朝日新聞の「声」欄に、旧友が投稿した文章が載った。
~ 五輪より原発事故の分析を 高校教員 五ノ井平吉
東京五輪の招致活動が始まった。震災から復興した姿を世界に示し、感謝を伝えたいとのことだが、福島第一原発事故に対する東京電力の責任はいまだうやむやであり、多くの避難者は忘れ去られることへの不安を感じている。 また、双葉郡内に除染廃棄物の中間貯蔵施設を設置することが提案され、地域の人たちの心情はいかばかりであろう。同じ県内にいても推し量ることなどできない。
さらにサテライト校という劣悪な環境で希望を捨てず、困難に立ち向かう生徒に、全身全霊を傾けて指導に当たっている仲間たちのことを思うと、東京で「震災から復興した姿を世界に示す」ことに対して強い違和感をおぼえる。福島の原発なくして発展することはなかった東京ではないのか。あの、3・11直後のおぞましい恐怖を忘れてしまわれたのか。
東北で聖火リレーや競技の一部を行う計画もあるらしいが、私たちが求めるのはお祭り騒ぎを被災地に持ち込むことではない。まずは原発事故についての冷静で真摯な分析であり、悲惨な事故が再び起こらないよう未来に向けて対応することだ。 ~
会津に住む彼と地震の直後に電話で話した時に、地震そのものによる被害はたいしたことはないが、放射能への恐怖感は並大抵のものではないと嘆じていたのを思い出した。
関東圏に住むわれわれも、言い知れぬ恐怖をいだいていたではないか。
このまま暮らしてていいのか、せめて娘達だけでも関東を脱出させるべきなのか、だとしたらタイミングはいつか、水は飲めるのか、魚は食べていいのか、武田邦彦先生と池田信夫先生のどっちを信用したらいいのか … 。そしてこの不安には終わりがあるのか、そんなことを考えながら、ときおり電気の来ない日々を過ごしていたではないか。
のどもと過ぎて、ロンドン五輪の余韻にひたり、その勢いで東京にも来るといいね、と思考停止して望んでいる場合ではなかった。それはそれ、これはこれではない。
五ノ井さんが言うように、福島は全然どうにもなってないのだから。
大阪の体罰事件があった高校の入試中止を、橋下市長が指示したのは、正しい判断だと思う。
部活を停止する、顧問を交代するなどの対策で、一定の変化は生まれる。
しかし、在校生や保護者、OBの反応を漏れ聞く限り、それで本質は変わらない。
何より、学校という組織が、そんな簡単に変化できないことを、みなさんよおくわかっているはずではないか。
部活って何? 体育科ってほんとに必要? という根本的な議論にすすまなければほんとはいけないのだ。
福島原発があんなになってさえ、すでに原発についての頭を使うエネルギーを随分われわれは減らしてしまった。
たかだか学校の部活でおきた問題なんて、すぐに過去のものになる。
「受験生には責任はない」という意見は当然ある。
それはあたりまえで、われわれ教員、教育行政、地域の大人に責任があるのはまちがいない。
だからこそ、「今あの学校に君たちを通わせるわけにはいかない、別の道を用意するから、そっちでがんばってほしい、ごめんなさい」と大人は言うべきだ。