団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

出生

2007-11-11 20:35:48 | 家族

出生

2007年11月11日(日)


 私が子どもの頃、母が親戚の人に言った話だが、その場にたまたま私も居たので聞いてしまった。
 母は、私が出生した時、私のことを「この子は育つのだろうか」と心配したというのだ。
 母は、親戚の人に、「この子は睾丸に色素が沈着していなく、真白だった。」と言った。それでなぜ、母が私のことを「育つか育たないか」考えたのかはわからない。

 しかし、私の母は、ただの産婦として思ったのではない、当時は産婆といっていたが、助産師をしていて、それこそ何百人の赤ちゃんをとりあげた、いわば、「新生児を見るプロ」だったのだ。

 その母が思ったのだから何らかの根拠はあったに違いないのだが、結局、私は還暦まで生きた。(無駄に禄を食んだとも言うべきか。)

 還暦まで生きたが、しかし、医学が進歩していなければ、私は少なくとも、3度は死んでいる。
慢性副鼻腔炎で2回手術をしたが、手術をしなければ、多分肺炎等を併発して死んでいただろう。後の1回は間違いなく、虫垂炎で死亡。慢性になっていて、薬で「散らして」いたが、手術をした時は破裂寸前だったという。

 さて、睾丸の色素の話であるが、他人と比べて程度がどうのこうのということまでは分からないが、現在は色素はある。また、2人の子どもも生まれたので生殖機能もあった。
 
 ただ、私は、男としては色白の方で、女性の平均的な白さより、白いかもわからない。案外そういったことが、生まれた時に、色素が沈着していなかった原因かもしれない。

 ところで、母が助産師をしていたので、非常に珍しい話を聞いたことがある。
 「ひとつ目」の子どもをとりあげたことがあるというのだ。もちろん死産で、そういう場合は、産婦には当然告げず、すぐ布に巻いて隠したそうだ。

 私の出生は、1947年8月4日。 
 人生時計「0:00」 おぎゃー おぎゃー

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