水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

9月5日

2012年09月05日 | 学年だよりなど

 1学年だより(コミュニケーション力)

 ~ 「ぶっちゃけ、Jリーガーになりてぇのか?」
 少年香川は「なりたいです」と素直に答えた。
 香川が行きたいチームにあげたのは、鹿島アントラーズだった。
 太田はさらに粘り、「でも本当に行きてぇのはどこよ?」と訊くと、とんでもない夢が飛び出した。
「バルサに行きたいんです。いつかあの場所でプレーしてみたい」
 … 太田は懐かしそうに言った。
「あの言葉が忘れられないんですよ。夢のまた夢だと思っていたら、そのあとひとつづつ階段を登って確実に近づいているでしょ。あいつなら実現できる。そんな気がしてならないです。」(木崎伸也「裸の香川真司」週刊文春2012.9.6号より) ~


 「太田」とは、香川真司選手が高校二年生のときの副担任である太田祐一教諭だ。
 授業中、一心不乱にサインの練習をしている香川に気づき注意したこともあるという太田先生は、「こんなすごい選手になるなら、もっとやらせておけばよかった」と笑う。
 故郷の神戸を離れ、宮城県立黒川高校にサッカー留学した香川選手は、「みやぎバルセロナ」の一員としてクラブユース選手権に出場したり、U-18東北代表に選ばれたりする。高校二年の冬には、セレッソ大阪とプロ契約を結ぶ。高校在学中でのプロ契約は、Jリーグ史上はじめてだった。
 ぬきんでた才能をもつことに気づいていた人は多かったが、「バルサでプレーしたい」という言葉を本気で受け止められる人が、当時何人いただろう。
 高2の冬から6年、今、香川選手は、バルサと並ぶビッグクラブ「マンU」で「ふつうに」プレーしている。世界のビッグクラブでプレーすることは、他人から見れば「夢のまた夢」であっても、当人にとっては実現可能な一つの階段だったのだ。

 ことスポーツにかぎらないが、高い能力を持ちながら、外国の大舞台では萎縮して本来の実力を発揮できない日本人は多いという。
 香川選手の成功のかぎは、日本人らしくないとも言える高いコミュニケーション能力にあると、スポーツライターの木崎氏は指摘する。
 2009年、香川選手はJ2の得点王となる。シーズン後、ドイツの数チームから声がかかり現地視察に出かけたある日の夜のこと、香川選手は現地コーディネーターに「クラブに行きたい」と申し出た。サッカークラブではなく、呑んで踊って楽しむあのクラブだ。
 ジュッセルドルフのクラブに連れてこられた香川は、言葉がほとんど話せないにもかかわらず、ドイツ人女性に積極的に声をかけた。
 プライベートな国際交流と言っていいかもしれないが、ふつうはこれをナンパと言う。
 当時は香川よりも圧倒的に有名だった内田選手と勘違いする女性たちに、「そうそう、ウチダ!」と押し通し、楽しく国際交流したそうだ。言葉ができないことなど関係なく人に接することのできる香川選手は、商社マンや外交官になっても成功していたにちがいないと木崎氏は述べている。


 香川選手のコミュニケーション能力は、ドルトムントに移籍してからも、遺憾なく発揮された。
 チームの選手と食事をするときは必ずグループの会話に加わり笑い声をあげていたし、チーム内の一匹狼的存在だったグロスクロイツ選手とは、いつしか親友になっていた。
 専属通訳の山守氏からすると、「真司に意味がわかってるとはとても思えなかった」と笑う。
 言葉ができなくてもコミュニケーションできるくらいだから、ひとたびピッチに出れば、世界共通言語のひとつとも言えるサッカーで、他のメンバーとコミュニケーションすることは、ある意味たやすかったのかもしれない。
 クロップ監督は、香川選手がチームの戦術にすぐ適応できたことに驚く。


~ 「当時、私がドルトムントを率いて三年目で、かなりチームが完成に近づいていた。にもかかわらず、そこにすっと真司は入ったんだ。そうした能力がすぐにブンデスリーガで力を発揮できた理由だと思う。」 ~


 昨シーズンを優勝で終えたあと、香川選手は極秘にマンチェスターへ赴き、ファーガソン監督と面談することになっていた。「真司は去る」とチームの面々も感じていながら、正式に決まってない状態ではお互いに別れを告げるわけにはいかない。
 最終戦のあとは、皆たんたんと自分の荷物を片付けていた。
 しかし香川選手がロッカーを出ようとすると、クロップ監督が立っている。
 身長191㎝の大柄な監督が突然香川を抱きしめる(ちなみに香川選手は172㎝、63㎏。ほんとふつうだよね)。すると香川はむせび泣き始めた。
 「真司、二年間、ほんとうにありがとう」監督も涙ながらに伝えた。
 この瞬間のことを、クロップ監督は「一生忘れられない瞬間だ」と言う。「これからさらに飛躍することを祈っている。いつでも帰って来れるように、彼の席を空けておくつもりだ」と、後のインタビューで話している。
 たんに技術的にすぐれていたというだけで、ここまで愛されることはなかっただろう。

 新天地マンUで、先日3試合目を終えたばかりの香川選手。
 リーグ初戦からスタメンだったことに驚くばかりか、二戦目ですでにプレミア初ゴールを決める。
 サッカーに詳しい人ほど、信じられない光景に見えることだろう。
 前の号に登場した高校時代の太田先生とは、今もメールのやりとりがあるそうだ。
 ドイツで今は清武選手のサポートをする山守氏のもとにも時折連絡が入る。先日も、「山守さん、タクシー呼んでもらえませんか?」と電話があった。英語が苦手な香川選手のSOSだった。山守氏はマンチェスターに国際電話をかけ、車を手配してあげたという。
 香川選手の前には国境の壁さえないに等しい。今後ますます活躍することだろう。

コメント
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