~ 楽器は人格を変えてしまいます。特に若い人では。
吹いているうちにらっぱはらっぱ吹きの、クラはクラ吹きの性格になっていきます。
そして気がついたときには楽器がアイデンティティの一部になり、楽器を変わるという選択肢はなくなってしまうのです。
たとえ楽器を吹かなくなっても、音楽を聴くときにはその楽器の奏者として聴いてしまうのす。
おそらくこれはあらゆる趣味、職業に言えることでしょう。
人生とはそうしたものなのでしょうね。 ~
山田先輩、コメントありがとう。
「人生とは … 」なんて言ってみても大丈夫な歳になったね。
何学部で学んだ、何大学を出たなんてのも、きっと良い悪いではなく、その人のアイデンティティになるのと同じかな。
なんで大学で学んだ方がいいのですか、なぜその学問をやらないといけないのですか、と生徒さんがたに聞かれたとき、こんなふうに答えることがある。
大学は行った方がいい。
そして、できればその学問を一生懸命学んだ方がいい(これは遠い昔の反省もこもっているが)。
その学問自体を身につけよ、極めよということではない。
だって、そんな道を目指せる人は(才能面、経済面などいろんな要素によって)少数なのだから。
その学問をすることによって、ものの見方を身につけるのが大事。
経済を学ぶなら経済学的なものの見方、物理なら物理の、というように。
すると、他のものの見方もあるなと気づけることにもなる。
むかし有田和正先生から「国語のめがねをかけさせてあげるのが仕事」というお話をうかがって、瞬間的に納得したことがある。
いろんなめがねで見ることができるようになったら、それはまさしく成長であろう。
ある楽器を学ぶことで、その楽器を通して音楽に触れるようになるから、楽器を知らなかったときより、ものの見方は広がる。
吹奏楽という文化的な活動をすることで、物事を習うとはどういうことか、身につけるとはどういうプロセスなのかもわかる。
経験することで、身体にそういう回路ができる。
回路の作る経験をすることで、新しい回路を作るためにはどうすればいいかという目安もつく。
おお、いいことづくめではないか。
吹いているうちにらっぱはらっぱ吹きの、クラはクラ吹きの性格になっていきます。
そして気がついたときには楽器がアイデンティティの一部になり、楽器を変わるという選択肢はなくなってしまうのです。
たとえ楽器を吹かなくなっても、音楽を聴くときにはその楽器の奏者として聴いてしまうのす。
おそらくこれはあらゆる趣味、職業に言えることでしょう。
人生とはそうしたものなのでしょうね。 ~
山田先輩、コメントありがとう。
「人生とは … 」なんて言ってみても大丈夫な歳になったね。
何学部で学んだ、何大学を出たなんてのも、きっと良い悪いではなく、その人のアイデンティティになるのと同じかな。
なんで大学で学んだ方がいいのですか、なぜその学問をやらないといけないのですか、と生徒さんがたに聞かれたとき、こんなふうに答えることがある。
大学は行った方がいい。
そして、できればその学問を一生懸命学んだ方がいい(これは遠い昔の反省もこもっているが)。
その学問自体を身につけよ、極めよということではない。
だって、そんな道を目指せる人は(才能面、経済面などいろんな要素によって)少数なのだから。
その学問をすることによって、ものの見方を身につけるのが大事。
経済を学ぶなら経済学的なものの見方、物理なら物理の、というように。
すると、他のものの見方もあるなと気づけることにもなる。
むかし有田和正先生から「国語のめがねをかけさせてあげるのが仕事」というお話をうかがって、瞬間的に納得したことがある。
いろんなめがねで見ることができるようになったら、それはまさしく成長であろう。
ある楽器を学ぶことで、その楽器を通して音楽に触れるようになるから、楽器を知らなかったときより、ものの見方は広がる。
吹奏楽という文化的な活動をすることで、物事を習うとはどういうことか、身につけるとはどういうプロセスなのかもわかる。
経験することで、身体にそういう回路ができる。
回路の作る経験をすることで、新しい回路を作るためにはどうすればいいかという目安もつく。
おお、いいことづくめではないか。