入試がはじまった。
午前中は試験監督、午後は面接。
どうして本校を受験しようと思ったのですか?
具体的にはどんな高校生活を送りたいですか?
将来の夢は何ですか?
はい、文武両道という校風にひかれたからです。
○○部に入ってがんばり、現役で大学合格できるよう勉強もしっかりやっていきたいです。
将来は○○という職業につきたいと思います。
はい、しっかりがんばります。
さわやかに「ありがとうございました!」と言われると、「いやいや、こちらこそありがとう。よく受験してくれたね、合格したらぜひ入学してください」と言いたくなる。
そして彼の夢の実現に少しでも役立ってあげたいとも思う。
でも、一人一人の「夢」って、そんなに周りがサポートしてあげないといけないのだろうか。
勉強したいと言えば、場所も教材も教師も、空調まで用意し、質問には親身に答え、プリントを用意し、宿題をやってなかったら出来るまで待っててあげて … 。
部活をやりたいと言えば、場所も道具も顧問もあつらえ、日々の練習メニューを考えてあげ、コーチをよんであげて、試合のだんどりをし、練習が遅くなれば駅まで送り、合宿までしてあげて … 。
そこまでしてあげないと叶えられない「夢」って夢なのかな。
なんらかの要因で、夢の実現が困難になることはふつうにある。
それであきらめる夢なら、それは夢とは言えない。
ある特定の学校で、特定の顧問の指導のもとでしか叶えられないことって、ほんとに「夢」なんだろうか。
それは自分勝手な人生計画にすぎないんじゃないか。
私は○○高校を受験して、○○部に入り、結果を残して、推薦で大学に入りたいです。
うん、そう願うのはその人自身の自由だ。
ただし世の中は、そうそう思い通りにいくものではない。
何か予定が変わったときに、自分の希望だけは手つかずにしておいて、自分以外のものが自分にあわせるように要求するのは、国語的には「自分勝手」という言葉の範疇にはいる振る舞いだと思う。
おさない子どもはしかたがない。
いい大人が「○○の夢をつぶすな」と一緒にさわぐ姿があるとしたら、かなり品のない振る舞いに見えてしまうのではないだろうか。