ウリパパの日記

自由気ままに・・・

久しぶりに千葉県鴨川まで日帰り旅行 2024.8.11

2024-08-13 17:23:24 | 千葉県

一昨日は、娘が住む千葉県鴨川まで日帰りで旅行に出かけてきました。娘は薬剤師の仕事があるため全く自宅には戻ってきません(年に1~2回)。今回は日曜、月曜(祝日)と連休になったため、そのタイミングでこちらから出向いて会うことにしました。息子も埼玉県からバイクでかけつけ、家族全員が揃うのは正月以来です。

東京湾アクアラインは朝から大渋滞のため、久里浜からフェリーで金谷へ向かうことにしました。

 

自宅を7時30分に出発、渋滞もなく8時50分にフェリー乗り場に到着。登場するのは黒船しらはま丸。2~3年前に乗った時は白い船体だったように記憶しています。どうやら黒い船体にラッピングされたようです。

 

船内ではラッピング工事の様子がビデオで紹介されていました

 

昨年は、日本開国のきっかけとなった米国ペリー提督の乗船した黒船が久里浜沖に現れてからちょうど170年でした。東京湾フェリーでは、ペリー提督の日本初上陸から170年の節目を記念して、しらはま丸の船体の黒船ラッピング事業を実施したのです。

 

船内の売店は黒船グッズであふれていました

 

甲板に出て潮風に当たることにします

 

久里浜港を出港

 

空は霞み、東京スカイツリーや富士山の姿は見えません。微かに見える白い橋脚は横浜ベイブリッジかな?

数年前の正月に東京湾フェリーに乗った時は、東京スカイツリーや富士山、伊豆大島を遠望できました。東京湾フェリーに乗るのは冬がおすすめですね。

 

金谷が近づくと富津市の東京湾観音が見えてきました。

 

金谷から鴨川までは約40分。少し時間に余裕があるので、ロープウエイで鋸山へ登ってみることにしました。鋸山ロープウエイは2022年に開業60年を迎えたそうです

 

標高329mの鋸山山頂に到着

 

少し欲を出して日本寺へ行ってみることにしました。拝観料700円を払い、百尺観音へ

 

人気の地獄のぞきは長蛇の列。待ち合わせ時間に間に合わなくなるので、少し先の展望台から地獄のぞきを見て戻ることにしました。

 

待ち合わせ場所は、鴨川のお寿司屋さんです。娘が予約を入れてくれました。地元では人気のお寿司屋さんで、娘は職場の皆さんとよく食べに行くそうです。

 

旬の地魚のお任せコースを注文。地魚すしと料理3 品がセットとなっています。2階の個室に握りたてのお寿司を4人分まとめて運んできてくれます。鴨川の銘柄米である長狭米のシャリと、磯の香が残る新鮮な地魚の相性が最高です。

 

ウニ、いくら、トロはお好きなものを選べます

 

巻物も絶品です。初めて芽ネギを味わいました。

 

最後の炙り寿司は太刀魚と黒むつ。絶品でした。

 

最後は追加注文した、かずさ和牛炙りの握り。大満足の昼食でした。

 

続いて、奥さんのリクエストにより大山千枚田へ向かいます。その途中、亀田酒造の蔵元に立ち寄ります。

 

お店の入口

 

亀田酒造ブランドの「寿萬亀」ブランドで知られています。ここでお土産を買い込み、大山千枚田へ向かいます。

 

亀田酒造から10分ほどで大山千枚田に到着

 

早くも稲穂が色づいています

 

32000m2の斜面に大小375枚の田んぼが階段状に並びます。「日本の棚田百選」にも選ばれています。東京からは最も近い棚田です。

 

房総半島ではゴールデンウイーク前に田植えが始まるため生育が早く、今月中には稲刈りが行われるようです

 

最後にスマホで1枚

 

近くに古民家レストラン「棚田カフェ」がありました

 

大山千枚田の帰り、近くの農産物直売所に立ち寄ります。房総では長狭米と呼ばれる新米の季節を迎えています。

 

続いて勝浦へ足を延ばします。勝浦海中公園は16時30分で受付終了のため、近くの鵜原理想郷を散策。パノラマが広がる黄昏の丘からの夕日。

 

複雑に入り込んだリアス式海岸が連なります

 

潮風や波に浸食された地層を見下ろします

 

最後に立ち寄った駐車場近くの漁港から、浸食された崖を見上げます。

日没近くなったので、赤く焼けた房総の夕焼けを見ながら勝浦から鴨川へ戻ってきました。鴨川からの帰りは房総スカイラインで君津へ出て、東京湾アクアライン経由で自宅へ。20時を過ぎても木更津からアクアライン入口まで断続的に渋滞が続き、鴨川から高尾の自宅まで2時間30分を要してしまいました。

 

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久しぶりに館山へ日帰り旅行 2022.11.3

2022-11-04 20:16:16 | 千葉県

昨日は文化の日。晴れの特異日でした。日本海に低気圧が進み、関東地方には沿岸部を中心に南西の風が吹きました。翌4日は会社が休みなので、2日の夜に自宅へ戻り、昨日は久しぶりに娘が住む館山まで日帰りで出かけることにしました。美味しいお寿司や東京湾越しの富士山、夕焼けを期待して、朝8時20分に出発します。途中、羽田空港を過ぎたあたりから東京湾アクアラインの入口で90分ほど渋滞しましたが、ここの大渋滞は想定の範囲内です。

 

3時間近くかかって海ほたるに到着。ここに立ち寄るのは久しぶりです。正面には風の塔。東京湾上空は風がほとんど無く青い海と霞んだ空が広がります。ちょっと期待外れ。南西風が入れば空気が澄んでくるのですが、昼過ぎになりそうです。

