トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

落葉が盛んだ

2017-12-06 | 感じるままの回り道
 師走に入り周囲の山体の紅葉が一段と進んだ。惜しむらくは北国でもなく標高も低いフイールドなので紅葉も色褪せた感がある。
 故郷は豪雪地帯で、既に11月に初雪積雪をみた。周囲の山並や里山の彩りは俗に言う「三段染め」で晩秋の頃に帰省すると懐かしさの極致だ。
 遠くの山腹に炭焼きの煙がたなびいているさまは今でも懐かしい。

 フイールドはここ数日、落葉が盛んになった。林床の落葉掻きをしても翌日には落葉掻きの痕跡も無い。葉の落ちる事しきりで雨脚の様に耳に届く。曇天だと「雨か?」とばかり手のひらを差し出し天を見上げるのだ。
 子どもの頃の記憶にある合唱曲の一節「水は天からもらい水」とか「母こそは命の泉」などの題名は何だったのだろう。既に一節しか記憶になくなって、ヴォーチェ・アンジェリカのコーラスだったかどうか。青春期、おおいに癒されたコーラスだった。

 この頃は情感を溢れさせ聴かせてくれる歌い手はいなくなってしまった。「大ヒット曲」と大騒ぎしていても屁もでない。浅く広く商業化の賜物か知らぬが、正直なところアーチストなどと持ち上げてほしくない。小生的には「違うだろー!」だが、世間様はこんな意見に屁も出ないか。まあ、「年寄り」に間違いは無いので、偏屈かつ屁理屈の極致でいいのだ…。

季節外れの刈り払い

2017-12-06 | 今日は真面目に
 季節も「小雪」から「大雪」目前にになってしまった。この期間でも、まだ刈り残したところがあり手入れ不足をまざまざと見せつける。昔々には、切り開いた段々畑で耕作放棄する時に植樹した平坦地なのだが、手入れもせず樹木も育たず孟宗竹林になっていた地区である。
 孟宗竹を全伐し、残した針葉樹や落葉樹を下草刈りをしながら見守っている。ゆくゆくは落葉広葉樹を導入するための維持管理なのだけれど辺境で足の運びが悪いから十分な手入れが不足勝ちでもある。それでも今期は2回ほど刈り払いしたので草本の伸長は酷くないものの、下段の棚は竹の伸長を許してしまった。

 今回も含め3回程度の刈り払いで片付くと見積もっているけれど、段々の法面に成長した木本の選択除伐も必要なので目移りしなければ、この範囲だけでも年内は要するだろう。

 最上段 ➡          二段目、竹が伸長