3月10日
午前中、入学手続きが行われる。新年度は四百三十数名の生徒さんをお迎えできる。
午後の合奏のために小講堂にいたら、やまぐち先生が「東大二人受かったよ」と伝えにきてくれ、思い切りガッツポーズしてしまった。
センターの結果と日頃の頑張りから十分期待できる子たちだったが、結果を聞くまでは不安だった。
本校ではまだ出てなかった文系からの合格がなおうれしい。
東大合格は他の大学と比べてそんなにうれしいのか、教師としてそれでいいのかと問われたなら、「あったりまえじゃん」と答えて、その人には二度と近づかない。たぶん話してもわかんなそうだし。
本校から東大に合格するのは、マラソンの川内選手の活躍と重なる。
学校の勉強をしっかりやれば大丈夫と言い、そのとおりに一度も予備校に行かずに結果を出してくれたことは、われわれ自身の励みになる。彼らを知っている同学年の子も、たぶん喜んでいるだろう。
決して指導がよかったと言いたいのではない(ま、すこしはあるかな)。
「予備校行かずに教科書しっかりやろう」という言葉をほんとうに信じて最後までやりきれる素直さと頑固さがすべてなのだ。
いい気分で合奏に入る。3年生もまあまあそろっているので、定演の曲をひととおり浅く広く。
やるべきことはわかってきたかなという段階だ。そのまま一泊の合宿に入る。
3月11日
3年のソロを決めていく合奏や、本格的な二部の練習に入る。
午後は指揮法レッスンの会場だったので、そのだんどりやら、定演Tシャツの注文票づくりやら。
夕方、新年度用に買ったスーツをとりに池袋東武まで行き、今以上にさくさく歩こうと学校上履き用にニューバランスのシューズを買った。
3月12日
合奏をわたなべ先生におねがいし、合宿費の整理やら、新入生説明会、入学式に向けてのもろもろ。
所用のため少し早めに学校をださせてもらい、帰りがけに新宿武蔵野館で「ヤングアダルト」を観る。
主人公は故郷を離れ都会に出て、ライトノベルの執筆で生計を立てるメイビスという女性。30台後半、独身。
自身の作品の人気は落ち目で、次回作がどうなるのかは決まっていない状態にある。
そんな折、故郷に住んでいる元カレから、生まれた子どもを見に来ないかと連絡が来て、帰省するところからストーリーは展開する。
故郷で結婚して家庭を築く元カレのことを、メイビスは見せかけの幸せだと考えている。
そんなのは本当の幸せじゃない、そんなにちっちゃく人生を終える人だったの? と。
もう一度自分をよりをもどし、人生をやり直せれば本当に幸せが手に入るはずだ、そのために今の家庭を捨てることなんて、なんでもないと元カレに言う。
もちろん、元カレは冗談としか思わない。
メイビスが本気であることに気づくと、精神がいかれてしまったのかと心配し、町じゅうにそんなメイビスのことは噂になっている。
観てて思ったけど、アメリカの田舎というのは、日本の田舎よりもっと田舎というか、保守的というか、なんか西欧近代主義などとは無縁のようにも思えてくる。
だから都会に出て行った人間は、故郷を出たことへの自意識が過剰で、無理に新しい価値観に身を置かねばならなくて、もがいているんじゃないのかと感じ、その典型的な姿こそメイビスのイタさで、たぶんアメリカ人の多くの人がこの映画を切実に感じるんじゃないかなと思えた。
おれらの世代にも同じようなことが若いころはあった。
東京の大学に行った友人が、クラス会で都会のようすを楽しげに語り、今の言葉でいうとちょっとイタい感じになってて、本人以外は「だいじょうぶか」と思っているような状況。
昔にかぎらないか。今でも、お正月におみやげを持って帰ろうとして、東京ばななでもなく、ひよこでもなく、ちょっとこじゃれたお菓子、母は知らないだろうけど、妹は雑誌とかで知ってるかもな、みたいなのをさりげなく持って帰りたいなと思うから。
故郷を捨てて東京に来た人間は、みんな多かれ少なかれシャーリーズセロンなのさ。
ただ、ふつうの人は、シャーリーズセロンの若い時ほどはちやほやされる人生を送らないので、勘違いの仕方が少なくてすむのだ。
よかった、彼女ほどきれいじゃなくて。ちょっと危なかったけど。