おかんのネタ帳

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両親の思い出ばなし

2014-03-24 23:35:40 | My Family


大津の丸屋町商店街にある、百町館です。
古民家を、地域の情報発信の場として、
コミュニティースペースとして解放しています。

元は、本屋さんやったらしいですね。
連休の二日目、ここで、春を歌うコンサートがありました。

行くまで、よく知らなかったんやけど、
主催した人の、家族と友だちで開く、手作りのコンサートでした。

結婚して、遠く離れて暮らしている姉妹と、
田舎でひとり暮らしをしているお母さんが来られてて、
手作りのコンサートをみんなで楽しむ・・・ちょっとほっこりしました。



私も、両親のことを思い出しましたね。

音楽の好きな父と母。

大正11年生まれの父は終戦後、戦地から熊本の田舎に戻り、
地元の大きな網元で働いてたそうです。
夢も希望もなくして帰ってきた父は、上原謙似で、
お酒は飲めないけど、歌が上手いと女性にモテたらしい。
網元に娘さんがいて、父が音楽好きと知って、
彼女の叔父が置いていったかというバイオリンを、父にくれたそうです。

革製の重厚なケースに入ったバイオリンは、ストラディバリウスと書かれて・・・
父が言うには、そんなもんが田舎にあるわけないから贋作やと。
・・・後に、父は生活のために、このバイオリンを、
演奏家らしき人に譲って欲しいと言われ、
1万円+スズキのバイオリンと交換してしまうんです・・・
お宝やったかも知れへんのに~~
・・・スズキのバイオリンは、今も健在です!

漁に出ては、海の上でバイオリンの稽古。
ま、人に迷惑をかけることもないしね。

我流ながら、それなりの音で弾けるようになって、
そのうち、ギターを弾く友だちと、いわゆるバンド活動~
でも、おしゃれなジャズとかではないですよ。
そんなん、聴いたこともない(笑)

もっぱら、古賀メロディとか、歌謡曲ですね。

そのうち、漁師に飽きて? バイオリンと小さなバックだけ持って、
大阪へ出てくるんです~~
本人曰く、バイオリンで流しでもしようかと、 
ま、思っただけで、やってなかったようですけどね。

父はやがて、溶接工として働くようになり、
母と知り合って結婚するんですけど、母を落としたのは、
バイオリンを弾きながら歌った「水色のワルツ」やったとか。

まぁ、母から聞いた話なので、大いに脚色されてたかもやけど
上原謙似のモテ男は、バイオリンの弾き語りで女を口説いてたらしく、
父のバックの中は、女性からの恋文だらけやったとか。

そんな父なので、お酒は飲めなくても、宴会にはいつもおよびがあり、
父もうれしそうに出かけていっては、バイオリンで歌うんですね。
九州の人って、ホント、宴会好きですよね~

転勤で滋賀に来てからも、父の会社には九州出身者が多くて、
社宅では時々、誰かの家で宴会があって、みんなで歌ってましたね。

そのうちカラオケができて、父はバイオリンを弾かなくなります。
そのかわり、キーボードを弾くようになりましたね。
家を建てた時、飲めないのにホームバーをつくり、
カラオケができるようにして、いろんな人が集まってきました~

そんな父が、病に倒れ、70歳で亡くなったのですが、
同じ頃、民謡をやっていたお友だちも亡くなり、
ちょうど、1年後ぐらいかな、二人を偲ぶ会を、
みなさんが開いてくれました。しかも、市民ホールで!

父のお仲間(母のお仲間でもあるけど)は、
カラオケ教室の先生やら、日本舞踊の先生、民謡の先生、
もちろん、それらの生徒さんがいるわけで、そのみなさんが、
舞台で、思い出の曲とか舞踊とかを披露しはるんです。

ま、発表会のようなものなんやけど、家族のコーナーがあって、
小唄をやってた母は小唄を披露しましたね。
私は子育て真っ最中で、音楽もやってなかったから、出てませんよ。

でも、バンドをやってた弟が、ピアノを弾く人を連れて来て、
アコースティックギターを弾きながら、
「東京の花売り娘」と「上を向いて歩こう」を歌いました。

父のお友だちたちは、みんな泣いてましたね。
弟は当時、20歳頃。声も父に似てました。

母は小唄の師範になり、父の死後も、ずっとお稽古してました。
私が仕事で出会った、滋賀県発のよし笛を吹き始めた頃、
「お父さんが生きてたら喜んだやろな」、って、よく言うてましたね~ 

なので、まだめちゃめちゃ下手くそな頃、母の小唄の会で、
母の三味線と合わせて琵琶湖就航の歌を吹いたことがあります。
今思うと、冷や汗もんですけど、少しは親孝行になったでしょうかね~

そんな母も、2006年に亡くなりました。
父のバイオリンは実家にありますが、母の三味線は私が持ってます。
でも、弾けないけどね・・・
いつか、仕事を辞めるときがきたら、やってみようかな。

笛吹もままならへんのに? 無理かな(苦笑)

でも、母も50代から小唄と三味線を始めたからね。

めっちゃ、長い昔話になりました。

おつきあい、ありがとうございます~