団塊世代人とクラシック音楽と(日記)
2008年2月21日(木)作成
2月17日、私の携帯電話が震えた。登録のない、「050」から始まるIP電話からだ。
私の携帯に電話がかかることは、1日平均1回もないくらいである。そのため、恐るおそる、「もしもし」と出ると、Oさんという方だった。
Oさんは、広島市出身で、現在東京で経営コンサルタントをしており、中国新聞の「緑地帯」というコラムにリヒテルのことを書いた方である。
私は、Oさんの記事に触発されて、ブログにリヒテルのことを書いた。(2008年2月11日「スヴァトスラフ・リヒテル」参照)
書いた後、どうしてもこの方と連絡を取りたいと思った。
そのコラムの担当者に、Oさんへ連絡を取ってもらうようお願いし、Oさんが私に、電話をしてくれたものだ。
思わず、10分以上、話し込んでしまった。
お互いリヒテルに心酔している者として、その演奏会、そのCD、そして、音楽にまつわる話と、際限ない感じで話が及んだ。
吉田拓郎、K高校で音楽の教師をしていたM先生、広島交響楽団の指揮者をしていた井上一清先生、NHK交響楽団で首席フルーティストだった宮本明恭さんなど。
同じ団塊世代人として、Oさんとの話は逐一波長が合った。
FM放送を「2トラ38」で録音していたということだったので、オーディオの趣味もありそうだ。私は「4トラックオープンリール」でFM放送を録音していた。
Oさんは、仕事で、広島には時々こられる様子だったので、今度広島で会うことを約束した。
考えてみると、私には、団塊世代人同士として、クラシック音楽のことを語り合える知人がいない。
Oさんとの初会が楽しみだ。
2008年2月21日(木)作成
2月17日、私の携帯電話が震えた。登録のない、「050」から始まるIP電話からだ。
私の携帯に電話がかかることは、1日平均1回もないくらいである。そのため、恐るおそる、「もしもし」と出ると、Oさんという方だった。
Oさんは、広島市出身で、現在東京で経営コンサルタントをしており、中国新聞の「緑地帯」というコラムにリヒテルのことを書いた方である。
私は、Oさんの記事に触発されて、ブログにリヒテルのことを書いた。(2008年2月11日「スヴァトスラフ・リヒテル」参照)
書いた後、どうしてもこの方と連絡を取りたいと思った。
そのコラムの担当者に、Oさんへ連絡を取ってもらうようお願いし、Oさんが私に、電話をしてくれたものだ。
思わず、10分以上、話し込んでしまった。
お互いリヒテルに心酔している者として、その演奏会、そのCD、そして、音楽にまつわる話と、際限ない感じで話が及んだ。
吉田拓郎、K高校で音楽の教師をしていたM先生、広島交響楽団の指揮者をしていた井上一清先生、NHK交響楽団で首席フルーティストだった宮本明恭さんなど。
同じ団塊世代人として、Oさんとの話は逐一波長が合った。
FM放送を「2トラ38」で録音していたということだったので、オーディオの趣味もありそうだ。私は「4トラックオープンリール」でFM放送を録音していた。
Oさんは、仕事で、広島には時々こられる様子だったので、今度広島で会うことを約束した。
考えてみると、私には、団塊世代人同士として、クラシック音楽のことを語り合える知人がいない。
Oさんとの初会が楽しみだ。