おかんのネタ帳

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永源寺にて

2018-11-10 22:17:25 | 湖国日記
相変わらずバタバタしてる間に、アップしそびれてますが・・・
(facebookとインスタにあげて・・・終わってましたね・・・汗)

先週、永源寺まで行ってきました。
先日、京都新聞に、井伊直滋の甲冑が発見されて、
永源寺で特別展示をしているという記事が掲載されたんですね。

なので「まだ紅葉してないで~」というダンナを誘って。



永源寺の入り口



ふりむくと、愛知川にかかる旦度橋。



山門の前。

永源寺の紅葉は、手で触れられるくらい枝が低い位置にあります。
紅葉はもう少し、ってとこですね。





山門。重要文化財。



本堂(方丈)。
何度も兵火などで焼失し、現在の建物は井伊家の援助で建立されたもの。
屋根は琵琶湖のヨシで葺かれていますが、
草葺き屋根の建物として全国でも屈指の規模。
ほんとに、大きな建物です~

南北朝時代の興安元年(1361)に、佐々木六角氏頼公が、
入高僧、寂室元光禅師に帰依し、領内の土地を寄進して、
伽藍を創建したことが始まり。多くの僧が修行し、
山中に56の末庵があったとか。
応仁の乱の頃は京都の高僧も戦火を避けてここで修行したそうですが、
長く続く戦乱の影響を受けて兵火に巻き込まれ、
多くの寺院が焼失し、衰退していったようです。

江戸期に、妙心寺の僧らが尽力して復興され、
現在の永源寺の建物の多くは江戸中期に再建されたものです。

永源寺は、姉のダンナ、つまり義兄の親元が檀家で
(臨済宗も檀家というのかな?)
義兄の葬儀も永源寺のお坊さんにお世話になりました。
なので、昔から何度も来てるし、本堂でお参りも何度も・・
お茶会にも来たことがあります。

この方丈のご本尊の奥にある小さな部屋に、
赤備えの甲冑が展示されてました。





伊井直滋は江戸で生まれて育ったお坊ちゃま。
質素倹約家の2代目直孝の長男ながら父と不仲で、
三代目を継ぐことなく晩年、俗世を離れて百済寺で生涯を閉じたらしい。

井伊家の江戸屋敷の土蔵にあるのを見つけた家臣が、
「焼いてしまおうかと思いましたが、お預けします」と、
永源寺に預けたようです。
添えられた家臣の文書も一緒に展示されてました。

永源寺は井伊家とも深いつながりがあったようで、
ここに墓所のある藩主もいるようですね。

貴重なのは、甲冑が藩主しか許されていない形やったとか。
長男で、ほぼ藩主になると思って作ってたんでしょうか。
結局、藩主にはならなかったので、しまい込まれてたのかな。



禅堂のほうにある木も少し、紅くなってました。



法堂の中に、竹細工の行灯が展示されてました。
趣味の会の方々の作品のようです。



廊下から観た紅葉。



開山堂のそばにある紅葉は一番きれいに色づいてましたね。



愛知川にかかる旦度橋から観た永源寺。

紅葉は少し早めでしたが、1週間経ってるので、ちょうど今、見ごろかな。

ここから、直滋廟がある湖東三山の一つ、百済寺にも寄ってきました。

こちらは、次回にアップします。


紅葉の見ごろは11月中旬ぐらい。

またその頃に行かないとね~!