 

こちらは木更津方面。同じく霞んでいます。

 

少しお腹が空いたので、名物のあさりまんを購入。ボリュームがあるので奥さんと分けて食べました。木更津のあさり入りの中華まん。あさりがたくさん入っていてボリューム満点でした。

海ほたるから木更津までは1時間かかりません。千葉県に入り、館山道を南下するにつれて南西風が強まり、空は青く澄み渡り、西には富士山の姿がはっきりと見えてきました。綺麗な夕焼けが期待できそう。でも風がやまないと気温が高いままで、密かに出現を楽しみにしているダルマ夕日は無理そうです。

 

館山の娘のアパートには12時30分過ぎに到着。さっそく昼食へ出かけます。歩いて10分ほど、駅の近くに波奈総本店というお寿司屋さんがあるので、初めてそこに入ることにしました。

 

房州地魚すし御前を注文。新鮮なお魚のお寿司は絶品でした。鯵のサンガ焼きも美味しくいただきました。

ちょうど食事中に民放のロケが来ていたみたいです。もしかしたら食事中の姿が映ったかもしれません(娘は嫌がってましたが…)

 

14時を過ぎたので、海岸まで散策することにします。渚の駅たてやまから見る東京湾と富士山

 

富士山をズーム。富士山の左手前は箱根の山並みです。日が西に傾いてきたので、やや霞んでいます。午前中のほうが鮮明に見えていました。青い海も鮮やかでした。

 

釣りの様子を見るために桟橋を歩きます。恋人の聖地のブルーフレイムと富士山。これはナスではなくピーナッツ? いや、ウミホタルです。

 

再び富士山をズーム。

 

帰りに渚の博物館に展示されている「さかなくんギャラリー」に立ち寄ります。

 

渚の駅たてやまは来場者300万人を達成したそうです。2012年3月にオープン、10年余りでの達成となります。当日の午後1時30分から、ここでその記念セレモニーが開催されたばかりでした。さかなクンがデザインしたマンホールが展示されていました。

 

これが実物です

 

近くにもう一か所ありました。

よくブログを拝見するご夫婦の方が最近マンホールカードを収集されているようで、このデザインのカードとデザインがブログに紹介されていたので、一度見てみたいと思っていたところです。今回館山を訪れた目的の一つを達成できたので満足です。

 

一度アパートに戻ってから、今度は車で近くの崖観音へ向かいます。船形地区の山の切り立った崖に赤いお堂が建てられています。

 

崖観音として知られるこのお寺は、普門院船形山大福寺と称し真言宗智山派に属するお寺です。創建は717年、開基は行基菩薩です。717年に行基が地元漁民のために、安全と豊漁を祈って観音像を刻んだことが始まりと伝えられていて、その後、天台宗の僧・円仁(慈覚大師)が観音堂を建て寺を興したとされています。

 

階段を登り観音堂に到着

 

崖観音の扁額

 

背面の崖には2体の立像がありました

 

振り返ると館山湾を一望

 

洲崎へ続く半島の先には大島、そして夕日に輝く館山湾

 

観音堂に入ります。綺麗な天井画

 

正面にたたずむ本尊。これが十一面観世音菩薩(磨崖仏)です。

 

十一面観世音菩薩の説明

大福寺のHPから十一面観世音菩薩の説明を引用しておきます。

観音堂の十一面観世音菩薩は、船形山の崖面中段に、石龕(せきがん:石の厨子)をつくって像容を浮彫りにした磨崖仏(まがいぶつ)です。像を覆う観音堂が断崖の中段に飛び出すように建てられていることから、一般に「崖の観音」とよばれ親しまれています。

像高は131cmで、舟形の光背を背に二重蓮華座の上に立っています。
磨耗が激しいので表情はよくわかりませんが、頭上に菩薩面を刻み、左手に水瓶(すいびょう)を持つ様子や、着衣のひだなどが確認できます。
県内最古の磨崖仏といわれ、昭和45年に館山市の有形文化財に指定されています。(引用終わり)

 

崖に佇むご本尊を拝んでから、再び夕日に輝く館山湾を見下ろします。洲崎灯台と大島をズーム。今年の正月はあそこの洲崎灯台から夕日を眺めました。

 

階段を下る途中、館山湾に停泊する船が気になりました。こちらは階段を上る途中に撮影した船。

 

下る途中にズーム。向きが変わっています。帰ってから写真をズームしたところ舷にしらせと書かれていました。早速ネットを調べたところ、南極観測船しらせが館山湾に停泊中だったことを知りました。防衛省では砕氷艦と呼んでいます。しらせを見たのは初めてです。

 

崖観音を見学して駐車場へ戻ります。

 

崖観音を見学後は夕日を見に館山湾へ向かいます。正面に富士山、そして南極観測船しらせ。

 

昨日の夕日のスポットは平久里川の河口付近です。ちょうど洲崎と伊豆半島の間に水平線が見え、そこに沈みます。ダルマ夕日が見える絶好の空なのですが。。。

館山湾や東京湾の気温は21~22℃。一方気温は強い南西風が吹き続けているためこの時間でも22℃前後。日中館山では25.2℃を観測する夏日でした。従って海水温と上空の気温の温度差が無いため、屈折率の差による蜃気楼現象が起きそうにありません。残念。

 

夕日の様子は次の記事で紹介します。1枚だけ抜粋しておきます。ダルマになりかけの夕日でした。北風が吹いて、あと気温が2℃低ければきれいなダルマになったことでしょう。

 

日没後の館山湾。伊豆半島と洲崎の間に太陽が沈みます。そして富士山と南極観測船しらせ。綺麗な夕焼けです。

 

富士山をズーム。横に長い筋状の雲が3本、不思議な形です。

 

日没後は木村ピーナッツのお店に行き、ピーナッツソフトクリームを食べます。絶品!

