ウリパパの日記

自由気ままに・・・

夕やけ小やけの里 宮尾神社を訪れる 2024.3.19

2024-03-20 09:38:13 | 東京都

夕やけ小やけの里のある上恩方町は、童謡「夕焼小焼」の発祥の場所と言われています。童謡の作詞者の中村雨紅が宮尾神社の宮司の三男として生まれたことからそのように伝えられていますが、実際は特定の場所ではなく、皆さんの故郷を思ってもらえればと中村さんは語っていたそうです。昨日、その宮尾神社を久しぶりに訪れてみることにしました。以前に訪れたのは子供の時なので、50年近く前になります。

 

夕やけ子やけふれあいの里で見かけた看板。これも童謡から連想されるイメージなのです。

 

北浅川ではアブラチャンが咲き始めています

 

あれ? 園地閉鎖? よくわかりませんが、神社閉鎖とは書かれていないので登ってみます。

 

ありました。宮尾神社の入口です。

この神社は元暦年間(1184~1185年)創建と伝えられているそうです。住吉神社琴平神社合社の別称が宮尾神社です。神社のある山が宮尾山のようです。だから宮尾神社?

 

鳥居の扁額の赤い文字が目立ちます

 

階段上の左手に神楽殿? 朽ち果てています。

 

正面に荘厳な拝殿

 

さらに階段を上ります。向かって左手が阿形の狛犬。口が開いています。

 

向かって右手は吽形の狛犬。口を閉じています。

 

阿形の狛犬の裏手に夕焼小焼の歌碑があります。昭和31年に建立されたそうです。

 

手水舎です

 

正面の拝殿

 

お参りついでに中をのぞいてみました

 

拝殿の裏手

 

右手奥から本殿を見上げます

 

もともとの本殿は木の柵で覆われて保存されているようです

帰りに陣馬街道を少し下った場所の左手に中村雨紅の墓がありました。車を停められないので、立ち寄らずにちらっと横目で見ながら通過しました。

 

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御岳山の天狗の腰掛杉が見えた 2024.3.10

2024-03-10 09:05:20 | 東京都

昨日、散田町の高台から撮影した御岳山の写真を眺めていたところ、御岳山から奥の院へ下るの鞍部に杉の大木が写っていました。天狗の腰掛杉ではないかと思い、先ほど御岳山のイラストマップを確認してみました。

 

予想通り、天狗の腰掛杉のようです。

 

先ほど、自宅の外階段から再度撮影。周囲の中でひときわ目立つ杉の大木が見えました。周囲にの木々よりひときわ高く、上半分が姿を見せています。背後の山が雪化粧しているため鮮明に認識できます。樹齢350年高さ60mの巨杉です。

天狗の腰掛杉が見えたとなると、御岳山の東側に位置する神代ケヤキも見えるかもしれません。樹高30mなので厳しいかな。冬は落葉しているので、新緑の季節に見てみましょう。

 

冒頭の写真を再度掲載。左側の赤矢印が紹介した天狗の腰掛杉。右側の大木(黄色矢印)が気になっているのです。

 

別なコンデジを使って撮影したデジタルズーム画像を紹介します(手持ちです)

 

こちらは天狗の腰掛杉

 

黄色矢印の気になる木。場所的には神代ケヤキに近いのですが、ケヤキには見えませんね。新緑の季節に確認予定です。

 

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武相卯歳観音霊場の開扉 2023.4.2

2023-04-02 15:33:20 | 東京都

卯年の今年、武蔵国と相模国にかけて開かれた歴史ある48カ所の札所・武相観音霊場、通称「卯歳観音」で、秘仏とされる観音像が公開されています。期間は4月1日から30日までです。普段は公開されていない扉が開かれ観音像が公開されているようなので、さっそく自宅近くの興福寺を訪れてみました。

 

