団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

またゾロ サラ金(話題)

2008-02-13 10:21:58 | Weblog
              またゾロ サラ金(話題)

                           2008年2月13日(水)

 2月10日、電車の吊り広告で見ました。
 「きりん、さげました。」。「?」。「きりんがさげた」って何だろう?
 もう一度良く見ると、「きりん」ではなく「きんり」ではないですか。普通「金利」と書くのではないでしょうかね。

 きりんが頭を「下」げて、「きんり、さげました。」と「新しい利率の札」をくわえて「提」げている。
 駄洒落派の私として、この広告のセンスは買うとしても、憂鬱になりました。

 ひところ、サラ金のTVコマーシャルが激しい時がありました。
 私は、このコマーシャルを見ると、ホントに、胸が「ムカムカ」してきましたので、すぐにチャンネルを替えていました。

 これが、また復活するのですかね・・? イヤですねぇ。

 「グレーゾーン金利」と言われる、利息制限法と出資法の間の金利が、2006年1月13日の最高裁判所の判決で「違法」ということになり、社会的批判もありコマーシャルを「自粛」していたのでしょうか。それが、「ゾロ復活」です。
「またゾロ サラ金」です。

 2月3日のTV番組「サンデープロジェクト」で、このグレーゾーン金利について、(株)フィナンシャル社長の木村剛氏(竹中平蔵氏の右腕と言われていた人物で、私は竹中氏が嫌いだから、したがって木村氏も嫌い。)が、「貸した時は合法なのに、遡って違法だというのは、法治国家ではあり得ない」、という趣旨の発言をし、最高裁の判決を批判していました。

 「罪刑法定主義」というやつですね。確かに、罪刑法定主義は近代法治国家の大原則です。しかし、先のグレーゾーン金利の問題は、裁判所の判断が、貸付けた時より後になっただけで、罪刑法定主義にもとるとは、私は思いませんですけどね。

 「またゾロ」の背景には、サラ金の規制を厳しくすると、ヤミ金を横行させるようになる、との議論がありますが、私はヤミ金並の取り立てを行っていたサラ金業者をいくらでも知っていますがね。
 
 こういったサラ金業者から、献金を受け取っている政治屋がいると聞いていますが、こういった輩が、サラ金業者に有利な活動をするなんぞといったことを想像するだに、怖いですね。

 とまれ、
「サラ金復活 万歳!」
「規制緩和 万歳!!」
「新自由主義 万歳!!!」

 あっ、反対でした。つい、コマーシャルが知らず知らずの間に、私の頭を洗脳していたんですね。(怖)
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燃費向上グッズ(日記)

2008-02-12 18:04:40 | Weblog
             燃費向上グッズ(話題)

                           2008年2月12日(火)

 いやー、だまされちゃいました。
 燃費向上グッズ、付けてるんですよ。

 2月9日付けの朝日新聞によると、
 「自動車に取り付けたり、燃料タンクに入れたりするだけで、『燃費が向上する』と表示した商品について調査していた公正取引委員会は8日、カー用品店などで販売していた16商品について、燃費向上の根拠がないとして、景品法違反(優良誤認)に当たると判断し、製造・販売していた計9社に対し、表示の停止や再発防止を求める排除命令を出した。」
 とある。

 この、16商品の中に、私が付けていた「燃費向上グッズ」(サン自動車工業の「ホットイナズマポケット」)があったんです。(かっこ悪ー)
 まあ、もともと怪しいとは思っていたんですが、「燃費向上のためなら」と藁をも掴む思いで、わらわも買ったのです。

 でも、あることで、効果があったんですよ。
 昨年職場が一緒だった30代の男性なんですけど、喫煙家で、彼の健康を心配するあまり、いや、私が単に嫌だっただけなんですけど。

 彼に「禁煙グッズ」だと偽って、「運転する時、これを付けていれば、煙草を欲しいと思わなくなるんですよ。」と言って、彼に付けさせたのです。
 なにせ、シガーソケットに差し込むタイプなので、シガーライターが使えません。

 彼曰く、「確かに、あのブルーのライトを見ると、吸いたくなりませんね。」

 やったー、マインドコントロールできた、と喜びましたが、なんのことはない、私自身がマインドコントロールされていた訳ではないですか。
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スヴャトスラフ・リヒテル

2008-02-11 18:04:45 | 音楽
            スヴャトスラフ・リヒテル

                           2008年2月11日(月)

 ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル(1915-1997)のことは、以前からブログに書こうと思っていた。しかし、なかなか書けなかった。それは、思い出せない部分があったからなのである。