 

近くの館山城が淡くライトアップされているので、駐車場に車を停めて登ってみました。

 

高台から見る館山湾と館山の街の夜景

 

再び館山城の正面から見上げます。

館山の夜は南西風が吹き続け気温は20℃以上。真夏のような陽気が続きました。この南西風は日中東京湾北部まで北上したため、帰りの東京湾アクアラインからの夜景は見事でした。東京スカイツリーや東京タワー、横浜のランドマークタワーなど鮮明に見えていました。帰りはスイスイで、館山から高尾の自宅までは1時間50分で戻ってきました。

続いて館山湾の夕日の様子を紹介します。

 

 

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東京湾フェリーで金谷、館山、洲崎へ 2022.1.3

2022-01-04 07:26:56 | 千葉県

我が家は娘が千葉県、息子が神奈川県、パパが茨城県、そして自宅は東京。普段は一家4人バラバラの生活です(笑)。娘は調剤薬局勤務で1人で対応しているため、まとまった休暇を取得するのが難しく、ほとんど自宅に戻ってきません。従って家族4人が揃うのは年に1回の正月のみです。

昨日は娘が館山へ戻るため自宅から車で送ってきました(息子はバイク)。いつもは東京湾アクアラインを利用するのですが、昨日は昼近くなってもアクアラインの渋滞が解消しそうにないため、急遽ルートを変更。久里浜から東京湾フェリーを利用して金谷を経由して館山へ向かうことにしました。

奥さんの実家(八王子)に挨拶してから、国道16号、保土ヶ谷バイバス、横浜横須賀有料道路を利用して久里浜へ、13時20分発のフェリーで東京湾を横断します。

 

久里浜港を出発

 

これから向かう金谷は鋸山の麓(正面)です。右側には富山。富山は高尾山や城山湖付近からも遠望することができます。

 

南側には三浦半島の剱崎の先に大島。意外と近くに見えます。左から二子山(619m)、白石山(734m)、三原山(758m)と標高を上げます。

 

北側には観音崎、その先には横浜方面の街並みでしょうか。

 

東京湾の先には、60km先に東京スカイツリーが見えます。

 

第一海堡の先の東京スカイツリー。このアングルで見ることができるのは東京湾フェリーしかありません。

 

海の上に浮かぶ東京スカイツリー。蜃気楼ではありません。

 

漁船と東京湾スカイツリー

 

近くには富津市の東京湾観音が見えてきました

 

西側を振り返ると、三浦半島の先に浮かぶ富士山

 

金谷に近づくと、富津の先に東京スカイツリーが見えるようになります

 

空に浮かぶ富士山

 

富士山をズーム

 

金谷港が近づいてきました

 

金谷港の波留菜亭で遅い昼食休憩としました。東京湾や大島を眺めながら解放感溢れる店内でのお食事でした。

 

お土産売り場で見つけた「かなにゃん神社」です。

金谷港で昼食休憩後、館山の娘のアパートへ向かいます。日の入りに間に合いそうなので、東京湾に突き出た洲崎灯台へ向かうことにしました。

 

日の入り10分前に洲崎灯台に到着

 

東京湾越しに富士山を遠望します

 

洲崎から富士山までちょうど100km。裾野の左手前は箱根山と駒ケ岳、右手前は金時山方面でしょう。

 

洲崎灯台と日没直前の太陽

 

灯台から少し下った場所に大島方面の展望が開けた場所がありました。大島と伊豆の天城山の間に夕日が沈みます。

 

大島の南に2つ小さな島が見えています。

 

大島の南に見えるのは利島(508m) です。利島まで66km離れています。

 

利島のさらに南に見える平らな島は新島(432m) でしょう。新島までは77kmあります。

 

そろそろ日没です。大島の北側に沈んでいきます。

 

相模灘の先は伊豆半島の南端方面でしょうか。雲が出ているようです。

 

雲が無ければ水平線に沈む太陽、あるいはダルマ夕日が見られたかもしれません。

 

洲崎からみる美しい夕焼けでした。

 

日没直後の相模灘。伊豆半島と大島のシルエットが美しい日没でした。

洲崎で日没を見てから娘のアパートに戻り、近くのレストランで早めの夕食としました。帰りは館山道と東京湾アクアライン経由で首都高湾岸線、C2、中央高速を利用。東京湾アクアラインは10km近くのろのろ運転となりましたが、館山から2時間20分で高尾の自宅まで戻ってきました。

 

 

 

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千葉県館山市を訪れる 2021.6.12

2021-06-16 19:45:35 | 千葉県

先週土曜日に千葉県館山市まで出かけてきました。2週間前に娘が館山へ転勤し、そこで住み始めたアパートが広すぎ、環境が若干ワイルド(笑)。周囲が草だらけ、蜂が飛んでいる、部屋にムカデ?が出た、絶対に窓は開けないと大騒ぎしています。昆虫Gとそれを餌にするムカデ、そして蜂の対策を娘から要望されました。梅雨入り前に処置を終わらせておく必要があります。奥さんを連れて、息子のアパート(すずかけ台)に届け物をしてから、東京湾アクアラインを経由して館山へ向かいます。

