち着かぬ気持でいると、桜丸が刀を片手に納戸より現われた。八重はびっくりしてなぜ今まで出てこなかったのかと桜丸に問う。だがそこへさらに、白太夫が腹を切る刀を三宝に載せ、桜丸の前に据えた。桜丸は切腹するのである。この様子に八重はまたびっくりし、なぜ死なねばならぬのかとその訳を涙ながらに尋ねた。
桜丸は語る。自分たち兄弟が厚く目をかけられ、可愛がってもらった菅丞相は、自分が斎世親王と苅屋姫との恋を取り持ったばかりに謀叛の汚名を着せられ、遠い筑紫へと流罪になってしまった。この事件の責任をとるべく自害を決意し、じつは今朝早々にこの隠居所を尋ね、親白太夫に自害の覚悟を伝えていたというのである。それで白太夫もいままで桜丸を納戸に隠し置き、また梅王松王が桜の木を折ったのを咎めなかったのも、桜丸はもはや自害するより道はないという先触れであると見たからであった。息子に先立たれる白太夫の悲哀。
やがて桜丸は腹に刀を突っ込み、自害して果てた。八重は夫のあとを追おうと、桜丸が使った刀を取って自害しようとするが、そこへ帰ったはずの梅王丸とお春が出てきて八重をとめる。ふたりは桜丸がいつまでたっても来ないことや、丞相愛樹の桜が折れたことを白太夫が咎めなかったのを不審に思い、今まで近くに潜んで様子を伺っていたのである。梅王夫婦も桜丸の死を嘆く。白太夫は梅王たちにあとのことを任せ、桜丸を失った悲しみをこらえつつも九州の配所にいる菅丞相のもとへと、すぐに旅立つのであった
(寺入りの段)京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋では今日も近在から百姓の子供たちが集まり手習いをしているが、源蔵は村の集まりがあって留守にしていた。そんな中で姿をやつした菅秀才が、これもほかの子供とともに机を並べて手習いをしており、よい歳をしてへのへのもへじなど書いている十五のよだれくりを嗜めたりしている。そこへ、同じ村に暮らしているという女が子供を連れ、下男に机や煮染めの入った重箱などの荷を担がせて訪れる。戸浪が出てきて応対する。聞けばこの寺子屋に寺入り(入門)させたいとわが子を連れてきたという。子供は名を小太郎といった。戸浪は小太郎を預かることにし、母親は後を頼み隣村まで行くといって下男とともに出ていった。
(寺子屋の段)源蔵が帰ってきた。だがその顔色は青ざめている。ところが戸浪が小太郎を紹介すると、その育ちのよさそうな顔を見て機嫌を直した。戸浪は子供たちを奥へやり遠ざけ、源蔵になにかあったのかと尋ねると、ついに菅秀才捜索の手が源蔵のもとへ迫ってきたのだという。村の集まりというのは嘘で、行った先で待ち構えていたのは時平の家来春藤玄蕃と事情を知り尽くした松王丸であった。この村はすでに大勢の手の者が囲んでいる、この上は菅秀才の首を討って渡せと言い渡され、帰って来たのだった。
もはや絶体絶命かと思われたが、しかし源蔵は小太郎の顔を見て、これを菅秀才の身替りにしようと考えたのである。もしこれが偽首と露見したらその場で松王はじめ手の者を斬って捨て切り抜けよう、それでもだめなら菅秀才とともに自害して果てようとの覚悟である。しかし今日寺入りしたばかりの子を、いかに菅秀才の身替りとはいえ命を奪わなければならぬとは…戸浪はもとより源蔵も「せまじきものは宮仕え」とともに涙に暮れるのであった。
やがて菅秀才の首を受け取りに、春藤玄蕃と松王丸が来た。松王丸は病がちながら、菅秀才の顔を知っているので首実検のためについてきている。村の子供たちをすべて帰したあと、いよいよ菅秀才の首を討つ段となり、源蔵は首桶を渡された。源蔵は奥で小太郎の首を討ち、それを首桶に入れて出てきて松王丸の前に差し出す。張り詰めた空気の中、松王丸は首を実検した。ためつすがめつ、首を見る松王丸。
「ムウコリャ菅秀才の首討ったわ。紛いなし相違なし。」