 そうした中、2月7日の中国新聞のコラム「緑地帯」にリヒテルのことを書いている人がいた。広島市出身で、東京で経営コンサルタントをしているOさんという方だ。

 この方のコラムを読んで、私もリヒテルのことを書くことができるようになった。それは、Oさんが私の思い出せなかった記憶を補ってくれたからである。Oさんのおかげで、リヒテルの演奏会の「年月日」が分かった。


 リヒテルが初めて広島で演奏をした時の様子は、昨日のことのように覚えている。
  
 「1970年9月22日」、私は広島市公会堂の最前列の左端辺りに座っていた。予鈴が鳴るや、それまでざわついていた満員の客席が、水を打ったように静まりかえった。後にも先にも、予鈴で静かになった演奏会は初めてである。

 リヒテルは、東西冷戦のもと、西側諸国での演奏会デビューが遅く、長らく「幻のピアニスト」と言われていた。それだけに、この日の聴衆の期待は否が応にも高まった。その高まりが客席に、「静」という緊張感をもたらしたのだ。

 シマノフスキーは、私にとって馴染みがなく、初めて聞く作曲家であった。
 リヒテルは、知る人ぞ知る、大男でいわばゴリラのような体格をしている。
 そのリヒテルが、ピアノに襲いかかるように、満身の力を込めて、ピアニッシモを演奏するのだ。無音の録画を見せられたら、フォルテッシモで演奏しているようにしか見えないだろう。後にも先にも、これだけ力を込めたピアニッシモの演奏は経験したことがない。

 圧巻は、プロコフィエフのピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」だった。「戦争」というだけに、激しい曲なのだ。その激しさは、ピアノの蓋が「ぐらぐら」と揺れ、あたかもピアノが、悲鳴を上げているかのようだった。私は眩暈がするような興奮を覚えた。後にも先にも、この「フォルテッシモ!」という演奏会に出会ったことはない。

 Oさんは言う。
 「当時、私は23歳。人生をどのように生きたらいいのか、答えが見つからず悶々としていた時期であった。そんな時のリヒテルとの出会いは私には生涯忘れることができない。どれだけ大きな希望と勇気を授けてもらったことか。」

 当時、Oさんと同じ23歳であった私であるが、私の彷徨は、振幅の狭いものであった。リヒテルのピアニッシモからあのフォルテッシモのように振幅の広いものであれば、私の人生は違ったものになっていたように思う。

 リヒテルの演奏を聴いたのは、1970年9月22日。
 私の「人生時計」 12時42分 チン


(修正)
2008年2月18日、一部修正。
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続・広陵高等学校のO.T君(日記)

2008-02-09 18:13:05 | Weblog
            続・広陵高等学校のO.T君(日記)

                            2008年2月9日(土)

 おととい、岩国市へ行きました。二つの目的があり、その一つは、きのうのブログに書きました。
 もう一つは、2007年8月24日のブログ「広陵高等学校のO.T君」で書いたO.T君の弟さんに会うためだったんです。

 その前に、写真の説明を!

 海鮮炭火焼の「盛り合わせ」です。種類が多い!ホタテ、サザエ、ハマグリ、タラバ、シシャモ、カマス、ホッケ、イカ干物、あげ豆腐、あげはん、の10種類。

 弟さんの店を探していて、見つけたのです。店の名前は「魚と家」(ととや)。大島産の魚介類を「売り」にしているのも、親近感がわきました。私のブログにも書きましたのでね。(2008年1月16日「周防大島」)

 ちょうど運良く、開店記念ということで、この盛り合わせが半額セール(1,850円→925円)。食べないわけにはいかないじゃないですか。
 
 炭火で焼くのですが、一人ということもあり苦労しました。焼け具合に注意を払う必要があるし、あせると魚の皮が網で剥がれるし、サザエの身を出すのに火傷しそうになるし。
 肝心の味の方は、「?」、焼くのに気が取られてよく覚えていません。
 でもきっと、美味しかったのでしょうね。飲み物含めて3,008円也。満足・満腹。