首都高湾岸線からアクアラインにかけて渋滞発生のため館山のアパート着は昼過ぎになりました。さっそくアパート周囲の草刈りと部屋の侵入口遮断対策にとりかかります。同じアパートの住人が毎日のようにアパート周囲の手入れを行っているので薮状態にはなっていません。畑があるので除草剤は使用せず、草を除去してから虫の駆除剤を散布。さらにベランダの片隅に見つけたアシナガバチの巣を2つ駆除。今までのアパートの環境が良すぎたので、落差に驚いているようですが、友部のパパのアパートに比べればリフォームもしっかりと出来ていて住み心地は良さそう。ただし築30年以上経過しているため、排気口、排水口、天井の僅かな隙間などの虫の侵入経路をしっかり遮断する必要があり、そちらの対応も一通り完了しました。しばらくは様子見です。突然の勤務地変更だったので、職場に近い物件は1階のここしか空きが無かったらしく、気長に他の物件を探してみることになりました。

 

2週間前の引っ越し以来の南房総です。前回はダイヤモンド富士を見ることができました。今回は館山市内を歩いてみることにしました。アパートから歩いて10分、館山駅のすぐ近くにある「寿し甚」で遅い昼食とします。館山の中でも老舗のお寿司屋で、新鮮な地魚を味わうことができます。

 

3人共に、地魚の握り(十貫)を注文しました。

 

新鮮な握りが並びます。とても美味しかったです。

 

本日の地魚の紹介です。

続いて、娘が働く職場を見学してから、近くの館山城を見学します。

 

城へ向かう途中では、アジサイと並んでヤマユリが咲いていました。いくら温暖な地とはいえ、6月上旬に開花するとは驚きです。八王子周辺では早くても7月上旬です。

 

城山公園は房総の戦国大名である里見氏の居城跡を整備したもので、標高72mの山頂には館山城が建っています。館山城の築城は1580年。現在の天守は1982年に再建されたものです。場内は館山市立博物館分館として活用され、「南総里見八犬伝」に関する多くの資料が展示されています。昔NHKで放送されていた人形劇を懐かしく思い出しました。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌と8つの珠を持つ八犬士、そして、われこそは玉梓が怨霊・・・と登場する悪役の玉梓。

 

最上階からは360度の眺望が広がります。北西には館山の街並みと館山湾。遠くにうっすらと三浦半島が見えていました。

 

こちらは北から北東の眺め。房総半島の丘陵が広がります。

天気が良ければ館山湾の先に伊豆半島、さらに富士山を遠望できます。館山公園には370本のソメイヨシノが植栽され、山全体が桜でおおわれる姿は素晴らしいそうです。また、園内には「ダイヤモンド富士を見よう!」という掲示があり、5/16~17 と 7/27(火) が城山公園からダイヤが見られるようです。時間は18時30分~19時。娘の仕事は18時に終わるので、職場から歩いて10分なので十分間に合うと言ってました。茨城からだと午後休暇取得して14時に戻り、アパートから片道2時間30分。間に合わないことはありませんが、ちょっと遠すぎ(笑)。

 

帰りに城山公園の麓にある里見茶屋に立寄りました。いつもは小学生の集団で賑わい、なかなか入りにくいそうです。

 

ここは八犬士にちなんだ8種類の餡を使った房州里見団子が名物のようです。しかし3人で食べるにはちょっとボリュームありそう。そこで、素材にこだわった、こだわりジェラートを食べてみることにしました。豆乳・黒豆きなこを注文。さっぱり味で大満足でした。

 

続いて訪れたのは「海のマルシェたてやま」。隣接する「渚の駅たてやま」に大きなお魚のイラストが描かれていました。館山ふるさと大使でもある、さかなクンの作品です。

渚の駅は営業時間を過ぎていたので立ち寄らず、館山夕陽桟橋を歩いてみました。天気が良いと正面に富士山が見えるそうです。

 

桟橋中ほどにあるブルーフレイム。ウミホタルがプロポーズする時に青く光る様子をモチーフにしたものです。

 

振り返ると、小高い山の上に館山城がそびえています。

桟橋では釣り客が糸を垂れていました。あまり連れている気配はありません。

 

ここで館山散策を終了としてアパートへ戻ります。近くの農作物直売所で見かけた掲示です。地方の人出不足は深刻なようです。娘によるとお客さんの数に比べて店員が少なくまわっていないのだとか。

この後、車でイオンへ出かけお買い物。虫対策の小道具を購入し、19時過ぎに対策を完了しました。実は、当日釣り道具を持参しました。しかし観光を優先したため活用する時間がありませんでした。次回は釣りにチャレンジしたいですね。

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木更津の證誠寺を訪れる 2021.5.8

2021-05-15 21:13:42 | 千葉県

1週間以上前の古新聞になってしまいました。先週末の木更津散策の最後の記事となります。八剱八幡神社の次に訪れたのは證誠寺です。證誠寺は狸ばやしの伝説が残る木更津市で唯一の浄土真宗のお寺です。

 

證誠寺のHPから抜粋します。

 江戸時代の初期(17世紀中頃)に證誠寺は誕生しました。初代住職の了念は、実弟と共に鎌倉より川﨑を経て陸路当地に到着、この矢那川河口の地を選び、この地域に初めての浄土真宗のお寺を建てました。江戸時代の当寺は寺子屋で、大人も子供も大勢が勉強に来ていたようです。師匠であった住職を偲んで生徒である筆子達が建てた筆小塚が、境内にひっそりと建っています。また、五昼夜連続の雅楽演奏による音楽法要が行われるなど、地域の人たちに大変なじまれ、心のより所になっていたものと思われます。
 当寺には、開基間もない頃から狸ばやしの伝説があります。萩や薄の咲き乱れる境内で、中秋の名月に照らされながら、住職と大小百匹ばかりの狸が一緒に、「證誠院のペンペコペン、己等(おいら)の友だちゃドンドコドン」と歌いつつ、幾晩も楽しく踊ったと伝えられています。

 