松王丸は玄蕃にそう告げた。玄蕃はそれに満足して首を収め、時平公のところへ届けようと手下ともども立ち去る。松王丸は病を理由に、玄蕃とは別れて帰ってゆく。あとに残った源蔵と戸浪はひとまず安堵した。だが今度は小太郎の母親が、小太郎を迎えにやってきたのである。
致し方ないと源蔵は、隙を見て母親に斬りかかった。しかし源蔵は思いもよらぬ言葉を聞く。源蔵の刀をかわした母親は涙ながらに言った、「菅秀才のお身代り、お役に立ってくださったか」と。
そこに松王丸も現われる。小太郎とはじつは松王の実子、その母親とは松王の女房千代だったのである。松王丸はじつは菅丞相に心を寄せ、牛飼いとして仕えながらもそれに仇なす時平とは縁を切りたいと思っていた。そして菅秀才の身替りとするため、あらかじめ小太郎をこの寺子屋に遣わしていたのだった。松王丸はなおも嘆く千代を叱るが、源蔵夫婦と菅秀才は小太郎のことに涙する。松王丸が駕籠を招き寄せると、中から菅丞相の御台所が現われ菅秀才と再会する。以前北嵯峨で御台を助け連れ去った山伏とは、松王丸であった。
松王夫婦が上着を脱ぐと葬礼の白装束となり、御台が乗ってきた駕籠に首のない小太郎のなきがらを乗せ、野辺の送りをする。悲しみの中、皆は小太郎の霊を弔う。御台所と菅秀才は河内の覚寿のもとへ、松王夫婦は埋葬地の鳥辺野へとそれぞれ別れてゆく。
緑文字 wikipediaより
車曳は今まで一幕だけのものも含め、何度か観たが、筋に関係なく衣装や隈取、せりふ回しなど、歌舞伎らしい歌舞伎の様式美を感じられるものだと思う。
その度に どうして三兄弟が敵味方でどうなってるんだっけ?と、この複雑で長い話に悩むことにはなるのだけれど・・・
そして今回、次の幕のの「賀の祝い」が終わったところで、ワタシとNが異口同音に言った言葉・・・
「勝手な話だよ」
「ホントホント、なんであそこで桜丸が切腹しなきゃなんないのよね」
「自己満足もいいとこだよね、奥さんも気の毒だよ」
「切腹したって 誰も得しないし、誰も幸せにならないじゃんね」
「そうだよ、それにあのジジイ(白大夫)が大宰府行って管丞相にお仕えするなんて 行っても役にたつと思ってんのかね。」
「自分が介護されて終わりだよ」
と散々であった。
そして もっと私たちの舌鋒が鋭くなったのは、寺子屋の段のあと
「何度見ても嫌な話だよね」
ホントに子供が犠牲になる話 先代萩の御殿の場もそうだけど、自分の子を殺して(見殺しにして)主上のためとする、それを忠義とするってメンタリティはたとえ時代が違うと言ってもわからない。
この話でも主上の子の身代わりに、預かったばかりの上品な子供の首を切って殺しておいて、ねんごろに弔ってくれと首なし死体を渡す寺子屋夫婦、それを受け取り、よくやったという忠義の松王夫婦。
まったく胸糞悪い話である。
とは言っても、これだけ 嫌な話、胸糞悪い話というインパクトを受けて、それなりに集中できるってのは舞台を見る醍醐味ではある。あとに何も残らないものもあるから。
今回はこのチケット。ちょっと舞台からは遠かったが、舞台全体を見るのは二階もいいかも。いんただ、この回、空席がめだって二階も七分の入りであった。
確かにこの話年配年配の歌舞伎好きな人は見るの嫌って人もいるだろうし、ワカモノには受けなそうだし・・・
あとはここの所のスター役者さんの相次ぐ訃報。今回染五郎、菊之助や愛之助さんなど若手もがんばってはいたものの、やっぱり勘三郎さんや団十郎さんの居たころの重々しさや華やかさと比べると物足りないのは確かである。
その中で印象に残ったのは菊之助の綺麗さ、切腹する時の隈取も落として白塗りで静かにうつむいたところがお母さんにそっくり。
そういえば遠い日(ワタシの大学時代)二度目に観た歌舞伎が三人吉三でお父さんがお嬢吉三役で、その美しさにびっくりしたのも思い出した。
それと反対に松王丸夫妻、染五郎と孝太郎さんはとても夫婦には見えず、母子であった(失礼)
