出生
2007年11月11日(日)
私が子どもの頃、母が親戚の人に言った話だが、その場にたまたま私も居たので聞いてしまった。
母は、私が出生した時、私のことを「この子は育つのだろうか」と心配したというのだ。
母は、親戚の人に、「この子は睾丸に色素が沈着していなく、真白だった。」と言った。それでなぜ、母が私のことを「育つか育たないか」考えたのかはわからない。
しかし、私の母は、ただの産婦として思ったのではない、当時は産婆といっていたが、助産師をしていて、それこそ何百人の赤ちゃんをとりあげた、いわば、「新生児を見るプロ」だったのだ。
その母が思ったのだから何らかの根拠はあったに違いないのだが、結局、私は還暦まで生きた。(無駄に禄を食んだとも言うべきか。)
還暦まで生きたが、しかし、医学が進歩していなければ、私は少なくとも、3度は死んでいる。
慢性副鼻腔炎で2回手術をしたが、手術をしなければ、多分肺炎等を併発して死んでいただろう。後の1回は間違いなく、虫垂炎で死亡。慢性になっていて、薬で「散らして」いたが、手術をした時は破裂寸前だったという。
さて、睾丸の色素の話であるが、他人と比べて程度がどうのこうのということまでは分からないが、現在は色素はある。また、2人の子どもも生まれたので生殖機能もあった。
ただ、私は、男としては色白の方で、女性の平均的な白さより、白いかもわからない。案外そういったことが、生まれた時に、色素が沈着していなかった原因かもしれない。
ところで、母が助産師をしていたので、非常に珍しい話を聞いたことがある。
「ひとつ目」の子どもをとりあげたことがあるというのだ。もちろん死産で、そういう場合は、産婦には当然告げず、すぐ布に巻いて隠したそうだ。
私の出生は、1947年8月4日。
人生時計「0:00」 おぎゃー おぎゃー