今回の開扉について八王子経済新聞の記事より引用します。

江戸時代中期の1759(宝暦9)年、それぞれに信仰していた寺院が連携し、1回目の「開扉」を実施。今回で23回目を迎える。開扉とは、普段は閉じている厨子の扉を特定の日に限り開き、中の秘仏をお参りすること。武相観音霊場は12年に一度、卯年の春にのみ開かれる。飛鳥時代から始まり、奈良、平安と盛んになったといわれる観音信仰。観音様を祀る聖地への巡礼も、この頃から全国に広がったと伝わる。人々を救うために自らが姿を変えて現れ、念ずればあらゆる災難を除くと経典に説かれている観音様。普段は体験できない貴重な札所巡りの機会となりそうだ。(引用終わり)

 

対象となる霊場48か所中、八王子には17か所があります。自宅近くの興福寺は23番の霊場となります。武相卯歳開扉観世音菩薩と書かれた赤いのぼり旗が目立ちます。扉の内部や観音像は撮影厳禁なのでカメラはここまで。実際にお参りして扉の外から拝んできました。

 

本堂南の枝垂れ桜が満開

 

ソメイヨシノは散ってしまいました

 

例年であれば今ごろ入口の枝垂れ桜が満開を迎えている頃ですが、今年はすっかり葉桜となってしまいました。

続いて散田町の真覚寺へ向かいます。

 

真覚寺の鐘楼脇のソメイヨシノは葉が目立ってきました

 

真覚寺は武相観音22番の霊場となります

 

本堂前のソメイヨシノ

 

開扉が行われる高台にある観音堂

 

扉の中の観音様を拝んできました

 

横山中学校前の枝垂れ桜と真覚寺裏側のソメイヨシノ

霊場2か所を参拝後は南浅川でお花見です。

 

横山橋の東側に咲く濃いピンク色の桜は八重桜でしょうか。

 

横山橋から上流を眺めます。北側堤防のソメイヨシノが満開です。

 

長房町のソメイヨシノは周辺よりやや遅く開花するので、今が見頃です。

 

桜のトンネルが続きます

 

途中にある1本の枝垂れ桜も満開

 

正面に陵東橋が見えてきました

 

桜並木の最後はオオシマザクラ。ここから桜のトンネルを振り返ります。

 

陵東橋の枝垂れ桜

 

サイクリングロードを南浅川橋へ向かいます。昨夜の雷雨が花散らしの雨となったようです。

 

今年の高尾でのソメイヨシノの見納めとなりそうです。

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白萩満開の大悲願寺 2022.9.17

2022-09-18 15:14:55 | 東京都

非常に強い台風14号が九州に接近中です。関東地方では台風外側の雲が北上して連休後半は悪天候が予想されているため、天気が崩れる前の昨日午前中に墓掃除を兼ねて八王子霊園と上川霊園へお墓参りに出かけました。そしてお墓参りが終わってから奥さんを連れて、あきる野市の大悲願寺を訪れ、白萩の花を見てきました。上川霊園から大悲願寺までは車で10分で到着です。

3連休初日ですが、彼岸の入りは9月20日なので訪れる人も少なく駐車場はガラガラでした。昨年9月14日に3年ぶりに訪れた時は、白萩はまだ咲き始めでした。今年は開花がやや早めで、ちょうど見頃を迎えているようです。

 

長屋門をくぐると、蓮鉢が置かれていました。浮き草が浮かんでいます。メダカでも飼っているのでしょうか。

 

鉢に描かれた金魚絵が面白い。蓮の葉を頭に乗せているのでしょうか??

 

白萩を見る前に社務所へ寄り道します。赤い帽子が可愛いぴんころ地蔵尊。

 

目的のリコリスが満開です。最近よく見かける黄色い彼岸花です。

 

社務所前には白い彼岸花も植えられています。

 

本堂へ向かう参道へ戻ります

 

ちょうど満開

 

蓮の葉を入れてもう一枚

 

満開の白萩の花をズーム

 

本堂前へ続く白萩も見ごたえあります。こちらは少し散り始めていました。

 

白萩の中に稚児大使 真魚ちゃんの幟が立っています。真魚ちゃんは弘法大師空海の幼名です。

 

伊達政宗 白萩文書の説明です。1623年にこの寺を訪れた仙台藩主の伊達政宗は白萩の花に心を奪われ、正宗がその白萩を所望したいと大悲願寺に宛てた書簡が残っているようです。