證誠寺の狸塚の説明板がありました。狸塚の伝説がもとになり野口雨情により狸ばやしの童謡が生まれ、中山晋平の作曲により天下に広まりました。

 

證誠寺の境内図です。

 

童謡碑、狸塚、句碑、筆子塚の説明板です。

 

近くに咲いているのはエゴノキでしょうか・・・

 

向かって右側には立派な鐘楼がありました。

 

まずは童謡碑です。明治38年、当寺門徒の松本斗吟氏が地元の郷土史『君不去』に狸ばやしの伝説を紹介、大正時代に当地へ講演に訪れた野口雨情先生がそれをもとに作詞、中山晋平先生が作曲し、昭和の初めに大ヒットしたのが、童謡「証城寺の狸ばやし」です。

童謡「証城寺の狸ばやし」が大ヒットしたことを記念して、昭和4年に狸塚が、昭和31年に童謡碑が建てられました。   

 

童謡碑の前には楽譜が彫られています。

 

狸?の置物の先に見えるのは筆小塚。

 

 

狸塚にやってきました。

 

 

狸の置物の表情が可愛いい。何だかトトロみたいですね。横になった狸のような形の石に彫られた「狸」の字は、雅号を”狸庵" と称し狸の愛好家として知られた政治家 中橋徳五郎氏によるものと説明にありました。

 

 

こちらも狸でしょうか・・・

 

狸塚の先には光輪堂。納骨堂です。

 

 

こちらは本堂です。

 

家紋は五三の桐。そして賽銭箱には ”千社札は貼れません" 掲示されています。無断で貼っていく人が後を絶たないのでしょうか。鐘楼入口にも同じ掲示がありました。

木更津市のHPによると、毎年10月の第3土曜日に證誠寺で「狸まつり」が催されるそうです。市内の児童が独特の衣装とメイクで大狸、小狸、和尚さんに扮し、おなじみの童謡にあわせておもしろおかしく踊る、何とも微笑ましいまつりで、県内外から文学愛好者を始め、多くの見物客が訪れるそうです。

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木更津の八剱八幡神社を訪れる 2021.5.8

2021-05-15 13:28:08 | 千葉県

5月8日の木更津散策の初めに、八剱八幡神社を訪れました。八剱八幡神社は、日本武尊縁の神社・木更津総鎮守として鎮座し、地元では「八幡さま」の呼び名で親しまれています。創建は鎌倉時代初期、祭神は、誉田別命(應神天皇)、 息長足姫命(神功皇后)、 足仲彦命(仲哀天皇)、 素盞鳴命、 日本武尊です。

 

鳥居をくぐると石燈篭、御神木、2対の狛犬、そして正面に社殿。木更津の由来と八剱八幡神社の由緒についてHPよりそのまま引用します。

当社の社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。

人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。

源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。

天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。

宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。

以上引用終わり。

 

社殿の右手には稲荷神社。

 

 

その手前には手水舎。

 

手水舎の隣には水引飾り。神職が一つ一つ手作りしているそうです。

 

水引飾りの説明です。

 

 

続いて本殿前の狛犬(阿形)。貫禄の表情です。

 

こちらは左側の吽形。

 

拝殿前にもさらに一対の狛犬。こちらは新しそうです。

 

八剱八幡神社の扁額。

 

五大力船絵馬と拝殿の格天井装飾画が木更津市指定文化財となっています。

 

拝殿の右手に源頼朝「お手植えの蘇鉄」の説明がありました。源頼朝が兵馬の疲れを癒したことに対するお礼として植えた蘇鉄を森家が大切に育て、その蘇鉄を森家が大正15年に奉納したものです。

 

これが蘇鉄です。蘇鉄は東京では見かけません。南房総ではよく見かけます。木更津は暖かいのでしょう。

 

蘇鉄の前に案内が建っていた関東一大神輿。今年の6月まで改修中のようです。

 

ところで、社殿の手前にこのような写真が掲示されていました。冒頭に紹介した木更津の由来ともなった「君去らず」神話に登場する日本武尊の顔です。

 

社殿に隣接する立派な参集殿の鬼瓦に使われていました。

 

鬼瓦をズーム。日本武尊は八剱八幡神社の参道と木更津の海を正面に見て鎮座していました。尊の身代わりとなって御入水妃橘姫を悼んで海を見つめているのでしょうか・・・

 

八剱八幡神社をお参りした後、近くの証城寺へ向かいます。木更津高校美術部が描いた木更津みまち商店街のアートです。タヌキや鳥が描かれていました。

 

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木更津市街地を散策 2021.5.8

2021-05-09 16:04:17 | 千葉県

昨日は千葉県の木更津まで出かけてきました。娘が木更津に独り住まいしていてG/W中に帰省できなかったため、こちらから押しかけることにしたのです。大学院が始まり長津田近辺でアパート住まいを始めた息子もバイクで駆け付けました。

木更津は、昨年夏(引っ越し手伝い)、今年正月(帰省帰りに送り届け)に続いて3回目。娘は新人研修で千葉県内を転々とするらしく、次は館山の可能性もありそう。そうなると木更津を訪れるのは今回が最後になるかもしれません。そこで昨日は木更津市内を歩き回ってきました。潮干狩りにも行きたかったのですが、昨日は潮のタイミングが悪く潮干狩り会場は閉鎖中でした。

 

朝のうちは青空が広がっていましたが、昼前から薄い雲が広がり、ハロが出現しました。

 

息子が合流後、久しぶりに一家四人で回転寿司やまとへ。娘によると地元ではおススメらしく、アパートから歩いて10分弱。漁場で獲れたての魚を熟練の目利きが一匹一匹吟味して極上品を選別して買付け、自社便でお店へ直送しているそうです。どのネタも非常に新鮮で、評判通りとても美味しい寿司でした。

