琵琶湖岸に近い守山の幸津川(さづがわ)という町には、国選択無形民俗文化財に指定されている「すし切り祭り」 で知られる、下新川神社があります。今日は、その神社でもうひとつ行われてる、「ちまき祭」 について勉強に行ってきました。お話を聞かせてもらったのは、神社の総代をされてる方と、町内会長さん。
「ちまき祭」は、江戸時代に始まったとされ、子どもたちの健康と五穀豊穣を願うものです。いわれは諸説あるようですが、庄屋クラスのお金持ちが長男を授かったことを喜び、太鼓や神輿を作って奉納したそうで、そこから、男の子のお祭りである旧歴の端午の節句に、子どもたちがその神輿を担いで町内を回ったことが始まりとか。昔は単に「節句」という言い方やったそうですが、神輿を担いで練り歩くのにお腹が空くだろうと持たせたのが「ちまき」。各家が作った「ちまき」を子どもたちの腰にぶら下げ、みこしを担いで、町内を練り歩くのですが、会長さんたちの話しでは、「ちまき」は多い目に作って、小学校や親戚中に配るんやそうです。現在でも続いていて、多いところでは200本も作るという話です。
その「ちまき」は、京都の祇園祭や大津祭などで観られるような、クマザサで包んだものではなく、米粉で作った餅を、湖岸に自生する「よし」で包んで蒸し上げたものです。「よし」の葉というのが、独特なんですね。
「ちまき」をぶら下げることから「ちまき祭」と呼ばれるようになったそうですが、
「我々の子どもの頃は、小学校6年生が祭りの仕切りを全部自分たちでやったもんですわ。親が介入することなく、1,2年生も上級生の言うことをよう聞いて、毎年受け継がれたんです。でも、昭和50年頃からは、親が介入するようになりましたね」と総代さん。今は子ども会の行事になっているようです。
お話しの流れで、無形文化財の「すし切り祭」のお話しも聞いたのですが、会長さんたちの子ども時代の、昔の古き良き時代のお話や、当時の暮らしのようすなども聞かせていただきました。
印象的やったのは、かまどの話ですね。
「かまどで火をおこして煮炊きをしてる間、冬なら、暖をとりに子どもらが寄ってくるんですわ。その火を見ながら、子どもらにいろんな話を聞かせる。昔は、ナニひとつ無駄がなかったんです。やらなあかんこととかを、そうやって子どもらに申し送ってるんですね」
会長さんは昭和14年生まれ。
長男しかできないという、「すし仕切り」を経験したそうですが、昭和8年生まれの総代さんは、
「次男やったんで、させてもらえへんかった」らしいです。
今でも、それは受け継がれているけど、祭り自体の継続のために、祭りの一部は女の子も参加できるように変えられているんやそうです。
奥の深い話・・・
画像は「よし」の葉で包んだ「ちまき」です。6月の第3日曜日に行われます。
来年は、見に行ってこよう~!
「ちまき祭」は、江戸時代に始まったとされ、子どもたちの健康と五穀豊穣を願うものです。いわれは諸説あるようですが、庄屋クラスのお金持ちが長男を授かったことを喜び、太鼓や神輿を作って奉納したそうで、そこから、男の子のお祭りである旧歴の端午の節句に、子どもたちがその神輿を担いで町内を回ったことが始まりとか。昔は単に「節句」という言い方やったそうですが、神輿を担いで練り歩くのにお腹が空くだろうと持たせたのが「ちまき」。各家が作った「ちまき」を子どもたちの腰にぶら下げ、みこしを担いで、町内を練り歩くのですが、会長さんたちの話しでは、「ちまき」は多い目に作って、小学校や親戚中に配るんやそうです。現在でも続いていて、多いところでは200本も作るという話です。
その「ちまき」は、京都の祇園祭や大津祭などで観られるような、クマザサで包んだものではなく、米粉で作った餅を、湖岸に自生する「よし」で包んで蒸し上げたものです。「よし」の葉というのが、独特なんですね。
「ちまき」をぶら下げることから「ちまき祭」と呼ばれるようになったそうですが、
「我々の子どもの頃は、小学校6年生が祭りの仕切りを全部自分たちでやったもんですわ。親が介入することなく、1,2年生も上級生の言うことをよう聞いて、毎年受け継がれたんです。でも、昭和50年頃からは、親が介入するようになりましたね」と総代さん。今は子ども会の行事になっているようです。
お話しの流れで、無形文化財の「すし切り祭」のお話しも聞いたのですが、会長さんたちの子ども時代の、昔の古き良き時代のお話や、当時の暮らしのようすなども聞かせていただきました。
印象的やったのは、かまどの話ですね。
「かまどで火をおこして煮炊きをしてる間、冬なら、暖をとりに子どもらが寄ってくるんですわ。その火を見ながら、子どもらにいろんな話を聞かせる。昔は、ナニひとつ無駄がなかったんです。やらなあかんこととかを、そうやって子どもらに申し送ってるんですね」
会長さんは昭和14年生まれ。
長男しかできないという、「すし仕切り」を経験したそうですが、昭和8年生まれの総代さんは、
「次男やったんで、させてもらえへんかった」らしいです。
今でも、それは受け継がれているけど、祭り自体の継続のために、祭りの一部は女の子も参加できるように変えられているんやそうです。
奥の深い話・・・
画像は「よし」の葉で包んだ「ちまき」です。6月の第3日曜日に行われます。
来年は、見に行ってこよう~!