水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

めがね

2010年04月22日 | 日々のあれこれ
~ 楽器は人格を変えてしまいます。特に若い人では。
 吹いているうちにらっぱはらっぱ吹きの、クラはクラ吹きの性格になっていきます。
 そして気がついたときには楽器がアイデンティティの一部になり、楽器を変わるという選択肢はなくなってしまうのです。
 たとえ楽器を吹かなくなっても、音楽を聴くときにはその楽器の奏者として聴いてしまうのす。
 おそらくこれはあらゆる趣味、職業に言えることでしょう。
 人生とはそうしたものなのでしょうね。 ~

 山田先輩、コメントありがとう。
 「人生とは … 」なんて言ってみても大丈夫な歳になったね。
 何学部で学んだ、何大学を出たなんてのも、きっと良い悪いではなく、その人のアイデンティティになるのと同じかな。
 なんで大学で学んだ方がいいのですか、なぜその学問をやらないといけないのですか、と生徒さんがたに聞かれたとき、こんなふうに答えることがある。
 大学は行った方がいい。
 そして、できればその学問を一生懸命学んだ方がいい(これは遠い昔の反省もこもっているが)。
 その学問自体を身につけよ、極めよということではない。
 だって、そんな道を目指せる人は(才能面、経済面などいろんな要素によって)少数なのだから。
 その学問をすることによって、ものの見方を身につけるのが大事。
 経済を学ぶなら経済学的なものの見方、物理なら物理の、というように。
 すると、他のものの見方もあるなと気づけることにもなる。

 むかし有田和正先生から「国語のめがねをかけさせてあげるのが仕事」というお話をうかがって、瞬間的に納得したことがある。
 いろんなめがねで見ることができるようになったら、それはまさしく成長であろう。
 ある楽器を学ぶことで、その楽器を通して音楽に触れるようになるから、楽器を知らなかったときより、ものの見方は広がる。
 吹奏楽という文化的な活動をすることで、物事を習うとはどういうことか、身につけるとはどういうプロセスなのかもわかる。
 経験することで、身体にそういう回路ができる。
 回路の作る経験をすることで、新しい回路を作るためにはどうすればいいかという目安もつく。
 おお、いいことづくめではないか。
 
コメント (1)
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