 

続いて訪れたのは、木更津郊外にある、フランス伝統菓子エル・プランタン。ケーキ、焼き菓子ともにおススメです。ケーキを買い、娘のアパートでおやつタイムです。

お腹一杯になったところで、息子はバイクでアパートに戻ります。研究室が忙しいらしい。その後、奥さんと娘と3人で木更津の街を探索しました。まずは、アパートすぐ近くの八剱八幡神社と證誠寺に訪れます。こちらについては後日別記事で紹介します。

 

證誠寺の近くでは、レトロな昭和の街並みが残っていました。これは床屋さん。

 

その隣には喫茶店とハンコ屋さん。

 

富士見通りを歩いていると足元にはこのような案内。中央が富士見通りのシンボルでしょう。正面に富士山、手前の木更津駅方面にはショッピングセンタ、南には狸(証城寺)。北には見染の松。観光案内となっているようです。

 

このようなマンホールもありました。証城寺の狸林です。

 

こちらは単色の鉄蓋。

 

別な絵柄のカラー蓋もありました。

 

足元の観察はこれくらいにして、ようやく木更津駅前(西口)に到着。黄金の月の中で踊る、きぬ太くんのもみゅメント。逆さタヌキです。

 

観光センターにはマスクを装着したきさポン。木更津市のマスコットキャラクタのようです。

木更津は「證誠寺」のたぬき伝説で知られています。“ショ、ショ、ショウジョジ”で始まる童謡は證誠寺のたぬき伝説に由来するそうです。證誠寺については別記事で紹介します。

 

せかっくなので駅を見学。昨年の12月から設置されている駅ピアノです。

 

とてもカラフルなデザインです。この後、帰宅中の学生が代わる代わる弾き始めました。

 

 

駅のコンコースの掲示板です。

 

駅を見学後、東口のパン屋でクロワッサンを購入後、再び西口へ戻ります。西口駅前の商業施設は1階のみ営業して2階より上は全てテナント募集中でした。上の写真は西口駅前のアーケードです。かつては駅から港までを繋ぐメインストリートだったのでしょう。今ではシャッター街となってしまいました。

 

そんな中でも営業しているレトロな居酒屋。

 

ここは娘のおすすめのお土産屋さんです。地元のアサリや海苔の加工品を売っています。

 

娘のアパートを通りすぎて、中の島大橋が見える港にやってきました。

 

ここにもタヌキのオブジェ。

まだ時間があるので中の島大橋まで行ってみることにしました。

 

ハマグリの中に佇むあさりのぽこちゃん。木更津が凝縮されています。

 

親子タヌキの可愛らしいオブジェ。

 

お土産屋さんにもたくさんのタヌキ。

 

中の島大橋に到着。タヌキではなく猫がお出迎えです。

 

中の島大橋の説明。高さ27m、長さ236mの日本一高い歩道橋です。できれば冬場に来てここから富士山を見たかった。でも今年の1月3日には、きみさらずタワーから富士山を見たので、それで満足としましょう。

 

南風が吹き荒れる中、高さ27mの歩道橋の頂上まで歩いていきました。西側には木更津の街並み。

 

南西には君津の工場地帯。

天気が良ければ真西に富士山を望むことができます。歩道橋を越えた先の中の島公園では潮干狩りを楽しむことができますが、昨日はクローズでした。17時を過ぎて薄く暗くなってきたため、木更津散策は終了。娘のアパートへ戻りました。後日になりますが、続いて八剱八幡神社と證誠寺を紹介する予定です。途中で別記事が入るかもしれません。

 

 

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きみさらずタワーからの夜景 2021.1.3

2021-01-03 23:42:08 | 千葉県

正月休みは今日で最後となりました。八王子では最低気温-3.9℃、最高気温6.9℃と風の冷たい一日でした。今年の正月は平年よりやや低めの気温で経過しています。

奥さんと娘は明日から仕事。息子も明日から学校です。ところがパパは正月休みは明日まで、しかも今週いっぱい休業が決定し、仕事始めは1月12日となってしまいました。今日は午後から正月休みに帰省していた娘を木更津まで送ってきました。木更津到着後、スーパー(イオン)で買い物を済ませてから、「きみさらずタワー」に登り夕焼けと夜景を見てきました。コンデジを持ち合わせていなかったので、iphoneで撮影した写真となります。

 

きみさらずタワーは木更津駅東側の太田山公園にある展望台です。夜景スポットとして有名ですが、娘は訪れたことない(自転車で登るのがしんどいらしい)というので、奥さんと3人で車で訪れてみました。山の上の駐車場から歩いてすぐのところにタワーがあります。

 

タワーに登ると、なかなか見事な展望です。東京湾の先に富士山を遠望します。正面は木更津、左奥は君津です。

 

富士山をズーム。iphoneのズームはこれが精いっぱい。東京湾の先には横浜方面の街並みを遠望します。

 

東京方面の夜景も綺麗です。東京タワーや東京スカイツリーを遠望します。

 

東京タワーから東京スカイツリー方面をズーム。東京タワーの右手前はレインボーブリッジ。東京タワー左側の四角い光はどこでしょうか。。。東京湾アクアラインからも目立ちました。

コンデジでズームしたかった。次回はコンデジと三脚持参ですね。春分の日と秋分の日の前後には木更津からダイヤモンド富士も見えるようです。地図で確認すると木更津の真西に富士山が位置しています。

 

ところで今夜は、しぶんぎ座流星群が極大をむかえています。上空には薄い雲がかかり月も出ているため、観測には適しません。流星観察は断念します。

 