それにてもしチケット高すぎるよなあ・・S席18000円ってのは自腹じゃ辛い。
演目は
通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
楽日前日、夜の部である。
3月は通しで昼の部、夜の部菅原伝授
夜の部はここから↓
四幕目 車引(くるまびき)
梅王丸 愛之助
松王丸 染五郎
桜丸 菊之助
杉王丸 萬太郎
藤原時平公 彌十郎
五幕目 賀の祝(がのいわい)
桜丸 菊之助
松王丸 染五郎
梅王丸 愛之助
春 新 悟
八重 梅 枝
千代 孝太郎
白太夫 左團次
六幕目 寺子屋(てらこや)
寺入りよりいろは送りまで
松王丸 染五郎
武部源蔵 松 緑
戸浪 壱太郎
涎くり与太郎 廣太郎
菅秀才 左 近
下男三助 錦 吾
春藤玄蕃 亀 鶴
園生の前 高麗蔵
千代 孝太郎
(車曳〈くるまびき〉の段)菅丞相は流罪となり、斎世親王は法皇のもとに預けられたことで梅王丸と桜丸は主を失い、いまは浪人の身の上である。ある日ふたりは往来でばったりと出会い、親王や姫のこと、また流罪となった菅丞相の身の上などについて涙しつつ語り合うのだった。そこへ雑色が先払いに、左大臣時平公が吉田神社へ参詣するために道を通る、片寄れと厳つい声で言い捨て去って行く。これを聞いた梅王と桜丸はいまこそ時平に返報と、やってきた時平の牛車を襲う。だが時平付きの牛飼いである松王丸が二人を阻む。互いに牛車をやるやらぬと曳き合ううちに牛車は大破し、中から金冠白衣の時平が姿を見せた。梅王と桜丸は時平に襲いかかろうとするが、「ヤア時平に向い推参なり」とくわっと睨んだその眼力にふたりは動けなくなる。結局梅王、松王、桜丸の三人は、来月行われる親四郎九郎の賀の祝での再会を期して別れる。
(茶筅酒〈ちゃせんざけ〉の段)四郎九郎の隠居所には菅丞相の御愛樹とて梅、松、桜の木があった。四郎九郎は七十の賀を機に、名を白太夫と改めた。そこに近所の百姓十作がきて白太夫と話をしている。今日は白太夫の七十の賀の祝いに、三つ子とその妻達が集まることになっており、十作の家もその祝いの相伴に茶筅で酒塩を付けた餅を貰ったなどと話すうち、桜丸の女房八重が来たので十作は帰っていった。やがて梅王丸の女房お春と、松王丸の女房千代も訪れ、道で摘んだタンポポや嫁菜も使っての祝いの料理を、八重もいっしょになって作るのだった。
だが白太夫は、十作から梅王、松王、桜丸の三人が吉田社で喧嘩沙汰を起こしたこと(車曳)を聞いていた。そのことを嫁たちに問うが、春も千代も八重もどう答えたものかと困惑するばかりである。祝いの膳も出来たのに、その三人の息子たちはまだ見えない。ならば自分は氏神様にお参りに行こうと、白太夫は出かけていった。
(喧嘩の段)やがて松王丸が、そのあと少し遅れて梅王丸がやってきた。しかし菅丞相にとっては敵の時平に仕えている松王丸と、それが面白くない梅王丸は女房たちが止めるのも聞かず取っ組みあいとなり、そのはずみで庭の菅丞相遺愛の桜の木を折ってしまう。
そこへ白太夫が戻る。梅王と松王は桜の木を折ったことを叱られると思ったが、桜が折れているのを見たはずの白太夫はなぜか何もいわなかった。梅王丸は白太夫に、九州に下って菅丞相にお仕えしたいという。しかし白太夫は、まずは行方の知れぬ御台様や菅秀才様たちをお尋ねしろ、丞相様の所には自分が行くといって許さない。松王は、親白太夫から勘当を受けたいと願い出る。親兄弟とは縁を切って、時平に忠義を尽くすというので白太夫は怒り、その願い聞き届けてやるから出て行け、梅王も出て行けと、八重を残してみな追い出されてしまった。梅王と松王それぞれの夫婦は致し方なく帰る。