前日に訪れた偕楽園の萩は、その仙台藩から譲り受けたもので、その中には白萩も含まれていました。もしかしたら、偕楽園の白萩の元祖は大悲願寺の白萩だったという可能性もありますね。

 

長屋前の白萩も満開

 

本堂前の白萩

 

変額が掲げられている本堂中央前にやってきました

 

中門前から本堂をズーム

 

鐘楼前から本堂を振り返ります。手前の白萩はピークを過ぎて散り始めていました

 

白萩の見学はこれくらいにして、観音堂にやってきました。ここを訪れるたびに紹介する仁王門前からの眺めです。観音堂は1794年(寛政6年)建立。無畏閣とも呼ばれ、国重要文化財である木造伝阿弥陀如来と脇侍の千手観音・勢至菩薩が安置されています。

 

無畏閣と書かれた扁額の上の正面の欄間には色鮮やかな彫刻が施されています

 

無畏閣の扁額の周囲にもたくさんの彫刻

 

向かって左手は天国への道。大日如来様が極楽に座り、足元には三途の川が流れています。

 

向かって左は地獄の様子。閻魔大王様が座っています。その横では舌を抜かれたり、ゆで釜にされたり・・

観音堂の彫刻は1840年頃に制作されたものでかなり色あせてしまいました。平成18年に修復されて色鮮やかに彩色されたそうです。

 

観音堂の西側には弘法大師を祀った大師堂。こちらの欄干にも彫刻が施されています。

 

仁王門の中から見る観音堂とイチョウの大木。秋の黄葉の季節も綺麗です。

 

仁王門内側(観音堂側)の天井画。幕末の絵師・藤原善信と森田五水によるものです。

 

こちらは外側の天井画。状態よく保存されています。金色山は大悲願寺の山号です。

 

外から見た仁王門。1895年(安政6年)の建立です。

 

仁王門の扁額と観音堂の正面の彫刻

 

大悲願寺の周辺では彼岸花が満開。金色山大悲願寺と彫られた寺標柱は木の陰で半分見えません。

 

南側を振り返ると五日市線が通過中でした。

 

最後に中門(朱雀門)を見学。昨年訪れた時は植栽工事中で珍しく開門していました。でも門の色は朱色ではありませんでした。この1年で朱色に塗り替えられたのでしょう。青空であれば、百日紅の赤い花と共に映えそうです。

 

ここには院号の吉祥院と書かれた扁額が掲げられています。こちらもリニューアルされました。

 

参考に昨年9月14日に訪れた大悲願寺の様子を紹介しておきます。比較すると、中門(朱雀門)がリニューアルされた様子がわかります。

 2021年9月に訪れた大悲願寺

 

 

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すみだトリフォニーホールと東京スカイツリー 2022.5.28

2022-05-29 16:07:35 | 東京都

昨日は久しぶりに東京都心まで遠征しました。姪が大学のオーケストラでコンサートミストレスとなって初めての公演らしく、土曜日で都合がついたため、奥さんと聴きに行ってきました。場所は墨田区のすみだトリフォニーホール。新日本フィルが活動の拠点としていることは知っていましたが一度も訪れたことがありません。錦糸町北口から歩いて5分と便利なところにあります。

 

錦糸町駅からホールへ向かう途中、北側にそびえたつ東京スタイツリーが見えました。帰りのライトアップが楽しみです。

 

すみだトリフォニーホールの内部。今年で開館25周年、新日本フィルが創設されて50周年を迎えます。

 

現在の音楽監督は佐渡裕さん。等身大のパネルなのでしょうか。少し大きすぎ? 横にはワーグナー・チューバが展示されていました。

ワーグナー・テューバは、ワーグナーが自分の曲の演奏のために作らせた楽器です。B 管とF管の2種類があって、ホルンのマウスピースが取り付けられるのでホルン奏者が演奏するそうです。
 

墨田区は葛飾北斎ゆかりの地。大ホールに北斎カフェが併設されています。階段を上がると富嶽三十六景の一つ「神奈川沖浪裏」のパネルが展示されています。

 

細い窓から東京スカイツリーを見上げます。

オーケストラの演奏会はクラブ活動とは思えないほど素晴らしく、特に弦楽器の響きとアンサンブルが最高。ブラームス1番2楽章のソロ演奏も素晴らしい音色を聞かせてくれました。