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犬吠埼周辺を散策 2020.6.24

2020-06-27 19:58:46 | 千葉県

昭和の名残を留める銚子電鉄で銚子駅から外川駅まで往復した後、銚子駅から車で犬吠駅まで向かい、銚子電鉄直売店でお土産を購入しました。時間は13時近くになってしまったので、売店近くの食堂(島武)で、銚子港で水揚げされた新鮮な地魚を使ったお寿司を食べてから近くの犬吠埼灯台へ向かいます。駐車場から犬吠テラスハウスの中を抜けると犬吠埼灯台はすぐ目の前です。 

 

明治7年(1874年)にイギリス人技師ブラントンの設計でつくられた高さ約32メートルの日本製レンガづくりの西洋式灯台です。文明開化の先駆けとして明治7年11月15日に完成し、高さは地上から塔台頂部まで31.3m、水面から52.3m。灯台の周囲には銚子ジオパークの遊歩道があり地層や植物を観察できます。

 

入口の前には「幸せを呼ぶポスト」。白い丸型ポストです。2012年3月14日に銚子海上保安部と銚子郵便局が協力して茨城県で保管していた丸型ポストを白い犬吠埼灯台にちなんで白く塗ったもので、 ホワイトデーに設置されたので「恋愛が成就するポスト」、「幸せを呼ぶポスト」、「願いが叶うポスト」とも言われているそうです。

 

まずは入場料を払って敷地の中に入ります。灯台入口の上には「明治七年甲戌十一月十五日初點」の文字が刻まれています。その上には ILLUMINATED 15TH NOVR 1874と英語の表記も。この犬吠埼灯台は、近代化産業遺産と国の登録有形文化財にも登録されています。灯台の上まで登ることができるので、早速登ってみることにします。内部の見学は、新型コロナウイルスの感染拡大防止策として暫く休止してましたが、6月19日から再開されたそうです。99段のらせん状階段と10段近いはしごを登り展望台に到着。雄大な景色が広がります。

 

三方を海に囲まれているため、海を中心とした景色が広がります。展望台はようやく人がすれ違うことができる程度の狭さ。しかも方角によっては強風が吹き付けるため、荷物が飛ばされないよう配慮が必要でソーシャルディスタンシングを意識するどころではありません。幸い先客は誰もいませんでした。眼下には岩礁に荒波が打ち寄せます。思ったほど海は荒れていません。

 

北西は銚子方面。銚子ポートタワーがちょこっと見えます。

 

さらに西には風車が見えます(ズーム)。神栖市波崎の風力発電所でしょう。

 

南西側です。屛風ヶ浦方面を見渡すためにはもう少し高さが必要ですが、これでも海面約50mの高さにあるため海を航行する船舶にとっては十分です。風が強く吹き付けるのと、4名ほどお客さんがやってきたため、5分ほど眺望を楽しんでから、らせん階段を下ることにしました。階段はすれ違いが困難な狭さ。展望台以上にすれ違い時の配慮が必須です。幸い、上り下り共に一人にも出会いませんでした。

 

続いて隣接する犬吠埼灯台資料展示館を見学。内部には犬吠埼灯台の紹介がありました。建材中最も多量に必要とした煉瓦はイギリス製品を勧めるプランとン技師の提案に対し、 日本人中沢技師は国産品使用を叫び、県内に良質の土を発見し、国産煉瓦の完成に腐心した結果、 外国製品に比べて遜色のない優良な煉瓦を完成。灯台・付属舎・宿舎に19万3千枚の煉瓦を使用して灯台を完成させました。レンガ造りの建築物としては日本一の尻屋埼灯台につぐ高さを誇ります。

 

資料館の中には犬吠埼で使われているものと同じ一等レンズが展示されていました。犬吠埼灯台は、日本に5つしかない1等レンズ(1等4面フレネル式閃光レンズ)を使用した第1等灯台。電球は400ワットのメタルハライド電球を使用。110万カンデラの光を放ち 光達距離は19.5海里となっています。展示されているのは1等レンズの第1号として沖ノ島灯台(福岡県宗像市)において大正11年から平成19年まで100年間使用されていたものです。レンズ本体の高さ2.53m、直径3.03m、高さ5.14m、総重量は13トンもあるそうです。回転装置と一体になった展示を見ることができるのは日本ではここだけです。左奥に見える3等レンズと比較するとその大きさに驚きます。

もともと犬吠埼灯台に使用されたレンズは、当時フランス製の1等8面閃光レンズでした。横浜に行幸された明治天皇が犬吠埼に送る前の試運転をご覧になっているそうです。これが太平洋戦争で一部破壊され、現在は灯台局レンズ工場で製造された1等4面閃光レンズが使用されています。レンズは、高さ約2.6m、直径約1.9mもある大きなもので、このレンズを水銀が入った器のようなものに浮かべ、浮かんでいるレンズをモーターで回転させて点灯していているそうです。

 

 

こちらは3等レンズ。東京湾入口の東京灯標で1969年から廃止される2010年まで40年間使われていたものです。

 

日本でのぼれる灯台の一覧が紹介されていました。全部で16基あります。千葉県では野島崎灯台にものぼることができます。昔、子供たちを連れて行った記憶があります。

 

資料館の横には、日本最初の霧信号として尻屋埼灯台(青森県)で使用された霧鐘が展示されています。明治10年11月20日に尻屋埼灯台に取付けられ、明治12年12月20日に新式の蒸気霧笛にその役目をゆずるまで、スコットランド製の時計仕掛けの打鳴器によって、1分間に1回、霧や雨など視程の悪い時に打鐘していました。その後、明治25年4月15日に葛登支岬灯台に移設転用され、昭和12年に故障で業務休止するまで使用されていました。

 