(桜丸切腹の段)白太夫も奥に引っ込んでしまい、ひとり残された八重が落ち着かぬ気持でいると、桜丸が刀を片手に納戸より現われた。八重はびっくりしてなぜ今まで出てこなかったのかと桜丸に問う。だがそこへさらに、白太夫が腹を切る刀を三宝に載せ、桜丸の前に据えた。桜丸は切腹するのである。この様子に八重はまたびっくりし、なぜ死なねばならぬのかとその訳を涙ながらに尋ねた。
桜丸は語る。自分たち兄弟が厚く目をかけられ、可愛がってもらった菅丞相は、自分が斎世親王と苅屋姫との恋を取り持ったばかりに謀叛の汚名を着せられ、遠い筑紫へと流罪になってしまった。この事件の責任をとるべく自害を決意し、じつは今朝早々にこの隠居所を尋ね、親白太夫に自害の覚悟を伝えていたというのである。それで白太夫もいままで桜丸を納戸に隠し置き、また梅王松王が桜の木を折ったのを咎めなかったのも、桜丸はもはや自害するより道はないという先触れであると見たからであった。息子に先立たれる白太夫の悲哀。
やがて桜丸は腹に刀を突っ込み、自害して果てた。八重は夫のあとを追おうと、桜丸が使った刀を取って自害しようとするが、そこへ帰ったはずの梅王丸とお春が出てきて八重をとめる。ふたりは桜丸がいつまでたっても来ないことや、丞相愛樹の桜が折れたことを白太夫が咎めなかったのを不審に思い、今まで近くに潜んで様子を伺っていたのである。梅王夫婦も桜丸の死を嘆く。白太夫は梅王たちにあとのことを任せ、桜丸を失った悲しみをこらえつつも九州の配所にいる菅丞相のもとへと、すぐに旅立つのであった
(寺入りの段)京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋では今日も近在から百姓の子供たちが集まり手習いをしているが、源蔵は村の集まりがあって留守にしていた。そんな中で姿をやつした菅秀才が、これもほかの子供とともに机を並べて手習いをしており、よい歳をしてへのへのもへじなど書いている十五のよだれくりを嗜めたりしている。そこへ、同じ村に暮らしているという女が子供を連れ、下男に机や煮染めの入った重箱などの荷を担がせて訪れる。戸浪が出てきて応対する。聞けばこの寺子屋に寺入り(入門)させたいとわが子を連れてきたという。子供は名を小太郎といった。戸浪は小太郎を預かることにし、母親は後を頼み隣村まで行くといって下男とともに出ていった。
(寺子屋の段)源蔵が帰ってきた。だがその顔色は青ざめている。ところが戸浪が小太郎を紹介すると、その育ちのよさそうな顔を見て機嫌を直した。戸浪は子供たちを奥へやり遠ざけ、源蔵になにかあったのかと尋ねると、ついに菅秀才捜索の手が源蔵のもとへ迫ってきたのだという。村の集まりというのは嘘で、行った先で待ち構えていたのは時平の家来春藤玄蕃と事情を知り尽くした松王丸であった。この村はすでに大勢の手の者が囲んでいる、この上は菅秀才の首を討って渡せと言い渡され、帰って来たのだった。
もはや絶体絶命かと思われたが、しかし源蔵は小太郎の顔を見て、これを菅秀才の身替りにしようと考えたのである。もしこれが偽首と露見したらその場で松王はじめ手の者を斬って捨て切り抜けよう、それでもだめなら菅秀才とともに自害して果てようとの覚悟である。しかし今日寺入りしたばかりの子を、いかに菅秀才の身替りとはいえ命を奪わなければならぬとは…戸浪はもとより源蔵も「せまじきものは宮仕え」とともに涙に暮れるのであった。
やがて菅秀才の首を受け取りに、春藤玄蕃と松王丸が来た。松王丸は病がちながら、菅秀才の顔を知っているので首実検のためについてきている。村の子供たちをすべて帰したあと、いよいよ菅秀才の首を討つ段となり、源蔵は首桶を渡された。源蔵は奥で小太郎の首を討ち、それを首桶に入れて出てきて松王丸の前に差し出す。張り詰めた空気の中、松王丸は首を実検した。ためつすがめつ、首を見る松王丸。
「ムウコリャ菅秀才の首討ったわ。紛いなし相違なし。」
