甲子園はこれからだけど、気持ち的には今年の高校野球は終わったなという感じがする。
今年は長かったけどね。高校野球が終わると、コンクールシーズンだ。
今日は高校B部門の大会役員。
打楽器の搬入係をしながら、参加校の演奏をいくつか聴いた。
30人という人数での演奏の難しさと、30人ならではの音楽づくりの両面を感じることができたが、来月一緒のイベントを計画している立教新座さん、城北埼玉さんの演奏を聴けてよかった。。
埼玉は地区大会がはじまったばかりだが、全国各地では県代表が決まったところもある。
来月、西関東、東関東、そして東京代表が決まるころには、コンクールシーズンは終わりな感じになる。
仕事のあと、新都心により、学校にもどって、明日の登校日の準備をする。
学年だより「最初から成功していた(3)」
~「聞いてください。私はなかなか言葉が話せず、読み書きを覚えるのにも時間がかかり、
妄想癖があり、どこの学校にも入れてもらえませんでした」
「私もだよ。それが何か?」 … 20世紀最大の天才 アルバート・アインシュタイン
「聞いてください。私は7回も事業に失敗しました。5回も破産しています」
「私もだよ。それが何か?」 … 自動車王 ヘンリー・フォード
その人は夢の中で 偉大なる凡人たちに出会った。
彼らから どんなことにも傷つかない心と あきらめない勇気をもらった。
成功するまで 何度失敗してもつきることのない 情熱をもらった。
その人のハートは 窓の外の雪をすべて溶かしてしまうほど 熱くなっていた。
人生に限界はない。失敗を恐れてはいけない。
成功は 偉大なる失敗の連続から生まれる結果だから。
情熱を持って 偉大なる失敗を繰り返せる凡人が 世界を変える。
(是久昌信『情熱思考 夢をかなえた45人の物語』中継出版) ~
何事かを為すのに必要なのは才能ではない。
才能があるかないかは、ひょっとしたらあまり関係ないのかもしれない。
ていうか、才能があるかどうかを測ることは不可能だから。
もし何らかのことに対して才能のある人というのがいるとしたら、その何らかのことをどれくらい続けられるかで測ることはできるだろう。
やるかやらないか。
そして、それをやり続けられるかどうか。
才能があるというのは、そのことがらについて他人よりも秀でていることではなく、そのことがらをやり続ける能力だ。
どの程度、やり続けられるか。
その度合いの高さを、われわれは情熱とよぶべきではないのか(ちょっと、かっこよくない?)。
情熱とはやり続けられる力だ。
成功するか失敗するかはその人にとってそれほど問題ではない。
やり続けてしまうから、結果として成功に達してしまう可能性が高いということなのだ。