灯台に隣接して犬吠埼霧信号所霧笛舎があります。千葉県のHPから引用します。

旧犬吠埼霧信号所霧笛舎は、濃霧などの視界不良時に音で通信所の位置を船舶に知らせる施設として明治43年(1910)に建設された。霧笛のラッパが突きだしたカマボコ形の屋根(ヴォールト屋根)が特徴的な建造物で、壁から天井に至るまですべて鉄製という明治後期における日本の灯台付属施設の特徴をよく示している。霧笛舎は平成20年(2008)3月に運用を終了したが、現在も建設当時の姿をよく残しており、鉄造霧笛舎として現存する唯一の施設である。
また、この鉄造建築に使用された鋼板は、官営八幡製鉄所の製品を使用したとみられることから、我が国の近代産業発展の一面を示す施設としても価値が高い。(引用終わり)

 

こちらの建物も、国登録有形文化財(建造物)に指定されています。

 

ヴォールト屋根の霧笛舎の中に入ります。中には霧笛音響装置が展示されています。圧縮空気によりエアサイレンを吹鳴するエアサイレン方式を使用していました。

 

霧で視界が悪いとき「ヴォ―、ヴォ―、ヴォー」という音で船に犬吠埼の位置を知らせていました。鳴り方の周期が霧信号所により異なるため、船舶はその周期からどこの霧信号所から発せられているかを識別しました。旧犬吠埼霧信号所の霧笛は5秒吹鳴、30秒隔てて5秒吹鳴という35秒周期でした。実際に霧笛を聞くことができますが、実際の30秒間隔で5秒警笛サイクルが、2秒間隔に短縮されていました。

 

霧笛舎の中に、フランス製の初代レンズが復元展示されています。戦後しばらくして現在の国産4面閃光レンズに交換されて以降、愛知県犬山市の博物館明治村に展示されていましたが、平成14年の犬吠埼灯台資料展示室の開館を機に里帰りが実現し、個々に展示されることになりました。

犬吠埼灯台資料展示館と霧信号所霧笛舎の見学を終わってから、灯台周囲の散策路を歩いてみました。海岸崖地にたくさんの花が咲いていました。いくつかを紹介します。

 

 

ノアザミ(海岸型)

 

ハマノイブキボウフウ

 

スカシユリ(ハマユリ)

 

ハマタカトウダイ。山に咲くタカトウダイに似ています。

 

ハマボッス。花が終わり果実ができ始めています。

 

これはハマナデシコ?

 

こちらはピンクのハマナデシコ? 自信ありません。

 

遊歩道一帯で観察できる白亜紀浅海堆積物は国指定天然記念物にもなっています。千葉県のHPから紹介します。

房総半島の地表面の大部分は約6,500万年前より新しい第三紀という、新しくて柔らかい地層でできているが、銚子には古く堅い地層が露出している。銚子半島の先端にある犬吠埼灯台下の海岸には、白亜紀に海底で堆積した地層が顔を出している。これが、国指定天然記念物「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」である。白亜紀というと恐竜が生きていた時代で、白亜紀の地層は関東から西に分布するが、そのような古い地層を地表で見ることができる場所は、関東地方ではここだけである。
犬吠埼の白亜紀浅海堆積物は、浅い海の海底で作られた堆積物である。浅海特有の堆積構造として、海底の砂の表面につけられたさざ波の痕跡が観察できる。この波の痕跡は、波長4~7cm、波高3~6mmで、ほぼ平行に規則正しく並んでおり、このような痕跡を漣痕(れんこん)と呼ぶ。
指定地域とその周辺には、銚子層群犬吠砂岩層が分布しており、砂岩と頁岩の互層をなしている。漣痕はその砂岩層の表面に観察できる。これは、砂の表面にできたさざ波の跡の上に、頁岩層の元になる泥が静かに堆積したまま地層中に保存されたものである。この地層は化石も豊富で、付近ではアンモナイトの化石が発見されたこともある。
指定地域は地表で白亜紀の地層と漣痕が観察できる、全国的にも数少ない貴重な場所である。(引用終わり)

 

 

国指定天然記念物「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」。白亜紀に海底で堆積した地層が顔を出しています。

 

ここで観察できる地層が紹介されていました。

 

砂岩泥岩互層です。

 

帰りに屛風ヶ浦を間近に見ることができる千葉科学大学近くの公園を訪れ、屛風ヶ浦を遠望しました。

 

屛風ヶ浦は長さ10km、高さ20~60mの海岸食。300万年前の地層です。屛風ヶ浦について再び千葉県のHPから引用します。

屏風ケ浦は下総台地を削る海食崖で、千葉県銚子市犬岩から旭市刑部岬まで、新第三紀鮮新世以降の地層から成る露岩の崖が約10kmにわたって分布する。一億年以上前の硬い岩石を基盤として約300万年前~40万年前の海洋性の環境で堆積した犬吠層群と、その上に不整合面で接する内湾的な環境で堆積した香取層や関東ローム層から成る。切り立った落差約60mの崖は、比較的柔らかい火山灰層などから構成されており、波浪の影響で崖面から剥離・落下した土砂が沿岸流により常に運び去られることにより形成されてきた。その侵食速度は年間50cm~100cmと急激であった。 屏風ケ浦の地形は、地質学上、また観賞上の価値が高く、重要である。(引用終わり)

 

足元で咲いていた黄色い花。タイトゴメでしょうか。

 

駐車場近くで見かけた世界一ちっちゃな水族館。残念ながら閉館中でした。

もう少し海岸の散策を続けたかったところですが、鹿島神宮を参拝する時間が無くなってしまいます。夕方にはアパートに戻りたいので、銚子散策はここで終了としました。

 

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