ここに来て、楽しみなプロ野球・・・さすがに、三連勝はなかったけど、
ここんとこ調子良いですよね~?
赤星くんやらダウンしてる人もいるんやけど。
でも、5割ないのに3位っていうのもね・・・それでもCSに出られるって。
ま、いいか~
さて、先日の旅の報告の続きを・・・
「脇町」へ行く前に寄ったのが、鳴門市「ドイツ館」。
第一次大戦時、鳴門市の板東という地にドイツ人の俘虜収容所があったそうです。
何カ所かの収容所をここにを統合して、1917年から約3年間約1000人のドイツ兵士がここで暮らしていました。
当時の板東俘虜収容所長松江大佐は、たとえ俘虜といえども同じ人間なのだからと、人道的に彼らと接し、
俘虜たちは自主的な暮らしを尊重され、収容所の中で演劇や音楽などを楽しんだようです。
中でも音楽は盛んで、統合される前から各収容所ごとにあったオーケストラがずっと継続され、
俘虜生活の中で100回を超える演奏会が開催されていたとか。
また、地元民との交流も活発に行われたので、多くのドイツ文化が伝えられました。
板東の人たちは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景が
あたりまえのように見られるようになったそうです。
ドイツ館は、そういう俘虜として収容されたドイツ兵と地元の人々との
温かい交流、友好を後世に伝えようと、昭和47年に建てられた記念館です。
収容所の跡地は公園になっていますが、そこにベートーベンの像がありました。
ベートーベンの「第九交響曲」の、日本国内初演がこの収容所の音楽会と言われています。
館内の第九シアターでは、30分おきに等身大の人形たちが、当時の様子を再現していました~
鳴門「ドイツ館」のそばにあるのが「賀川豊彦記念館」。
ドイツ館と共通入場券があったので入ってきたんやけど・・・・
賀川さんて、だれ~?って、ホンマに無知な私なんですけど、鳴門出身の、
社会的弱者のために、常にその時代の最も重要な課題に取り組んだ方です。
小説家でもあるけど、キリスト教の宣教師として、
ボランティア精神で貧しい人々の救済活動をした方のようですね。
帰宅してから気付いたんやけど、この先に、このドイツ俘虜収容所の松江大佐を描いた映画、
「バルトの楽園」のロケセットが残ってたらしいんです。
バルトロケ村!!
もう~、そこまで調べてなかったんですよね~ ウチのダンナ!
せっかくやし、見たかったやんか~
また、行かなあかん・・・
ここんとこ調子良いですよね~?
赤星くんやらダウンしてる人もいるんやけど。
でも、5割ないのに3位っていうのもね・・・それでもCSに出られるって。
ま、いいか~
さて、先日の旅の報告の続きを・・・
「脇町」へ行く前に寄ったのが、鳴門市「ドイツ館」。
第一次大戦時、鳴門市の板東という地にドイツ人の俘虜収容所があったそうです。
何カ所かの収容所をここにを統合して、1917年から約3年間約1000人のドイツ兵士がここで暮らしていました。
当時の板東俘虜収容所長松江大佐は、たとえ俘虜といえども同じ人間なのだからと、人道的に彼らと接し、
俘虜たちは自主的な暮らしを尊重され、収容所の中で演劇や音楽などを楽しんだようです。
中でも音楽は盛んで、統合される前から各収容所ごとにあったオーケストラがずっと継続され、
俘虜生活の中で100回を超える演奏会が開催されていたとか。
また、地元民との交流も活発に行われたので、多くのドイツ文化が伝えられました。
板東の人たちは、俘虜たちを「ドイツさん」と呼び、彼らとの間で日常的な交歓風景が
あたりまえのように見られるようになったそうです。
ドイツ館は、そういう俘虜として収容されたドイツ兵と地元の人々との
温かい交流、友好を後世に伝えようと、昭和47年に建てられた記念館です。
収容所の跡地は公園になっていますが、そこにベートーベンの像がありました。
ベートーベンの「第九交響曲」の、日本国内初演がこの収容所の音楽会と言われています。
館内の第九シアターでは、30分おきに等身大の人形たちが、当時の様子を再現していました~
鳴門「ドイツ館」のそばにあるのが「賀川豊彦記念館」。
ドイツ館と共通入場券があったので入ってきたんやけど・・・・
賀川さんて、だれ~?って、ホンマに無知な私なんですけど、鳴門出身の、
社会的弱者のために、常にその時代の最も重要な課題に取り組んだ方です。
小説家でもあるけど、キリスト教の宣教師として、
ボランティア精神で貧しい人々の救済活動をした方のようですね。
帰宅してから気付いたんやけど、この先に、このドイツ俘虜収容所の松江大佐を描いた映画、
「バルトの楽園」のロケセットが残ってたらしいんです。
バルトロケ村!!
もう~、そこまで調べてなかったんですよね~ ウチのダンナ!
せっかくやし、見たかったやんか~
また、行かなあかん・・・