日曜日の朝、オットとどこへ行くか揉めた。
私はもうすぐ公開が終わる映画に行きたく、オットは暑いので車でどこかに行きたかったと・・・
まあ映画はウイークデイに一人で行けばいいや、この日はオットにつきあおうと譲歩したんだけど、結果的に楽しい日となった。
第三京浜に乗って横浜方面へ。
まずは遅めのランチ
こちら、名店です。
私はラーメンが苦手で一杯一人で食べられることがほとんど無理なんですが、ここのだけは最後まで食べられる。
ここのネギそばはホントにおいしいですよ。
細いまっすぐな麺とさっぱりしたスープ、ネギどっさり。
もうないのかな?とスープの中を探すほどだ。
オットは五目ワンタンメン(ワンタンが伸びきっててこれはイマイチだったw)
食べ終わって、さて、どこに行こうかと車でふらふらとして
山手のドルフィンだー! 入る? と一瞬迷いながらパーキングがいっぱいだったので通り過ぎた。
何年か前にお茶したところ、海の方面にマンションがいっぱい建ってしまって、とてもじゃないけど
「ソーダ水の中を貨物船が通る」光景が見られなくなってしまっていたしね~
このマンション群のために海が見えなくなったんだよね。
それじゃ、どこに行こうか? と協議した後でこちらに・・・
gooブログで相互フォローしているmasakoさんが写真をあげていた名勝。一度は行ってみたかった。
オットが3年ほど横浜で勤務していたのにもかかわらず、訪れたことがなかったのである。
暑い暑い日だったので、外の施設はみんなが敬遠したのか、パーキングは空いていて人も少なかった。
私達も暑いからちょっと見たら帰ろうと思っていたが、水と緑のあるところは存外に涼しく、しっかり隅から隅まで歩き回った。
大池を臨む。
アオサギもくつろいでいる
12
私はもうすぐ公開が終わる映画に行きたく、オットは暑いので車でどこかに行きたかったと・・・
まあ映画はウイークデイに一人で行けばいいや、この日はオットにつきあおうと譲歩したんだけど、結果的に楽しい日となった。
第三京浜に乗って横浜方面へ。
まずは遅めのランチ
こちら、名店です。
私はラーメンが苦手で一杯一人で食べられることがほとんど無理なんですが、ここのだけは最後まで食べられる。
ここのネギそばはホントにおいしいですよ。
細いまっすぐな麺とさっぱりしたスープ、ネギどっさり。
もうないのかな?とスープの中を探すほどだ。
オットは五目ワンタンメン(ワンタンが伸びきっててこれはイマイチだったw)
食べ終わって、さて、どこに行こうかと車でふらふらとして
山手のドルフィンだー! 入る? と一瞬迷いながらパーキングがいっぱいだったので通り過ぎた。
何年か前にお茶したところ、海の方面にマンションがいっぱい建ってしまって、とてもじゃないけど
「ソーダ水の中を貨物船が通る」光景が見られなくなってしまっていたしね~
このマンション群のために海が見えなくなったんだよね。
それじゃ、どこに行こうか? と協議した後でこちらに・・・
gooブログで相互フォローしているmasakoさんが写真をあげていた名勝。一度は行ってみたかった。
オットが3年ほど横浜で勤務していたのにもかかわらず、訪れたことがなかったのである。
暑い暑い日だったので、外の施設はみんなが敬遠したのか、パーキングは空いていて人も少なかった。
私達も暑いからちょっと見たら帰ろうと思っていたが、水と緑のあるところは存外に涼しく、しっかり隅から隅まで歩き回った。
大池を臨む。
アオサギもくつろいでいる
12
私達が来てから帰るまで2時間動かなかった子
蓮池 (午後だったので咲いている花は少なかったが大きな立派な個体。今度は午前中に来てみたい)
池の周りをゆっくり散歩
16
17
18
三渓記念館へ
19
原三渓(原富太郎)
20
優しいタッチの南画と端正な書
優れた実業家であったのと同時に、芸術に造詣が深く、コレクターであり篤志家であった原富太郎氏。
及ばずながらだが、私の曾祖父も、この時代、糸繭商で生糸にかかわる商売をしていて、京都、横浜、豊橋と取引があり、祖父は上海にも行って、そちらからも一時中国人が働きに来ていたと祖母に聞いたことがある。
祖父も日本画やら骨董やらを集めていた趣味人の面もあった。
もしかしたらどこかでこの方の周辺と関係があったのかもしれないな~。
後悔するのは、その頃の自分の家がやっていた商店の様子を系統だって聞いてこなかったこと。父も認知症になってしまったし、元々過去をあまり語らない人だったしね。
記念館からの光景
結婚式のカップル 一日一組だけ挙式が出来るらしいですよ。幸あらんことを!
臨春閣
1649年、紀州徳川家の初代藩主が和歌山紀ノ川沿いに別荘として建てたものを1917年に移築
紫陽花もまだ残っていて竹林の前の色彩とアクセントとなっている。
こんな急勾配を登って行くと
松風閣という展望台に
この苑内にいると時代を忘れるが、見下ろす海岸沿いは令和の工業地帯だ。
遠くにおぼろな富士山 メキシコから来たというお兄ちゃんがあれがmt,Fujiか!興奮していた。一緒に写真を撮ってあげた。
シンボルのような塔
1457年 京都木津川市の燈明寺にあったものを 1914年に移築
また入り口方面に歩いて行くと梅の木もたくさん
ここは四季折々に見どころがあるんだろうな~ と思われ、オットと共にリピートを誓う。
40
41
旧矢箆原家住宅(合掌造り)
建築年は江戸時代後期 1960年に白川郷から移築
内部
囲炉裏には毎日薪がくべられる。この薪でいぶすことでかやぶき屋根などが保たれるらしいですよ。
養蚕の道具も
書院造り
立派な浄土真宗の仏壇(お彼岸とお盆に公開される)
いけてある花も趣味がいいな~
七夕の笹もあり、短冊とペンが用意されていた。
ウクライナに平和を願ったり 子供がホテルのオーナーらしいセレブっぽい願い事があったり、「あと3kg痩せたい」という切実wな願いもあったり
私達夫婦もそれぞれの願いを書いて笹に託した。
いや~ 良い施設でした。結局2時間以上たっぷり散策した。
帰り道は首都高羽田周りで
この前行ったキリンの工場を通り過ぎて
これを観たかった 新しい橋が出来て古い橋を横に見て渡った。
こんなスゴイ工事をたかだか1週間あまり交通止めにするだけでやっちゃうってビックリだ。
58
59
60
夏至が終わったばかりの長い昼も終わり、傾く日を追って帰路。
61
良いドライブだった。