 さて、弟さんとの話で、私の「記憶」には「時空の歪み」があることが分りました。単に忘れているだけでなく、間違って(歪み)覚えているのですから。

 O.T君ですが、パリーグの審判を約30年し、最後は審判部長をして55歳で定年。今は中国の人を育成している、ということでした。

 宇根投手ですが、今でも、高校野球の解説をしておられるということでした。県内戦ということでしたがね。

 弟さんですが、甲子園には3回出場。ポジションは3塁と遊撃。キャプテンをしたというのは、弟さんの方でした。この方は野球とは関係のない人生のようでした。

 広島への帰りの電車(約50分)、次から次に変わっていく街の灯りを見ながら、私は、はるか時空の彼方に過ぎ去った私の高校時代の一齣一齣を思い出していました。

 「ゴトン」。衝撃に目が覚めると、ちょうど広島駅でした。車外に出て、寒さに思わず身をすくめました。
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岩国市長選挙(話題)

2008-02-08 09:09:06 | Weblog
              岩国市長選挙(話題)

                            2008年2月8日(金)

 昨日7日、山口県岩国市へ行った。(広島から電車で40分)二つ目的があった。
 一つは、米艦載機移転が争点になっている、市長選挙の様子を「肌」で感じようとしたことだ。(もう一つは明日のブログで書きます。)

 艦載機が移転されるとどうなるか、ということであるが、

 岩国基地      現在     再編後    (参考)嘉手納基地
・配備機数      90機  →  142機       約100機
・年間離着陸数    4~5万回 → 10万回以上     約7万回
・米兵・軍属・家族  約6,200人 → 約13,000人    約9,700人
   注 岩国基地は、米軍・自衛隊機の合計

 つまり、現在「極東最大」といわれている嘉手納を上回ることになる。 

 駅前で、ビラを配っている青年がいたので聞いてみた。

私 : 国は、艦載機を受け入れないと、庁舎建設の補助を出さないと言っているが、関係があるのか。
青年: 96年橋本内閣の時、「SACO」同意というのがあり、それは沖縄から空中給油機を受け入れるというものだったが、岩国はそれを受け入れ、その時に庁舎建設の補助が出るということになっていた。
    したがって、今回補助金を出さないというのは、全く道理が通らないものだ。
私 : 今日、戦闘機は飛んでいないのか。
青年: ここ数日はおとなしい。選挙があるからなのだろう。

 ところで、今日の中国新聞に、外務省元主任分析官の佐藤優氏が「社会を破壊 カネ信仰」と題して記事を書いている。
 その中で佐藤氏は、「新自由主義が浸透することによって、権力、情報がすべてカネと交換可能であるという宗教を知らず知らずのうちに誰もが信仰するようになった」という趣旨のことを書いている。
 私もほぼ同感であるが、更に付け加えたい。それは、「権力、情報」だけでなく「魂までも」ということである。

 今回の岩国市の庁舎建設に当たっての国の対応は、正に「魂をカネで買おう」としていることではないか。

 米軍再編に協力しない岩国市に対して、かつて約束していた庁舎建設の補助金を出さない。艦載機を受け入れれば、出す。
 このようなやり方には、広島県の藤田知事でさえ、「札束でほおをなでるような手法はいかがなものか」と批判している。

 私は、今回の選挙は、「魂をカネで売るのか、売らないのか」の選挙であると思っている。

(追記)
 写真は、前市長派の青年が配っていたビラです。戦闘機を撮ろうと思っていたのですが、本文に書いたように飛行を「自粛」していたようです。不気味な戦闘機を撮りたかったのに、残念。
 「SACO」同意の件は、裏付けはとっていません。
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みつけんぼ(日記)

2008-02-07 22:01:46 | Weblog
                みつけんぼ(日記)

                            2008年2月7日(木)

 今朝、微笑ましい光景に出くわした。

 出勤途上、30代と思しき女性が、突然道端の柱の陰に屈んだ。
 私とすれ違う瞬間だったため、どうしたのだろうかと驚いた。
 しかし、今の時世、こういうことがあっても、なかなか声がかけられない。

 少し気になったが、歩き続けた。
 と、3歳くらいの女の子が、「おかあさ~ん」と言いながら、その女性に向かって走ってきた。

 その女性は、「かくれんぼ」のつもりだったのだ。
 女性が隠れた場所は、女の子から丸見えだった。つまり、女の子は以前にお母さんが隠れていた場所を知っていて、お母さんが見える方向から走ってきたのだろう。
 二人は、「かくれんぼ」をよくしているのだと思った。

 女の子はお母さんの胸に飛び込み、二人は、抱き合った。
 寒い朝だったが、心が温まった。


 僕も、新婚時代、「かくれんぼ」をしました。狭い2DKの借家でしたから、隠れるところは少なかったです。押入れは言うに及ばず、洋服箪笥やら何やら、隠れるところはどこでも。押入れの天井に蜘蛛のように張り付いて隠れる忍者のようなこともしました。

