たまにテレビを観ようとするとバラエティ番組で、時期によってどのチャンネルもゲストが同じで、あの映画の宣伝かとすぐわかるけど、こんなに映画の宣伝、番宣ばかり多くなったのはなぜだろう。
昔、こんなことなかったですよね。
昔テレビ局は映画のスポンサーにはなってなかったということだろうか。
テレビの影響は大きい。西川美和監督の『夢売るふたり』は、テレビで宣伝されなかったら、そんなにお客さんの入る作品ではないと思うけど、昨日の代休の昼間、つまり平日の昼間にもかかわらず、けっこうなお客さんが入ってて驚いた。
前作『ディアドクター』は名作だったけど、興行収入はそんなでもなかったんじゃないかと思うし、さらに前の『ゆれる』なんか、たしか渋谷まで行ってやっと観れた記憶がある。
『夢売るふたり』も、まごうことなき西川作品だった。メジャーな役者さんをこれでもかとそろえてはいるものの、たまに映画でも観ようかとやってきたお客さんがいい気持ちになって帰れる作品ではない。
西川監督の小説が直木賞ではなく、芥川賞の候補になることでもそれはわかる。
「なんか、最後よくわかんなかったわねぇ」と言ってかえっていく相当高齢の方もいらっしゃったようだ。
おれもよくわかんなかった。最後というか、細かいところいくつか。
もちろん監督さんはすべてのシーンに意味をもたせ、すべてシーン(これ、シークエンスとか言っちゃうと通ぽいかも)が有機的につながっていると言うだろう。
でも、たとえば松たか子さんの、ここには書けないいくつかの場面がどういう意味をもつのか、わからなかった。女性だったらわかるのかもしれない。R15らしく、男女の性愛を露骨に写す場面も多い。一方で主人公の阿部サダヲ、松たか子夫婦のそうシーンは一切出てこない。その対比との関係で理解しないといけないのかな。
でも、すっきりしないとこが西川監督らしくてよかった。
小説『その日東京駅五時二十五分発』も、次の芥川賞をとるにちがいない。
フランス映画『最強のふたり』は、まごうことなき名作。
入り口で若いカップルがスケジュール表の前で「何観る?」とか言ってて、『最強のふたり』てどんなの?とか言っている声が聞こえてきたので、それ絶対観た方がいいよと声をかけようかと思ったけど、通じなさそうな雰囲気だったのでやめた(通じるとか以前に声かけたらおかしいか)。でも、女の子の方は聞く耳もってるように見えたのだが。
事故で首から下の体の自由がきかなくなってしまった大富豪と、その介護をするやんちゃな青年のお話。
日本でこれをつくったら、ほんとベタベタのお涙ちょうだいになってしまうだろう。
もちろんそれもありだけど、障害者と健常者という区分けでしか考えられないわれわれの土俵をはみ出ることはないだろう。
そんな枠にとらわれるから、ふつうなら友達になれるはずの二人でも、どっちかが上から目線になってしまったり、逆ににそうならないようにしなきゃという感覚を自分で自分に強いることで、自然につきあえなくなってしまったりする。
道徳や、人権教育の授業って、こういう映画こそ観てもらうべきだ。