 

20時過ぎに演奏会が終わり駅へ戻ります。ライトアップされた東京スカイツリーが綺麗です。

 

コンデジでズーム。

 

刻々とライトアップの色が変化するので、見ていて飽きません。コンデジはズーム撮影できるのですが光量が不足。三脚が無いと厳しいですね。スマホのほうが鮮やかに写ります。

 

夕方に撮影した同じ位置からパチリ。ちょうど青と黄色のウクライナカラーに切り替わりました。

 

ちょうど上に飛行船が飛んでいましたのでコンデジでズーム。露光時間が長いため手振れの影響もありぼやけてしまいました。

 

帰りは妹夫婦と錦糸町駅ビルの築地玉寿司さんで遅い夕食。お椀と茶碗蒸しがついて、とても美味しいお寿司でした。窓の外には東京スカイツリーも見えて、ゆっくりとくつろげるお店でした。

久しぶりに都心の夜を満喫してきました。

 

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正一位岩走神社に参拝 2021.9.14

2021-09-16 21:28:59 | 東京都

一昨日のあきる野市散策の続きとなります。横沢入里山保全地域を見学後、JR五日市線を渡り秋川方面へ下り、正一位岩走神社を訪れました。例年9月には例祭が行われ、あきる野三大祭りの一つとして知られています。一度例祭時に訪れたことがあります。神輿や山車が出て境内は人で溢れていました。しかし、昨年、今年とCOVID19のため中止となったことでしょう。境内はひっそりとしていました。

 

手水舎には水が流れていません。アルコール消毒液が置かれています。

 

正面の拝殿。社殿は1672年(寛文12年)に再建、1899年(明治32年)に造替、1966年(昭和41年)に屋根が銅板葺に改修されています。

 

右側の狛犬

 

左側の狛犬

 

拝殿にお参りします。手の込んだ彫刻が目に留まります。

 

拝殿の扁額です。鈴緒は撤去されていました。

 

続いて境内社と本殿を見学します。左手には疫病封じ祈願の幟

 

 

疱瘡神社・熊野神社・八雲神社・稲荷神社の合殿となっています。

 

一番左側が疫病退散の疱瘡神社

 

一番右側が健康祈願の琴平神社

 

拝殿の奥には本殿

 

本殿の脇には稲荷神社三社が合殿で祀られていました。

 

東側の広場から拝殿と本殿を眺めます。こちらから見ると本殿の重厚な屋根が印象的でした。

 

正一位岩走神社に参拝後、大悲願寺の駐車場へ戻ります。彼岸花に彩られた階段を上ります。

 

 

階段脇の生産緑地にも彼岸花が群生しています。

 

日当たりが良い南斜面なので見頃を迎えていました。

昼食休憩を予定より30分オーバーしたため、帰りはどこにも寄らずに自宅へ戻りました。

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高尾かんこうさんの缶バッジゲット 2021.9.3

2021-09-03 19:19:27 | 東京都

9月に入ったとたんに秋めいてきました。日中も20℃前後で過ごしやすい陽気が続いています。昨夜は雨の中、茨城県から高尾の自宅に戻り、17日までは自宅での在宅勤務となります。昨夜帰宅後、広告チラシに目を通していたところ、タウンニュース八王子版の記事に目が留まりました。「キャラ総選挙 かんこうさん、公約実施へ」。優勝したらオリジナル缶バッジを無料進呈という公約を掲げ、見事1位に輝きました。早速今日の朝9時から、高尾名店街で缶バッジを配布、限定100個とあります。千載一遇のチャンス。地元なので、これは時間を工面して行くしかありません。

 

配布が始まる10分前に到着すると数名の方がすでに並んでいました。かんこうさんは2018年に登場した商店街のマスコットで、初沢町に鎮座する日本一巨大な菅原道真公像をモデルにしています。本ブログでも一度紹介した記憶があります。

 

八王子キャラ総選挙での優勝おめでとうございます。

 

あっ、これが昨夜見つけた記事の拡大版です。

 

缶バッジ配布が始まる直前にマスコットがやってきました。金メダルを首にかけているところです。

 