 でも、「かくれんぼ」って、見つけてくれないと困るんですよね。いつまで経っても自分の方からは出ずらくて。
 少し、音を出して、催促なんかしたりして。
 僕の場合は、見つけて欲しいので、「みつけんぼ」でした。
 その当時は、新妻も喜んでくれました。

 今同じことをすると、何と言われるか。怖くてできません。

 年取って 同じことして 疎まれて
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引き返す勇気(話題)

2008-02-06 17:29:40 | Weblog
              引き返す勇気(話題)

                            2008年2月6日(水)

 国道488号線。広島県の恐羅漢山で行方不明だったスノーボードの人たちが発見された道路である。

 もう10年くらい前になると思うが、私はこの国道488号を広島県の吉和から島根県の匹見まで、オートバイ(確かカワサキZRX1100)で通ったことがある。「匹見峡」へ行こうと思ったのだ。
 吉和の中津谷という所(中国自動車道の「吉和SA」の近く。)から入ったが、この道は中国山脈の尾根の県境までは、中津谷川の渓流に沿っており、清流のせせらぎが実に清々しい良い場所なのだ。

 私は、国道ということを「信じて」進んでいったが、県境を越えると、とたんに砂利道のようになり、ハンドルはとられるは、タイヤが砂利を跳ねて車体に当たるは、狭くて何時対向車が来るか分らない恐怖とか、とんでもない道に入ったと思った。(オートバイで、下りの砂利道は恐いですよ!)

 途中、何度も引き返そうと考えた。しかし、「せっかくここまで来たのに」という思いと、Uターンする適当な場所がないこともあって、とうとう匹見まで行ってしまった。そして、もう「こりごりだ」と思い、なぜ途中引き返す勇気がなかったのかと「反省」した。

 今回のスノーボードで遭難した7人の中に、登る途中「引き返した方が良い」と考えた人もいたと思う。
 第三者的にみると、なぜ、引き返さなかったのかと、不思議に感じるかもしれない。
 しかし、「引き返す」というのはなかなか難しいものだ。

 似たような例をあげると、結婚の相手に失敗したと思っても、なかなか別れることができないようなものだ。(蛇足)
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刑事原告人(話題)

2008-02-05 17:28:35 | Weblog
          加害者処遇状況等に関する通知制度(話題)

                            2008年2月5日(火)

 2月1日、出勤すると、机の上に「配達証明」で一通の封書があった。
 差出人を見ると、住所は「東京都千代田区霞が関1-1-1」とあるではないか。「1-1-1」!どこかの官庁だということは直ぐに推察できた。しかし役所名の記載はなく、個人名のみが書いてあった。その氏名には心当たりはない。

 人間、心当たりのないことに遭遇すると、「防御反応」がまず起こるのか?
 「何かバレたかな?」正直そう思った。60年も生きると、使い古した竹竿のように、すねに傷を持っている。

 開けてみると、「最高検察庁」からであった。
 私が刑事原告人になった裁判(2007年11月17日「刑事原告人」参照)で、被告の3年の懲役刑が確定した。
 ついては、加害者の処遇状況等について、通知することを希望するかどうかというものであった。

 「処遇状況等」の内容は次のとおりである。(一部抜粋)
①刑の執行終了予定時期、刑事施設の名称、受刑中の刑事施設における処遇状況(定期的に通知)など。
②仮釈放審理が開始されたこと、審理を行う地方更生保護委員会の名称、仮釈放審理の結果など。
③刑務所から釈放された場合の保護観察をつかさどる保護観察所の名称、保護観察中の処遇状況(定期的に通知)、保護観察の終了年月日など。

 要は、加害者からの「復讐」を防ぐ手立ての一つだと感じた。

 参考までに、法務省は、3人の死刑を2月1日午前に執行した。その内の一人(65歳)は、89年、強姦した被害者の女性が警察に届け出たことを恨み、服役後の97年にこの女性(当時44歳)を刺殺した、という。
 この事件は被害者が1人であることなどから、一審判決は無期懲役だったが、二審が破棄して死刑とした、とある。
 「お礼まいり」を厳しく断罪したのだ。

 私への加害者は、危険人物と思っているので、表題の申出書を出すことにした。
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動物管理センターの子猫ちゃんとある家族の出産(話題)

2008-02-04 17:20:07 | Weblog
動物管理センターの子猫ちゃんとある家族の出産(話題)

                            2008年2月4日(月)

