昨日、やっと「時をかける少女」を観れた。
二十数年前の「時をかける少女」は、たしか「Wの悲劇」と二本立てだったのを観たと思うのだが、中身の記憶がない。それだけ「Wの悲劇」の衝撃が強かったのかもしれない。
原田知世の唄うテーマソングはもちろんカラオケで唄った。まだ8トラックだった時代だ。
映画がはじまってすぐに流れる、いきものがかりの唄う「時をかける少女」を聴いたとき、一気に二十数年前にもどっていく感覚があった。人間の肉体とはまさしくタイムマシンみたいなものだ。
タイムリーブとかケンソゴルとか耳にしたら、われわれ世代はきっと皆キュンとくるものがあるのではないか。
二十数年の時を経て、人生経験は増えた。知識も増えた。身体は衰えた。
だから感性が昔よりも鈍くなっているはずだけど、何に感動し、何を美しいと感じ、何をおいしく食べ、何に憤りをおぼえるかというような人間の根っこの部分はおそらく変わっていないから、中身だけはすぐタイムリーブできるのだろう。
それにしても、仲里依紗さんの存在感はすごい(正直に「かわいい」って言えばいいのに … )。
不思議なのは、昔、薬師丸ひろ子 や原田知世に対して、かわいらしいなあという思いを、それほど抱かなかった(たぶん)。
それは決して今えろおやじになったということではなく、昔は目の前にいる女子をなんとかすることこそが重大事であり、二次元世界の娘に恋いこがれている余裕がなかったからだと思う。
ゼブラーマンではいったいどんなことになっているのであろうか。
二十数年前の「時をかける少女」は、たしか「Wの悲劇」と二本立てだったのを観たと思うのだが、中身の記憶がない。それだけ「Wの悲劇」の衝撃が強かったのかもしれない。
原田知世の唄うテーマソングはもちろんカラオケで唄った。まだ8トラックだった時代だ。
映画がはじまってすぐに流れる、いきものがかりの唄う「時をかける少女」を聴いたとき、一気に二十数年前にもどっていく感覚があった。人間の肉体とはまさしくタイムマシンみたいなものだ。
タイムリーブとかケンソゴルとか耳にしたら、われわれ世代はきっと皆キュンとくるものがあるのではないか。
二十数年の時を経て、人生経験は増えた。知識も増えた。身体は衰えた。
だから感性が昔よりも鈍くなっているはずだけど、何に感動し、何を美しいと感じ、何をおいしく食べ、何に憤りをおぼえるかというような人間の根っこの部分はおそらく変わっていないから、中身だけはすぐタイムリーブできるのだろう。
それにしても、仲里依紗さんの存在感はすごい(正直に「かわいい」って言えばいいのに … )。
不思議なのは、昔、薬師丸ひろ子 や原田知世に対して、かわいらしいなあという思いを、それほど抱かなかった(たぶん)。
それは決して今えろおやじになったということではなく、昔は目の前にいる女子をなんとかすることこそが重大事であり、二次元世界の娘に恋いこがれている余裕がなかったからだと思う。
ゼブラーマンではいったいどんなことになっているのであろうか。