9時に缶バッジの配布が始まりました。これがゲットした缶バッジ。コロナに負けるな!高尾名店街

 

缶バッジをゲットして、かんこうさんにご挨拶。首に金メダルをかけています。

 

こちらはパネルです。缶バッジではワクチン接種済×2と紹介されていました。それでもちゃんとマスクを着けています。

 

高尾名店街の1階は空き店舗が多くなってきました。今回の優勝を契機に、昔の活気を取り戻してほしいところです。高尾駅周辺の整備事業も始まっています。近くの大規模商業施設(イーアス高尾)ですら空き店舗が目立っています。街全体での取り組みが必要ですね。魅力ある街なので。

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深大寺を訪れる 2021.1.29

2021-01-31 12:41:43 | 東京都

調布の布多天神社で疫病鎮静の御朱印を頂いてから深大寺へ向かいます。深大寺を訪れるのは30年ぶりです。調布からかなり歩いた記憶がありますが、地図で見ると意外と近そうです。

 

布多天神社から800mほど北へ進み中央高速の下をくぐると池上院の脇から深大寺南参道となります。ここから坂を上り500mほどさらに北上します。

 

20分ほどで深大寺の参道に到着しました。正面が山門です。

 

ここが噂の鬼太郎茶屋です。30年前にはありませんでした。店の中(妖怪ショップ)はゲゲゲの鬼太郎グッズであふれています。

 

店の前では鬼太郎とねずみ男がお出迎え。

 

妖怪が勢揃い。

 

鬼太郎茶屋の車です。「茶屋号」と呼ばれています。ナンバープレートは、水木しげるの出身地の鳥取ナンバーでした。調布市内を走ることがあるのでしょうか?

 

山門手前の元祖嶋田屋です。店前に鎮座する一対の羅漢像は、そばを食べる時の「いただきます」と「ごちそうさま」を表現しているそうです。

 

いよいよ深大寺山門にやってきました。

 

山門の説明です。慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災をまぬがれた建物で、現在、山内で一番古い建物となっています。東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特にすぐれたものの1つとされています。

 

正面には「浮岳山」の山号額を掲げています。形式は、主柱を3.6m間隔に立てて扉を付け、後方に細い控え柱を立てた一間薬医門とよばれるものです。柱、梁、組物などの材はケヤキ。屋根は切妻の茅葺き。屋根裏板や垂木はスギで造られています。ケヤキ部分をベンガラで赤色に、スギ部分を黒で塗った、山内唯一の彩色された建物です。

 

山門の先で見かけた掲示です。分散初詣が呼びかけられていました。深大寺では2月14日(旧暦1月3日)までを初詣期間としています。ポスターには厄除元三大師(角大師)が描かれています。これは平安の昔、元三大師が鬼の姿となり疫病神を退散したときの姿を写し取ったものです。このお姿を刷った「おふだ」は、魔除けとして知られ、特に江戸時代以降、日本中の家々の入口に貼られてきたそうです。

 

本堂にお参りします。江戸時代の本堂は幕末の火災で焼失し、大正8年に今の本堂が完成しました。平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観が一新されました。30年前とは外観がかなり異なっているようです。こちらにも分散初詣の呼びかけ。

 

現在の鐘楼です。文政12年(1829年)に建てられた旧鐘楼は大師堂裏の高台にありましたが、幕末の大火で消失し、その後、1870年に、山門を入った右手に位置を移して再建されました。

 

慈恵大師(元三大師)像を安置している大師堂です。江戸時代の大師堂は本堂の西南に東向きに建っていましたが、幕末の火災で類焼。本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。被災直後の慶応3年(1867)に本堂をさしおいて復興されました。

 

白鳳仏を安置する堂宇として昭和51年に新築された釈迦堂です。大切な仏像を火災、盗難から守るため鉄筋コンクリート造りとし、湿気の多い土地であることを考慮して高床式に作られているそうです。四本の円柱に支えられた屋根は方形造り、銅板葺きと言われるもので、頂部に露盤・宝珠をすえています。

 

