碗
2007年11月10日(土)
「碗」とは、食べ物を入れる陶磁器のことである。
このせっかくの物を、私の職場の食堂では使い渋っている。
ご飯を皿に盛って出すのだ。皿だとすぐに冷めて、パサパサした感じにもなり、美味しくない。
一方、ご飯の碗は、日本人の2,000年もの知恵の結晶で今のような形、つまりご飯を一番美味しく食べることができるし、かつまた使いやすいものになったものだと思う。
私は食堂の店長に、ご飯は碗に盛って出すよう要求しました。
私:「あなたはご自宅でご飯を皿で食べていますか?」
店長:「碗で食べています。」
私はこのやりとりを通じて、期待をした。
ところが、その後も一向に変わらない。食堂としては、皿で出すことで、何らかのメリットがあるのだろう。例えば、洗いやすいとか、重ねた時に場所をとらないとか。つまりコストが削減されるのだ。
しかし、私は皿で出すことで多少のメリットがあったとしても、日本人の長年の知恵の結晶に比肩しうるものではないと思っている。
以後、私はこの食堂を利用するときは、ご飯は碗に盛ってもらうようにしている。職員の方が、面倒くさがらずにしてくださるのが、唯一の救いだ。
こういうことにこだわる私がおかしいのか。それとも食道の経営はコスト削減のため、こういうところまで追い込まれているのか。私なら10円高くなっても「碗」を選ぶ。
私には、先人の数知れない試行錯誤によって、ご飯を一番おいしく食べることができる形になった「碗」が、皿ごときに取って変られたことを悲しんで、「ワンワン」泣いているような気がする。