先日、担当する川越市内の中学校訪問を一気に終えた帰り、さすがに一呼吸置こうとマクドに寄った。
平日の夕方は勉強している中高生、自分のようなおじさん、そしてお母さんと小さな子ども連れ。
出入り口に近いテーブル席そばにそんな親子連れ二組。
少々騒がしそうに見えたが、その隣は自分の定位置なのでいつも通り座る。
「ちょっとぉ、はねないの」
「なんで、そうやってくっつくの」
「けんかになるでしょ」
「言うこと聞かないなら帰るよ」
お母さん方は大変そうだが、見てる分にはちょっとかわいかった。
三つくらい? 目を離せない時期だ。
「あ~あ、家で一人でぼおっとしたい」「そうよねぇ」とお母さんたち。
気持ちはわかる。
つい「大変ですね、でも気がつくとあっというまですよ。すぐに、学校だ、バイトだ、友達と遊ぶとか言って、べたべたしたくてもできなくなりますよ」と声をかけそうになった。
もしそう言われたとしても、なるほどそうかとは多分思わないだろう。
そんな時がいつか必ず来ると思っても、想像はしにくい。
渦中にいる人にとって、将来の自分の姿は闇の中だ。何事も。
部活も勉強も同じで、だから、見通しを示してあげて、示してあげなくてもやるべきことを教えてあげる存在が必要なのだろう。
でも渦中にいてもがき苦しむのが正しい姿だとも思う。
一生懸命やっていればいるほど、先々まで見通せるなんてことはない。
その時点で見通せる将来は逆にスケールが小さいものでもありがちだ。
渦中にいて、その時々の自分に苦しんで、もがいてあれこれやっていたら、自分が想像していた以上に成長できることはままある。
そうでなければ頑張りが足りないともいえる。
だから、ただがむしゃらにやればいいんじゃないかな。