ちょうど、国宝の釈迦如来像(白鳳仏)と毘沙門天像が公開されていました。HPの説明によると、

国宝「釈迦如来像」は穏やかな微笑みをたたえる飛鳥時代後期(白鳳期)を代表する仏像です。本像は、東日本最古にして都内寺院唯一の国宝仏です。また同時公開される、調布市有形文化財「毘沙門天像」は平安時代後期の作であり、深大寺創建時の本尊「深沙大王(じんじゃだいおう)」の化身と伝えられています。深大寺の古代を偲ぶ二尊を「釈迦堂」でお参りください。(引用終わり)

拝観料300円を払って外から見学することができました。

 

白鳳仏についてHPから簡単に紹介しておきます。明治42年(1909)、当時東京帝国大学助手であった柴田常恵によって元三大師堂の須弥壇下から本像は再発見され、これにより深大寺の名は本像とともに日本中に知られるようになり、大正2年に本像は旧国宝指定となりました。その後、昭和25年の文化財保護法施行で重要文化財となり、新たに国宝指定を受け、関東所在の仏像としては神奈川県高徳院銅造阿弥陀如来坐像、東京都大倉文化財団普賢菩薩騎象像に次ぐ指定となり、寺院伝来の仏像としては都内寺院唯一にして、東日本最古の国宝仏誕生となりました。そのお姿はまさに国宝にふさわしく優れた造形美を讃えています。

確かに優しいお姿でした。

 

釈迦堂の近くに元三大師の説明がありました。おみくじの創始者だったのですね。深大寺のおみくじは古来のままで凶が多いそうです。凶は吉に転じる力を秘めています。先ほど紹介した魔除けのおふだ(角大師)についても紹介されていました。

 

こちらはトイレで見かけたトイレの仏 うすさま明王。「烏枢沙摩明王」は不浄や穢れを焼き尽くす力を持った明王様です。

 

最後に本堂裏手の高台に上ってみました。開山堂です。昭和58年の開創1250年大法会記念事業として新築された奈良時代様式の堂宇です。本尊に薬師如来、脇侍に弥勒菩薩、千手観音を安置、開基満功上人、天台宗第一祖惠亮和尚の尊像を奉安しています。

 

最後に御朱印2枚を頂きました。公開されていた国宝白鳳佛と、本堂本尊の無量寿です。

 

ほぼ30年ぶりの深大寺。鬼太郎茶屋にはびっくりしましたが、調布市は水木まんがの生まれた街と映画のまちとして観光にアピールしています。京王線が地下化されたことから、調布の駅前はずいぶんと様変わりしていました。

 

映画のまちの観光パネル。

 

駅から10分ほど西に歩いたところに2年前にオープンした鬼太郎ひろば。京王線の跡地を活用しています。

 

鬼太郎の像

 

目玉おやじ

 

縁台に座る、ぬらりひょん。

 

一反木綿のベンチ。その先の公園の端からはトンネルを出入りする京王線を見ることができます。

調布の街を訪れるのも久しぶり。京王線の地上駅があった時代から随分と様子が変わっていて驚きました。

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調布の布多天神社を訪れる 2021.1.29

2021-01-30 20:49:26 | 東京都

昨日は久しぶりに調布駅で下車。鬼太郎ひろばを見学してから目的地である布多天神社へ向かいました。末社である疱瘡神社にお参りして、疫病鎮静の御朱印を頂けるという情報を入手したためです。

布多天神社は調布駅から北に歩いて10分程度。甲州街道を越えて電気通信大学と大正寺の間の参道を進むと正面に布多天神社が現れます。まずは布多天神社の御由緒についてHPから引用しておきます。

布多天神社の創建はあまりに古く定かではありませんが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる多摩地方有数の古社で、社伝によれば第十一代垂仁天皇の御代、約1940年前の創建といわれております。
 文明九年(1477年)に多摩川の洪水をさけ、古天神というところより現在地へ遷座され、その時に、御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀されました。
 江戸時代に甲州街道が作られ、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿ができ、布田五宿と呼ばれました。 当時、布多天神社は布田五宿の総鎮守であり、五宿天神と崇め祀られておりました。
 そして布田五宿は、明治二十二年に飛田給、上ヶ給と合併して調布町となり、当社は調布町総鎮守となりました。(引用終わり)

