おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

豪徳寺から松陰神社へ

2018-11-06 23:52:37 | 旅の想い出
さてさて、豪徳寺へ!



三軒茶屋から、東急世田谷線に乗ります。
ここが出発地点(終点でもある?)の電車です。
三軒茶屋はJR山手線の渋谷駅から、東急田園調布市線で二つ目の駅。
(確認のために、地図で調べましたよ!)

東急世田谷線は、三軒茶屋から豪徳寺を経て、
新宿から出てる京王線下高井戸駅までをつなぐ路線。

豪徳寺へ行くのには、宮の坂という駅で降ります。
(豪徳寺駅まではいかないのね~)



大きな門がありました。
お寺らしくないような・・・

そこを通って歩いていくと、門が見えてきました。



このあたりは武蔵野国で、世田谷城があったそうです。
1480年、世田谷城主の吉良政忠が、伯母で吉良頼高の娘である弘徳院の住まいとして、
「弘徳院」と言う庵を結んだのが豪徳寺の始まりとか。

1633年に世田谷領が彦根藩の管轄となると、
彦根藩主・井伊直孝がこの地にやってきました。

直孝が鷹狩りに出たとき、手招きをする猫に出会い、
誘われるままにやってきたのが、この地の庵。
すると、たちまち天候が急変して雷雨になったのです。
雨に濡れるのを猫が救ってくれただけでなく
和尚の法話を聞くことができたのを喜んだ直孝は、
伽藍などを寄進、井伊家菩提寺としたのでした。

このエピソードから、ひこにゃんが生まれたんですよ!



境内には猫を祀った「招福殿」があって、
お礼参りに招き猫を奉納するそうなんですね。
その数がすごくて、招き猫発祥の地とよばれるほど、
大小さまざまな、たくさんの猫たちがいました。

こんなかんじ・・・圧巻です!

















この写真を撮ろうと外国人の方も多く訪れるようですよ。

豪徳寺では招福猫児(まねぎねこ)と呼ばれていますが、
宗務所で大小さまざまな猫を飼うことができます。



私も小さめのを購入しました。
願いが叶ったからと、お礼に奉納しなくてもいいですよ、
そうおっしゃってましたよ。お寺の奥様かな?

滋賀県から来たというと、すごくありがたがってくださって、

「伊井さんにご縁をいただいて、小さな庵が、
 こうして大きなお寺になることができたんですよ」

NHKの「直虎」のポスターが貼ってあったので、
大河ドラマの頃は、訪れる人も多かったかもね。

「ちょっとお待ちくださいね」

そういって、奥からカレンダーを持ってきてくださいました。
ありがたくいただいてきたのですが、家に帰って開けてみたら、
永平寺のカレンダーでした。
曹洞宗のお寺だからでしょうね~

・・・よく見たら、2018年・・・今年のカレンダーです。
・・・あと2か月しかないけど・・・ありがたくいただきます!



三重塔があり、その奥の方に墓所がありました。
江戸で亡くなった井伊家の藩主や家族が、
葬られているそうですよ。



井伊直弼のお墓もありました(史跡に指定されてるようです)



安政の大獄を断行したために、桜田門外で暗殺されましたね。
彦根にも伊井家の菩提寺があり(清凉寺)直弼のお墓もあったような。

彦根市民ではないけど、滋賀県民として、手を合わせてきました。

さて、豪徳寺を出てから、また世田谷線に乗り、
この沿線に吉田松陰を祀っている神社があるというので、
松陰神社前という駅で降りました。



立派な鳥居。
こちらは新しく建て直したような神社ですよ。



かつてここには長州藩主の別邸があったとか。
安政の大獄で伊井直弼によって刑死した吉田松陰。
4年後、高杉晋作など松陰の門人によって
小塚原の回向院にあった松陰の墓がこの地に改葬されたそうです。



松陰のお墓。

直弼の墓所の豪徳寺と、近いところにあるんですね。

幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、
明治元年に、木戸孝允がこれを修復整備とか。



松陰の像がありました。
松下村塾を模造した建物も建ってましたが、
土日しか開けていないらしい。

今回のミニ観光はここでおしまい。

東京駅へ向かって、お昼ご飯にしました~



ざるそばと天丼のセット。
おいしかったですよ~

そしてデザートは別のお店で~



パフェ、ですね!

つかの間の贅沢・・・これも予定通り?

楽しく過ごしてきました。

帰宅後は・・・その反動のように・・・諸々多忙。

パソコンのこともあるし・・・涙。