動物管理センターの子猫ちゃんとある家族の出産(話題)
2008年2月4日(月)
4日の前半のブログで、私の「退職送別会」のことを書いた。その会で、「送る言葉」を述べてくれた人が、私が2002年7月20日に書いた文書を読み上げた。次はその要旨である。
数日前、動物管理センターへ行ってきました。かわいい子猫ちゃんがいたら欲しい人がいるかも知れないので、デジカメで映して、誰かに見てもらおう、そして引き受けてもらおうと思ったのです。果たせるかな、確かにかわいい子猫ちゃんがいました。そして写してきました。
しかし、安易な気持ちで子猫を引き受けるという甘い考えは無残に打ち破られました。子猫を引き受けるには非常に厳しい条件があり、それは、
①「家族全員が同意していること。
②動物が一生涯幸福に過ごせると認められる場所であること。
③「動物飼い方教室」を受講すること等々。
これらの条件を満たすと申し立てても、担当職員が確認に訪問するというのです。
動物といえども、命をあずかるためには、それだけの厳しさが必要なのだろうと深く考えさせられました。
一方、最近聞いた話ですが、ある家族に子どもが生まれました。生まれた子どもと同居している祖母は、子どもの父親の「名」は知っているが「姓」は知らないということです。つまり、子どもの父親のことはよく知らないのです。
子どもの父親についてよく知らないからといって、生まれた子どもに対して責任を持っていないとは必ずしも言えないかもしれません。
しかし、先の子猫を引き受けるときの条件と較べて、あまりの落差に愕然としたものを感じました。
ともあれ、新たな「いのち」の誕生は何時いかなる状況の中でも、等しくおめでたいものです。
私は、この家族に、こころから「おめでとう」と言いたい。
この生まれた子どもにとって、非常に厳しい環境が待っています。
①生活が経済的に非常に苦しい家庭であるということ。
②先の祖母の無責任な立場とも思える態度など。
③母親が犯罪に係わっているかも知れないということ、等など。
こういった状況にあっても、いやあるからこそ。この子どもが心身共に健全に育つよう、私を含めて、世の中全体で支援を行うことを強く感じるのです。
注 写真は、本文とは関係ありません。私の姉のところの猫です。
2008年2月4日(月)
4日の前半のブログで、私の「退職送別会」のことを書いた。その会で、「送る言葉」を述べてくれた人が、私が2002年7月20日に書いた文書を読み上げた。次はその要旨である。
数日前、動物管理センターへ行ってきました。かわいい子猫ちゃんがいたら欲しい人がいるかも知れないので、デジカメで映して、誰かに見てもらおう、そして引き受けてもらおうと思ったのです。果たせるかな、確かにかわいい子猫ちゃんがいました。そして写してきました。
しかし、安易な気持ちで子猫を引き受けるという甘い考えは無残に打ち破られました。子猫を引き受けるには非常に厳しい条件があり、それは、
①「家族全員が同意していること。
②動物が一生涯幸福に過ごせると認められる場所であること。
③「動物飼い方教室」を受講すること等々。
これらの条件を満たすと申し立てても、担当職員が確認に訪問するというのです。
動物といえども、命をあずかるためには、それだけの厳しさが必要なのだろうと深く考えさせられました。
一方、最近聞いた話ですが、ある家族に子どもが生まれました。生まれた子どもと同居している祖母は、子どもの父親の「名」は知っているが「姓」は知らないということです。つまり、子どもの父親のことはよく知らないのです。
子どもの父親についてよく知らないからといって、生まれた子どもに対して責任を持っていないとは必ずしも言えないかもしれません。
しかし、先の子猫を引き受けるときの条件と較べて、あまりの落差に愕然としたものを感じました。
ともあれ、新たな「いのち」の誕生は何時いかなる状況の中でも、等しくおめでたいものです。
私は、この家族に、こころから「おめでとう」と言いたい。
この生まれた子どもにとって、非常に厳しい環境が待っています。
①生活が経済的に非常に苦しい家庭であるということ。
②先の祖母の無責任な立場とも思える態度など。
③母親が犯罪に係わっているかも知れないということ、等など。
こういった状況にあっても、いやあるからこそ。この子どもが心身共に健全に育つよう、私を含めて、世の中全体で支援を行うことを強く感じるのです。
注 写真は、本文とは関係ありません。私の姉のところの猫です。