昨日の帰りがけに観た「ヒューゴの不思議な発明」は、予想外に普通だった。複数の映画評論家の大絶賛や、予告編の映像のすばらしさから、期待値は相当あがっていたのだが。
いや、全然つまんなくはないんだけど、なんかふつうで。
それにパリが舞台なのに全編英語というのがものすごく違和感があった。たとえば福井が舞台の映画で全員が東京弁だった場合を想像してみたなら、この違和感は正当なものじゃないだろうか。
何より、クロエモレッツちゃんが、ヒットマンでもヴァンパイアでもなくふつうにかわいい女の子なのが残念。もったいない。
映画のあと、娘のお迎えまでの時間に、添削を一つだけ。
センターの結果で受験校を決めたあとで練習をはじめた子なので、やることが多い。
小論文は一朝一夕にはなんともならないと改めて感じる。
なんとかなるんじゃないかと思う生徒さんが多い状況を、まず変えないといけないのだろう。
「小論文の基本 覚え書き」の続き
3 「1課題文の内容をつかむ」「2課題文の主張に賛成の方向で論じる」とすると、課題文の主張をそのまま繰り返すだけになるのではないかと思うかもしれない。
それはあり得る。ただし、筆者の主張をそのまま繰り返すレベルで書くことも、実は難しい。
「次の文章を要約しなさい」という入試問題が存在することでもそれはわかる。
だから、よほどちゃんと読めないとそのまま繰り返すことさえできないのだ。
4 「1課題文の内容をつかむ」が本当にちゃんとできたなら、読んだ人の人格が変わる。
「人格」は大げさかも知れないけど、大学の先生が選びに選んだ文章だから、ほんとに読めたならば、その人の脳内になんらかの変化をもたらす。
自分のものの見方や価値観が揺り動かされる。
そうなったとき、「自分はどう考えるのか」が生まれ、それは「その人」にしか書けない内容になる。
これが小論文のオリジナリティと言える。
小論文の評価項目の一つに「独創性」があげられるが、まったくのオリジナルなんて必要ない。
ていうか、それはかぎられた天才、もしくは神のレベルだから。
与えられた課題をいかに切実にうけとめられるか。
当事者性をもてるか。それを表現することが、普通の現代文と小論文とのちがいになる。