石原、下石原、上布田、下布田、国領の布田五宿の総鎮守として祀られ、その後飛田給、上ヶ給と合併して調布町の総鎮守として地元に親しまれているのですね。武蔵野の森に囲まれ、風格漂う神社です。
 
 
 

鳥居の先には保存木が続きます。その中の一本のシラカシの木は、一昨年の台風15号の強風で大きく枝が折れてしまい、参道に倒れると危険なことから伐採されてしまいました。

 

保存林を抜けると本殿の手前に養生中の御神木が見えてきます。

 

しめ縄で囲われた玉垣内にある樹齢500年のケヤキの大木が布多天神社の御神木です。貫禄の姿です。

 

本殿前の狛犬(阿形)です。寛政八年(1796年)に市の繁栄と商売繁盛を祈願して建立されました。調布市内ではもっとも古い狛犬で、調布市有形文化財となっています。

 

 

こちらは左側の吽形。掲示板の影に隠れていて、参道からは見えません(笑)。

 

右側の狛犬の先には御神牛が横たわっています。冒頭で紹介のように、1477年に現在地へ遷座された時に、御祭神である少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)に菅原道真公を配祀されました。菅原道真公は、丑の刻の御生誕で牛を大切されました。公薨去せられ葬送の途中、柩車の牛が臥して動かず、公の御霊が自ら鎮られる所を定められたとしてその地に御廟所を営み奉りました(現在の太宰府天満宮の本殿)。その他、菅原道真公牛に関する神秘的伝説が数多く残っているそうです。

 

丑は今年の干支でもあります。

 

正面の本殿にお参りします。布多天神社の本殿は、覆殿に囲まれているため直接見ることはできません。宝永三年(1706年)に再建されたもので、一間社流造で向拝の柱頭には象鼻や獅子頭が装飾されており江戸中期の建築をあらわしています。本殿は調布市指定有形文化財に指定されています。

 

本殿の右手前には神楽殿。毎月25日の月例祭に里神楽が奉納されます。節分祭には豆まき神事が、9月の例大祭では日没になると薪夜神楽が奉納され幽玄な光景が広がるようです。

 

境内では梅の花が咲き始めています。これは赤い「かごしまべに」。

 

本殿の右手には末社が並びます。まずは稲荷神社。御祭神は宇迦之御魂神。五穀豊穣、商売繁盛の守護神です。稲荷神社は2社あり、もう一つは参道の左側に位置しています。

 

続いては大鳥神社と金刀比羅神社。大島神社の御祭神は日本武尊。開運、商売繁盛の守護神です。金刀比羅神社の御祭神は大物主神(大黒様)。海上交通、船、交通安全の守護神です。

 

その右には御嶽神社、祓戸神社、疱瘡神社と並びます。御嶽神社の御祭神は櫛真知命。火災、盗難除けの守護神です。祓戸神社の御祭神は祓戸神。罪けがれ、災厄を除き清めてくださる神です。

 

そして昨日の目的であった1番右奥の疱瘡神社。御祭神は疱瘡の神。疫病を司り、疫病を鎮めてくださる神です。疱瘡神社と水木しげるのコラボによる疫病鎮静特別朱印の案内が掲示されています。

 

参道の左側には二つ目の稲荷神社。

 

その横は祓所。神職のための場であるため参拝者はここにお詣りしません。賽銭箱はありません。

 

御神木のおやこケヤキ。この方角から見ると、手前の太い木が母、その奥が父、右側が子となります。

 

おやこケヤキの説明です。家庭や子孫に関するご利益があります。

 

 

最後に御朱印を紹介します。まずは通常の御朱印。

 

目的の疫病鎮静の御朱印です。購入時にお祓いをしてもらいました。江戸末期、富山県の立山に現れたという「クタベ」という妖怪が描かれています。アマビエと共に話題になりました。

 

そしてこちらはアマビエの御朱印です。

調布市は水木しげるさんの第二の故郷と言われています。昭和34年から調布市に移り住み、調布市の名誉市民でもあります。調布の総鎮守でもある布多天神社で、水木しげるの妖怪が描かれた疫病鎮静の御朱印を購入しました。

続いてゲゲゲの鬼太郎で知られている深大寺へ向かいます。

 

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