松王丸は玄蕃にそう告げた。玄蕃はそれに満足して首を収め、時平公のところへ届けようと手下ともども立ち去る。松王丸は病を理由に、玄蕃とは別れて帰ってゆく。あとに残った源蔵と戸浪はひとまず安堵した。だが今度は小太郎の母親が、小太郎を迎えにやってきたのである。
致し方ないと源蔵は、隙を見て母親に斬りかかった。しかし源蔵は思いもよらぬ言葉を聞く。源蔵の刀をかわした母親は涙ながらに言った、「菅秀才のお身代り、お役に立ってくださったか」と。
そこに松王丸も現われる。小太郎とはじつは松王の実子、その母親とは松王の女房千代だったのである。松王丸はじつは菅丞相に心を寄せ、牛飼いとして仕えながらもそれに仇なす時平とは縁を切りたいと思っていた。そして菅秀才の身替りとするため、あらかじめ小太郎をこの寺子屋に遣わしていたのだった。松王丸はなおも嘆く千代を叱るが、源蔵夫婦と菅秀才は小太郎のことに涙する。松王丸が駕籠を招き寄せると、中から菅丞相の御台所が現われ菅秀才と再会する。以前北嵯峨で御台を助け連れ去った山伏とは、松王丸であった。
松王夫婦が上着を脱ぐと葬礼の白装束となり、御台が乗ってきた駕籠に首のない小太郎のなきがらを乗せ、野辺の送りをする。悲しみの中、皆は小太郎の霊を弔う。御台所と菅秀才は河内の覚寿のもとへ、松王夫婦は埋葬地の鳥辺野へとそれぞれ別れてゆく。
緑文字 wikipediaより
車曳は今まで一幕だけのものも含め、何度か観たが、筋に関係なく衣装や隈取、せりふ回しなど、歌舞伎らしい歌舞伎の様式美を感じられるものだと思う。
その度に どうして三兄弟が敵味方でどうなってるんだっけ?と、この複雑で長い話に悩むことにはなるのだけれど・・・
そして今回、次の幕のの「賀の祝い」が終わったところで、ワタシとNが異口同音に言った言葉・・・
「勝手な話だよ」
「ホントホント、なんであそこで桜丸が切腹しなきゃなんないのよね」
「自己満足もいいとこだよね、奥さんも気の毒だよ」
「切腹したって 誰も得しないし、誰も幸せにならないじゃんね」
「そうだよ、それにあのジジイ(白大夫)が大宰府行って管丞相にお仕えするなんて 行っても役にたつと思ってんのかね。」
「自分が介護されて終わりだよ」
と散々であった。
そして もっと私たちの舌鋒が鋭くなったのは、寺子屋の段のあと
「何度見ても嫌な話だよね」
ホントに子供が犠牲になる話 先代萩の御殿の場もそうだけど、自分の子を殺して(見殺しにして)主上のためとする、それを忠義とするってメンタリティはたとえ時代が違うと言ってもわからない。
この話でも主上の子の身代わりに、預かったばかりの上品な子供の首を切って殺しておいて、ねんごろに弔ってくれと首なし死体を渡す寺子屋夫婦、それを受け取り、よくやったという忠義の松王夫婦。
まったく胸糞悪い話である。
とは言っても、これだけ 嫌な話、胸糞悪い話というインパクトを受けて、それなりに集中できるってのは舞台を見る醍醐味ではある。あとに何も残らないものもあるから。
今回はこのチケット。ちょっと舞台からは遠かったが、舞台全体を見るのは二階もいいかも。いんただ、この回、空席がめだって二階も七分の入りであった。
確かにこの話年配年配の歌舞伎好きな人は見るの嫌って人もいるだろうし、ワカモノには受けなそうだし・・・
あとはここの所のスター役者さんの相次ぐ訃報。今回染五郎、菊之助や愛之助さんなど若手もがんばってはいたものの、やっぱり勘三郎さんや団十郎さんの居たころの重々しさや華やかさと比べると物足りないのは確かである。
その中で印象に残ったのは菊之助の綺麗さ、切腹する時の隈取も落として白塗りで静かにうつむいたところがお母さんにそっくり。
そういえば遠い日(ワタシの大学時代)二度目に観た歌舞伎が三人吉三でお父さんがお嬢吉三役で、その美しさにびっくりしたのも思い出した。
それと反対に松王丸夫妻、染五郎と孝太郎さんはとても夫婦には見えず、母子であった(失礼)
それにてもしチケット高すぎるよなあ・・S席18000円ってのは自腹じゃ辛い。