4日の前半のブログで、私の「退職送別会」のことを書いた。その会で、「送る言葉」を述べてくれた人が、私が2002年7月20日に書いた文書を読み上げた。次はその要旨である。


 数日前、動物管理センターへ行ってきました。かわいい子猫ちゃんがいたら欲しい人がいるかも知れないので、デジカメで映して、誰かに見てもらおう、そして引き受けてもらおうと思ったのです。果たせるかな、確かにかわいい子猫ちゃんがいました。そして写してきました。

 しかし、安易な気持ちで子猫を引き受けるという甘い考えは無残に打ち破られました。子猫を引き受けるには非常に厳しい条件があり、それは、

①「家族全員が同意していること。
②動物が一生涯幸福に過ごせると認められる場所であること。
③「動物飼い方教室」を受講すること等々。

 これらの条件を満たすと申し立てても、担当職員が確認に訪問するというのです。
 動物といえども、命をあずかるためには、それだけの厳しさが必要なのだろうと深く考えさせられました。

 一方、最近聞いた話ですが、ある家族に子どもが生まれました。生まれた子どもと同居している祖母は、子どもの父親の「名」は知っているが「姓」は知らないということです。つまり、子どもの父親のことはよく知らないのです。
 子どもの父親についてよく知らないからといって、生まれた子どもに対して責任を持っていないとは必ずしも言えないかもしれません。
 
 しかし、先の子猫を引き受けるときの条件と較べて、あまりの落差に愕然としたものを感じました。

 ともあれ、新たな「いのち」の誕生は何時いかなる状況の中でも、等しくおめでたいものです。
 私は、この家族に、こころから「おめでとう」と言いたい。

 この生まれた子どもにとって、非常に厳しい環境が待っています。

①生活が経済的に非常に苦しい家庭であるということ。
②先の祖母の無責任な立場とも思える態度など。
③母親が犯罪に係わっているかも知れないということ、等など。

 こういった状況にあっても、いやあるからこそ。この子どもが心身共に健全に育つよう、私を含めて、世の中全体で支援を行うことを強く感じるのです。

 注 写真は、本文とは関係ありません。私の姉のところの猫です。
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退職送別会(日記)

2008-02-04 09:11:51 | Weblog
              退職送別会(日記)

                            2008年2月4日(月)

 1日は、私の退職の送別会があった。
 私1人が主人公の会というのは、人生初めてだ。

 私は、こういう「退職送別会」なるものは、前々から断ろうと思っていた。
 それは、私の「主義」だからだ。
 しかし、この会は、声をかけてくれた人に対して、どうしても断りきれない事情があり、受けた。

 結論から言うと、「人生最良の日」であった。
 
 あいさつが苦手なので、何日も前から気になっていた。何回も頭の中で復唱した。だいたい考えていたとおりに、しゃべれた。(2007年9月1日「結婚披露宴あいさつ」参照)
 あいさつの最後は、「今日は、愉快に飲んで、愉快に食べて、愉快にしゃべって、もうどうなってもいいという位に、酔っ払いたいです。」と言った。
 
 「送る言葉」を述べてくれた人が、私が2002年7月20日に書いた文書を読んで感動したと言って、その場で読み上げた。私は、そんな前の文書をよく持っていてくれたことに感動した。少し恥ずかしかった。(その文書は、本日後半のブログに書きます。)

 全部のテーブルを回り、全員と会話した。
 しみじみ、「良かった」という気持ちが溢れてくるのを感じた。

 会終了後、一人でいつものスナックへ行った。一人止まり木で、さっきの余韻を楽しんでいた。誰とも話をしなかった。

 「酒と泪と男と女♪」は、いつもより、上手く歌えたような気がした。
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自己決定(日記)

2008-02-03 18:00:05 | Weblog
               自己決定(日記)

                            2008年2月3日(日)

 1月31日、母方の叔母の葬儀があった。
 つい2か月前には、叔母の二男が死んだ。(2007年11月24日「従弟の死」参照)

 二男が死んだとき、遺族の間で、そのことを叔母に告げるかどうか、悩んだという。
 というのは、告げることで、「寿命を縮める」ことになるのではないかと考えたからだ。
 叔母は1年前に胃癌を手術したが、高齢ゆえ予後が悪く、自宅に帰ることができず、ずっと入院していた。

