「以A為B=Aを以てBと為す」は一つの句法としてあつかわれるが、「以」は前置詞、前置詞句はVの前に置かれるの原則をまず確認して教える。
「Aを以てBと為す」は「AについてBだと思う・みなす」という意味です。
吾以景子為美麗「私は景子をきれいだなと思った。」
Aについて述べていることが明白な場合、Aが省略され「以てBと為す」になる。
「以V」の形のとき「以」は訳に出さなくていいので、この場合「Bだと思う・みなす」と訳せばいいです。
吾欲観花之後「花のあと観に行きたいよね」
北川景子出演也「北川景子のやつね」
以為美麗「まじかわいくね?」
いっそ返り点もつけずに「以為」をセットにして「おもへらく=思っていること」と読んでしまおう、となって成立したのが「以為へらく(おもへらく)」という読みです。
この「~く」は「曰く(いはく)」の「く」と同じ。
「いふ」に「あく」という古代の名詞がくっついて「いふあく」→「いはく」となった。
「のたまふ」に「あく」がついたのが「のたまはく」です。
じゃあ、「おもへらく」は何+「あく」ですか?
と聞くと、だいたい「思ふ+あく」と答えてくれる。
おしいなあ、ちょっとたりない。
でも「思ふ」に「あく」がついた言葉もあるよ。
「思ふ」+「あく」は「思はく」。
あいつの「おもわく」がわかんないって言うのは、こうやってできたことばです。
「思っていること」の意味なので、「思惑」というのは当字ですね。
他にもあります。
「おそらく」は「おそる」+「あく」。
「願はく」は「願ふ」+「あく」。
じゃあ、「おもへらく」は?
そうですね、「おもへる」+「あく」。
「おもへる」の「る」は古文の時間に勉強したね、完了・存続の「り」です。
何形? 名詞「あく」につながっているのだから、連体形でいいよね。
なので、「以為へらく」は「思っていることは」となります。
と、今週何回か教えていて、ふと疑問に思ったことがある。
「すべからく~べし」という言い方。
「すべからく」も「すべかる」+「あく」だろうと思われる。
「すべかる」はサ変動詞「す」+当然の助動詞「べし」の連体形「べかる」。
でも、名詞「あく」に接続させるなら普通は「べき」だから、本来「すべき」+「あく」になるはず。
「すべかく?」そうか、これだと言いにくいから、補助活用の方を用いたのであろう。
意味は「するべきこと(は)」となる。
なら「べし」を最後につける必要はあるのだろうか。
「いはく~と」「おもへらく~と」のように「と」ではだめなのか?
呉智英先生が、「すべからく」の誤用について何回も述べられている。
「すべからく」を「すべて」の意味で用いている人がたくさんいる、しかも文化人、知識人に多い、と。
「すべからく」は「すべからく~べし」と呼応してはじめて意味をなす。
「すべて」をかっこつけて「すべからく」なんて用いる人の知性はたかがしれてると、よく批判されていた。
それを読んで以来、たまにそんな文章をみかけるたびに、「ああ、この先生も残念」と思っていた。
「すべて」の意味で「すべからく」を用いるのは論外としても、「すべからく」の結びに「べし」がなくてもいいような気がしてきた。
文の座りは悪いけど。
「Aを以てBと為す」は「AについてBだと思う・みなす」という意味です。
吾以景子為美麗「私は景子をきれいだなと思った。」
Aについて述べていることが明白な場合、Aが省略され「以てBと為す」になる。
「以V」の形のとき「以」は訳に出さなくていいので、この場合「Bだと思う・みなす」と訳せばいいです。
吾欲観花之後「花のあと観に行きたいよね」
北川景子出演也「北川景子のやつね」
以為美麗「まじかわいくね?」
いっそ返り点もつけずに「以為」をセットにして「おもへらく=思っていること」と読んでしまおう、となって成立したのが「以為へらく(おもへらく)」という読みです。
この「~く」は「曰く(いはく)」の「く」と同じ。
「いふ」に「あく」という古代の名詞がくっついて「いふあく」→「いはく」となった。
「のたまふ」に「あく」がついたのが「のたまはく」です。
じゃあ、「おもへらく」は何+「あく」ですか?
と聞くと、だいたい「思ふ+あく」と答えてくれる。
おしいなあ、ちょっとたりない。
でも「思ふ」に「あく」がついた言葉もあるよ。
「思ふ」+「あく」は「思はく」。
あいつの「おもわく」がわかんないって言うのは、こうやってできたことばです。
「思っていること」の意味なので、「思惑」というのは当字ですね。
他にもあります。
「おそらく」は「おそる」+「あく」。
「願はく」は「願ふ」+「あく」。
じゃあ、「おもへらく」は?
そうですね、「おもへる」+「あく」。
「おもへる」の「る」は古文の時間に勉強したね、完了・存続の「り」です。
何形? 名詞「あく」につながっているのだから、連体形でいいよね。
なので、「以為へらく」は「思っていることは」となります。
と、今週何回か教えていて、ふと疑問に思ったことがある。
「すべからく~べし」という言い方。
「すべからく」も「すべかる」+「あく」だろうと思われる。
「すべかる」はサ変動詞「す」+当然の助動詞「べし」の連体形「べかる」。
でも、名詞「あく」に接続させるなら普通は「べき」だから、本来「すべき」+「あく」になるはず。
「すべかく?」そうか、これだと言いにくいから、補助活用の方を用いたのであろう。
意味は「するべきこと(は)」となる。
なら「べし」を最後につける必要はあるのだろうか。
「いはく~と」「おもへらく~と」のように「と」ではだめなのか?
呉智英先生が、「すべからく」の誤用について何回も述べられている。
「すべからく」を「すべて」の意味で用いている人がたくさんいる、しかも文化人、知識人に多い、と。
「すべからく」は「すべからく~べし」と呼応してはじめて意味をなす。
「すべて」をかっこつけて「すべからく」なんて用いる人の知性はたかがしれてると、よく批判されていた。
それを読んで以来、たまにそんな文章をみかけるたびに、「ああ、この先生も残念」と思っていた。
「すべて」の意味で「すべからく」を用いるのは論外としても、「すべからく」の結びに「べし」がなくてもいいような気がしてきた。
文の座りは悪いけど。