教祖ルイが採った魚を、浜で焼いてボディーガード三人にふるまうシーンがある。
「なんていうか、これうまくないスか」と一番若いボディガードが言うと、「皮がうめぇんだよな」と一番年嵩のおじさんがつぶやく。
ほんとに? うろこもとらずに、薪の直火で焼いた皮がほんとにおいしい?
焼き魚の皮は、おいしいよ。強火の遠火で焼いてほどよい焦げ具合になっているやつ、もしくは炭火であぶった皮。前に丸広の地下で買った鮭の西京焼きの皮はたまんなかった。でもね、このシーンのシチュエーションで焼かれた皮は、ほとんど黒焦げの煤状態で、とても食べられる状態ではないはずだ。こういうディテールが気になる。
ちなみに、年の若いボディーガード役は、瑛太の弟の永山絢斗くんである。「ふがいない僕は空を見た」に田畑智子さんと主演したと聞いた。秋の公開が楽しみだ。
監督さんは、こういうシチュエーションで魚を焼いて食べたことはないんだと思う。
主人公の藤原竜也くんは、若くてイケメンの新興宗教教祖を演じるのに、これ以上ない役者さんだろう。
でも藤原くんの力がいかされているかというと疑問で、それは「ヘルタースケルター」で主役をくってしまった水原希子さんの扱いにも言える。もったいないとしか言いようがない。
若くてあふれんばかりの才能をもつソリストが集まったカルテットに、簡単な練習曲をあわせてもらっている感じとでも言えばいいだろうか。
焼き魚的違和感は他にもいろいろあり、「なんか全体にウソくさくない?」と感じた。
もちろんウソでいいのです、映画なのだから。新興宗教の教祖のウソくささを表現しようとしたのかもしれないが、そうだとしたら稚拙だ。ウソを強調するには、その他のことはほんとリアルに、一点のすきもなくホントで固めておいて、ルイがらみだけをウソにする。
教団の空疎な教義と、現実世界における「死」の空虚さとを重ね合わせて表現したいのかなとかいろいろ忖度したつもりだけど、入り込めなかった。
沖縄を舞台にしたファンタジー? うん、いっそ全部夢の中の話でした、と最後にひっくりかえした方がリアルだったかな。
自分の読解力が足りないかもしれないから、決してこの作品が不出来なんて言わない。ちょっともったいないかなと。たぶん現実の娑婆を生きている「大人」には物足りないだろう。R12だったけど、むしろ若ければ若いほど楽しめるんじゃないかな。
でも、大人ってしょうがない。
自分が悪いのかもしれないのに、作品にせいにして不満を述べたりして。
こういう大人になってしまうと新興宗教にのめりこんでしまうことも多分ないだろう。
統一教会の広告塔のような存在だった桜田淳子さんも、50何歳かの今、その教会に出会ったなら、入信しなかったんじゃないだろうか。
50年以上も生きてくると、なかなか観念の世界に自分をひたらせるのが難しくなるものだ。
ぎゃくに若い頃は娑婆を知らないから、すぐまきこまれる。
古い話だが、六年間の学生時代を過ごした学生寮は、共産党系の学生組織民青の面々が多かった。そのまま専従になった友人もいる。
亡くなった文鮮明氏の統一教会の学生組織原理研も大学にはあって、あと革マルさんとか、解放同盟さんの方もいた。ときにぶつかったりしてる場面もあったけど、今になってみるといったいあの頃は何が問題だったのか不思議に思うくらいだ。
きっと「右」でも「左」でもよかったのだろう。それは違うと言われそうだが、そういうものさしでは世の中はいかんともしがたいことを、ここ数十年の間に友人たちも気づいたはずだ。
観念の世界に自分をおくこと、一つの思想で自分を満たしてみること、それ自体がたぶん若者には大事だったのだ。
自分のなかには何もないと気づく時代、もしくは自覚はないけど身体は何かで埋められることを欲している時代が、青年期なのかもしれない。
その欠落感を何で満たすのか。人によってそれが「思想」であったり、「夢」であったり、「利益」であったり、「愛」であったり、「行動」であったりする。
きっとそれらには貴賤はない。お金儲け第一人生を送るひとをあさましいと言ったり、新興宗教にはまった人をさげすんだりすることは、だから間違ってるのかなと思う。