試験範囲が終わり、少し時間があまって自習にすると、いろいろ質問がでるところが1年生らしい。
「先生、試験て見たことのない文章も出るんですか?」
「そうだな、数学でやった問題しか出ないってことないだろ」
「現代文てどういう勉強するんですか?」
「昨日の最後に話したよね」
「返り点てどうやってつけるんですか」「再読文字ってなんですか」「古文単語はおぼえるんですか」
「あのね、今までの授業がすべてなかったかのような質問はしちゃだめだよ」
内心むっとする質問もあったけど、何かしようとしてるのがえらい。
ただし、国語については(他のもかもしれないが)、極力省エネの勉強を模索しているかに思える。
数学や英語と同じだけの時間を割くのは、もったいなく思っているような。
たしかに、それでいいのだが、だからこそ授業はもれなくインプットしてほしい。
でも、まだ数時間しかやってないのだ。
再読文字の説明を一回聞いて、中一週間経ったなら、覚えてなくてふつうだ。
おれだって、中一週間あいたものを忘れないなんてありえないし、中三分でも今はやばい。
幸い、国語は教えるべきことがらのエッセンスは、すでに相当登場している。
あと二年半繰り返しやってもらえばいいだけのことだ。
1学年だより「エア・ラーメン」
書店で松岡修造氏の本を書店手に取り、数頁立ち読みしてそのアツさに驚き、思わず購入した。
松岡氏は、たとえば何かを「食べる」ときも、「なんとなく」は食べるなと説く。
実際にどうしているのか。
~ まず複式呼吸を何度か繰り返します。次に空気を吸い込んだ瞬間、食べ物が入ってくる胃を意識しながら「ハッハッ、ハッハッ」と声を出して息を吐き出します。そうすると、胃の中がおいしく食べるための最高の状態になります。
ラーメンの食べ方も独特だといわれます。食べる前から割り箸を握って、麺をすする動きを繰り返すエア・ラーメンをしています。(松岡修造『人生を変える修造思考』アスコム) ~
松岡修三氏はこうやってラーメンを待つそうだ。
すごい。アツいにもほどがある。
みなさんも、今日学食でチャレンジしてみたらどうだろう。
でも、想像したら、たぶん笑ってしまう人も多いだろう。
なぜ、そこまでやらないといけないの? ネタじゃないの? と思った人もいるかもしれない。
この本を一冊読み通してみたなら、多分笑えなくなるはずだ。
そして、自分も何かやらなきゃという気持ちがわいてくる可能性もある。
ここまでやったら、修造氏は食べる前に勝っていると思わないだろうか。
「おいしく食べることは僕にとっての勝負です」と修造氏は言う。
もちろん、その店との勝負ではない。
自分が、いかにいいコンディションで食べることができるか、いかにいい食事ができるかの勝負をしているのだと言う。
一週間後にフランス料理を食べる機会があったとしたら、その日に向けて体調を整える。
当日は、朝食、昼食には脂っこいものをひかえてお腹に負担をかけないようにしておく。
一食にかける準備さえ、ここまで徹底する。
況わんやテニスの試合をや。
テニスの試合に向けて、修造氏がどれだけの準備をしてきたかは、想像するまでもない。
翻って、自分はどうだろう。
エア・ラーメンまでせよとは言わないが、たとえば授業を受けるにあたって、せめて割り箸を割って待っているくらいは出来るのではないか。
授業が始まって初めて「おれは何を食べようとしてるんだっけ?」という人があまりに多いように見える。それでは、おいしく味わえない。自分の実にならない。
試合がはじまった瞬間には、勝つか負けるかは決まっているし、試験が始まった瞬間には、何点とれるかは決まっているのだ。