祖父
2007年11月14日(水)
私の父方の祖父は、私に甘かった。家族構成は、祖父母、両親、兄と姉各2人そして私の9人だった。
祖父にとってみれば、私が一番小さい孫で可愛かったのだと思う。
この祖父は、生活のため、半農半漁を行っていた。私が物心ついた1951年か1952年(4・5歳)の記憶だが、畑も小さく、漁といっても伝馬船で一本釣りするくらいなものだから、収入を得るというより、自給自足の足しにしていたようなものだ。
祖父は実直な人で、曲がったことを許さない性格だった。ある時、浜に大量の材木が流れ着いたことがあった、積船から落ちたのだろう。近所の人はその材木を拾い集めたということだが、私の祖父は見向きもしなかったという。
祖父との最初の思い出は、釣りに連れていってもらったことだ。4歳か5歳だったろう。今でもはっきり覚えているが、かなり大きなこちが釣れた。私が釣ったというより、祖父が用意万端してくれただけなのだが。
しかし、私は釣りは趣味にはならなかった。気が短い性格で、釣れるか釣れないかで、じっと待っているということが耐えられないのだ。
祖父が私に甘かったことで、他の兄姉から恨みをかっていた。庭に2本ほど柿(富有柿)の木があり、秋の実になる時期になると、祖父は毎日観察して、無くなっていると、犯人探しをするのだ。兄姉の場合だと、祖父は叱った。しかし、私の場合は何も言わなかった。私に甘かったのである。
さて、富有柿の味であるが、大ぶりな方で、祖父の甘さとは違った甘さがあった。
祖父の目を盗んで、柿を取って食べたのは、4・5歳頃
人生時計「4時30分頃」 チン