先の連休に、「劇団だっしゅ」さん本公演に出かけた。星華祭演奏をおえて学校にもどり、その後新河岸に車をおいて大塚の萬劇場へ。18:30の開場直後に到着し、自由席だったので前から3列目に陣取りチラシを見ていると、たぬきの着ぐるみを着た星さん、平川さんという中心の役者さんが前説で登場する。開演10分前だ。避難誘導について、劇団からのお知らせ、団員さんの暴露話を聞いていると、2回目なのに結構何度も来てるような気分になってきた。そのまま本編がはじまり、終わって携帯を見たら21時55分。長かった。小劇場の休憩なしお芝居で3時間を超えることは普通考えられない長さだ。開演前にビールのんだりしなくてよかった。
でも、その物理的長さほどには長く感じなかった。お笑いパート、シリアスシーン、一息ついて体操するコーナーなど、あまりにもりだくさんだったから。
今年のお芝居は沖縄がテーマだった。東日本大震災を舞台化した昨年の舞台をたまたま見てファンになった劇団さんだが、今年も重い話題でありながら、ひとつのエンタメ作品として見事に成立させていた。
どういう方が本を書いてらっしゃるのかはわからないが、相当な力業だ。
もちろん、もっとすっきり書くこともできないことはないだろう。
ちりばめられた下ネタも、そこまで必要なくない? と受け取る人もいるだろう。
でも、この過剰さは、これでひとつのスタイルだと受け止めるしかない。
おしゃれな芝居を指向する劇団はいくらでもある。
少ない言葉で、思わせぶりな台詞で、何か深遠な哲学を表現しているかのように見せようとする劇団さんもある。
翌日に鑑賞した「柿喰う客」さんの「無差別」というお芝居は、そういうふうに見えた。
きわめて高いスキルとフィジカルをもつ役者さんたちが、計算され尽くしたセリフを発し、鍛えられた身体表現をみせてくれる。開演前のアナウンスの通りの77分間のお芝居。
途中で誰かがしくじったら、どう挽回するのだろうと思うけど、役者さんたちはそんなことを想定もしてないように見えた。
だっしゅさんは、たぶん「しくじり」いっぱいあったと思うな。
むしろそれを楽しんでアドリブ返しをしているように見えた。
そういう意味で、対照的な2つのお芝居を見れてよかった。
そしておれ的には、「柿食う客」さんの洗練とはほど遠い「だっしゅ」さんの過剰な具体に、ぐっと心を奪われた。
「沖縄がテーマだった」と書いたけど、国語の先生的にはそう言ってはいけないかもしれない。
アメリカから日本に返還されて40年。たしかに本土に行くのにパスポートはいらなくなった。車も右側通行から左側通行になった。40年前に。
でも、ほかに何か変わっただろうか。島の何割かを占める米軍基地。基地に依存する経済。
島民が米兵に乱暴されたり、米軍機が落ちて死傷者が出たりしても、泣き寝入りするしかにない沖縄の現実は何一つ変わっていない。
本土の人間は、ほんとにそういう現実をわかっているのか、報道されているのか、と劇中のウチナンチューが語りかけてくる。
もちろん、島民全員の意見が同じ方向を向いているわけではない。たとえば普天間基地をどうしたいかについても、遠く他人事のようにしか思えないわれわれ本土の人間には想像もできないほど、いろんな考え方があるだろう。
この作品で訴えられた内容イコール沖縄の人すべての気持ちと受け取るのも危険だ。
でも、あまりに何も知らなすぎではないのかという問いかけには、頭を垂れるしかない。
その歴史と現実を考えれば、県民のなかに反米意識が根付いているのはある意味当然ともいえる。
だからアメラジアンとよばれる米軍兵と現地女性との間に生まれたハーフの子は、差別の対象になることもある。
まして、米軍兵に暴行されて、その結果妊娠し生まれた子がいたなら、厳しい人生を過ごすことになるのは想像に難くない。
じょーじとよばれる登場人物が、そういう設定だった。
このじょーじを演じたのは北本哲也さんという方だが、存在感がはんぱなかった。
佐藤健くんを少しきつめにした感じのイケメンさんで、なにかのきっかけでメジャーなシーンに出れたならブレイクしちゃうんじゃないだろうか。男優さんにときめくのは、堤真一さん(きゃっ)以外では何十年ぶりだろう。
沖縄のかかえる問題がそのまま「人」化したようなじょーじ。彼が厳しい現実を生きていきていけるのは、支えてくれる仲間がいるからだった。
アメリカ軍に一泡吹かせてやろうぜと言って、米軍基地内に忍び込んで花火をあげる計画を立てる地元の青年たち。こうやっていっしょにバカやって笑ってられる仲間がいるから生きていけるんだと叫び会うシーンは、ちょっとこらえられなかった。
こっちの方をテーマと言うべきなのだろう。
ある事情のせいで、好き同士でありながら結ばれることができないとわかり、心中を決意して沖縄にやってきたカップルがいる。じょーじたちグループと接し、いっしょにその作戦を遂行する過程で心がつながっていく。
つらい現実も、死で精算するのではなく、生きてさえいれば希望の光が見える日がくるはずだと思えるようになる。
お芝居の根底にあるのはやはり、友情や希望や愛といった、人間の心の中心をなすものだ。
言葉にすればほんとにありきたりなものだけど、その感情があるがゆえに人は人たりうる。
でも、そのまま言葉にすると、ときに陳腐に見えてしまう危険性もある。
最近の若者が聞いている、ちょっとラップ風の歌謡曲って、友情とか愛情とか直接言い過ぎると思いません?
だから、根源的な感情を表現しようとするなら、直接そう言うのではなく、説得力のある具体を積み重ねていく必要がある。やり過ぎという人もたぶんいるだろうけど、「だっしゅ」さんのアツさは十分に伝わった。