 私は、その話を聞いた時、私なら知らせると思った。例え、そのことで、結果的に「寿命を縮める」ことになってもだ。

 私がその立場なら、息子の亡骸を抱き最後の別れをしたいと思う。そして、あらん限りの力で、嘆き悲しみたい。そのことで、自らの命が削られようが、むしろ本望だ。

 その叔母であるが、従姉に言わすと、「予知能力があった」という。
 息子の死を知らせなかったのに、従姉に、(二男の名前を言い)「誰が喪主になったのか?」と聞いたというのだ。
 しかし、冷静に考えると、足繁く病院に見舞いに訪れていた息子が何の音沙汰もなく、突然来なくなったのは、何かあったと考えるのが自然だ。
 叔母は、息子の死を察知していたのだ。

 人間「生」は自分では決められない。私は、「死」は自己決定したい。
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蜘蛛

2008-02-02 17:59:51 | Weblog
                  蜘蛛

                            2008年2月2日(土)

 去年9月に泊まった宿の窓に、蜘蛛がきれいに巣を張っていた。カメラのシャッターを切ったが、夜でうまく撮れなかった。翌朝明るくなって再び撮ろうと思っていたが、宿の人がきれいに掃除したのだろう、無くなっていた。

 蜘蛛の特徴は身体から糸を出し、巣を張ったり、巣に絡まった昆虫等をぐるぐる巻いてしまうことだろう。
 小学校の頃、蜘蛛が糸を張る様子を、じっと見つめていたが、実に手(脚)際よく見事なものだった。

 蜘蛛は、巣に昆虫等が引っかかると、直に駆けつけ、尻から出す糸でぐるぐる巻いてしまう。そして、体液を吸って栄養にするのだ。
 ところが、葉っぱなどだと、糸にからんでいるはずなのに、簡単に外して地上に落としてしまう。蜘蛛自身は糸にからまないのが不思議だった。

 コガネグモだったのだろうか、金色の縞模様のあるきれいな蜘蛛をよく捕まえていた。そして、その蜘蛛同士を戦わせて遊んでいた。
 割箸くらいの長さの棒の両端にそれぞれ1匹の蜘蛛を乗せて、同時に尻をつつくのだ。そうすると、2匹は棒の中央に向かわざるを得ない。鉢合わせすると互いに脚で牽制しあっているが、そのうち戦いが始まり、一方が相手を糸でぐるぐる巻いて殺してしまうのだ。

 実に「残酷な遊び」ではある。当時は残酷という意識はなく、面白がってやっていたのだが・・。しかし、蜘蛛が戦って一方が死んでしまうということにより、ひいては「人の死」に対する想像力も身に付いたのではないかと考えている。
現在は、バーチャルの世界で「リセット」がきく。「死」という残酷なことが「ゲーム感覚」になっている。

 かつては、自然の遊びの中で、死ということを含めて、色んなことを体験により学んだような気がする。
 
 蜘蛛で遊んだのは小学校の頃のことだ。
 人生時計「6時頃から8時30分頃」
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中産日消(話題)

2008-02-01 23:33:31 | Weblog
                 中産日消(話題)

                            2008年2月1日(金)


 昨年末、千葉の房総半島を旅した。
 年末・年始を息子宅で過ごすために、千葉県に行った。そして、その機会に、私の還暦祝いをしてくれるということで、一族全員6名で房総半島へ行ったのだ。(一族全員で6名とは6名しい。)

 ちなみに、この地では、スピード違反で捕まる人が多いという。暴走するからだそうだ。(この行は気にしないでください。)

 1泊2日の行程で、晒(とま)った(注 2007年10月16日「しんまい」参照)ホテルの売店に掲げてあったのが、「千産千消」と「千産全消」という言葉だ。

 私は、「千産千消」は良く理解できたが、「千産全消」の意味合いが理解できなかった。
 ひょっとして、「千葉産が他の地でも全勝」という趣旨だと、本来の「地産地消」の趣旨と違うと考えたからである。

 ところで、今回の殺虫剤が入っていた中国製餃子の問題で、改めて浮彫にされたことは、正に「中産日消」の実態になっているということではないだろうか。

 市場原理から言うと、日本産より中国産が安いので、消費者は中国産を選ぶということになる。それが「経済効率」というのであろう。しかし、この消費構造は果たして正しいのだろうか。

 今後、食の「安全」とか「自給率」とか「検査体制」等がいろいろと議論されると思う。
 私はそれらに加え、「地産地消」が本質的に持つ意味合いも、議論の対象に加えて欲しいと思う。(内橋克人の著書で、人は、生まれ育った地域で採れた食が身体に良い、というのを読んだ記憶があります。)
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