学年だより「幕が上がる」
美術部も任され、初任者研修もある吉岡先生が演劇部に来られるのは、週に一回ぐらいだった。
それでも、来てくれた時の部員の上達ぶりは目を見張るものがある。身体の動かし方、変な顔のアドバイス、芝居の本筋とは関係なさそうな一言を口にし、しかし言われた子はそのあと上手くなる。「上手くなったって言うか、自由になっ」ていくのだった。
もちろん、それはさおり、ユッコ、ガルルたち部員に素質があったことも大きい。
6月の公演を成功させたあと、吉岡先生は部員達を集め、改まった表情で「いまのみんなの実力だったら、県大会どころか、関東大会を狙える」と話しはじめる。
~ 「 … 私は、みんなもちょっとは知ってると思うけど、大学でずっと芝居やってて、けっこうのめり込んで、いま思うと、よく単位も教職も取れたと思うけど、五年かかって卒業して、 … 後悔はしてないけど、でも怖い世界だっていうのは、よく知ってるつもりです。
楽しいうちはいいけど、やっぱり大変だし、いややっぱり楽しいんだけど、楽しすぎて人生変えちゃうかもしれないし、そんなの責任持てないしね。
だからブロック大会まで行くっていうのは、私のエゴみたいなもんで、でも、こんな素材を前にして、私が少しだけ手伝わせてもらったら、って言うか、これからは少しだけじゃなくて、手伝いでもなくて、本気で指導させてほしいんだけど。いままでは、片手間でやっていてごめんなさい。本気でやらせてください、演劇部。本気でやって、ブロック大会まで行こう」 ~
夏休み。初めての校外合宿は、東京に出て代々木の青少年センターに行くことになった。昼間はその施設のスタジオで練習し、夜は下北沢や池袋へ芝居を見にでかける。
ぎゅうぎゅう詰めの小屋で汗をかきながら芝居を観た帰り路、参宮橋の駅を降りて、吉岡先生はちょっとだけ回り道をするね、ほらと言われて歩道橋から見上げた部員たちの目に飛び込んできたのは、せまるようにそびえ立つ新宿副都心の高層ビル群だった。都会だ。
「きれいですね … 」と涙ぐむ一年生を、さおりは笑いながらも、気持ちはわかる気がした。
部員たちが一瞬暑さを忘れ、肩を寄せ合ってビルを見上げる。
「東京で銀河は見えないから、そのかわりだよ」と空に手をひろげた吉岡先生は美しかった。
役者ではなく作・演出を担当することになったさおりは、合宿までに台本を完成させていた。
自分の書いたセリフが声になっていくのを聞きながら、ああずっと演劇をやっていたいなと思う。
夜なかなか寝付かれず、夜も小さな灯りのついている談話コーナーにふらっと行ってみると、ユッコがソファに寝転んで台本を読んでいるのに気づき、驚いた。ユッコもさおりに気づく。
~ 私はユッコの横に座った。ユッコはそのままの変な姿勢で、
「ありがとう」
と言った。
「え、なにが?」
「言いたい台詞ばっかりだよ」(平田オリザ『幕が上がる』講談社)