辻村深月『島はぼくらと』は、今年読んだ小説の白眉だが(ハックビーじゃないよ)、CDでは、いきものがかり「I」がダントツ。ていうか、両作とも、ここ数年という単位でふりかえっても、ここまで完成度の高いものはなかなかないんじゃないかと思う。
「I」は、すでに発表されているシングル曲(そのすべてはタイアップ曲)を含む14曲が、楽曲のほどよい多様さと、そのバランスはまさに「格調高雅、意趣卓逸」一聴してすぐに作者の非凡を感じるものだった。
これはもはや「アビーロード」とか「心もよう」に匹敵する(例が古いよね)。
「風が吹いている」はオリンピックのテーマソングとして聴いたときにも、そのスケールの大きさに感心したけど、アルバムの13曲目で聴くと圧巻だ。
その前におかれた、吉岡さんの作詞作曲によるバラード「東京」がまた心にしみる。
~ 暮れた東京の空 下向いて歩いてるなんてウソさ
光る宝石探し さまよう僕らの日々はもうないさ ~
ここで歌われる「東京」は、「おら東京さ行くだ」の「東京」であり、北三陸のユイちゃんが憧れた「東京」だ。
神奈川県出身の吉岡清恵ちゃんにとっても、東京は近くて遠い街だ。
それは地元を飛び出した若者が夢を追いかける街であり、夢かなわずにうちひしがれる若者が住む街であり、夢がかなった者もその代償にいろんなものを失う街であり、それでも多くの人をひきつけてやまない街「東京」だ。
~ Journey あなたがいない街歩き出す いつも通りの東京微笑んで ~
福井の山奥から金沢へ一旗あげようと出かけていけば、そこが彼(彼女)にとっての「東京」だ。
東京に一度も来たことも、この曲を聴いて象徴としての「東京」を感じ、心揺り動かされる。
(自重)
というような割り切れない思いも、「風が吹いている」を聴いていると、あまりにも小さなことに思えてくる。
~ 風が吹いている 僕はここで生きていく
晴れ渡る空に誰かが叫んだ ここに明日はある ここに希望はある ~
「東京」に描かれた屈託を経たあとの、自分として生きていく、人として生きていくという吉岡さん個人の思いは、聴く人すべての思いへと自然に昇華されていく。
生きることをこれほど確信もって肯定できる歌をどうして歌えるのだろう。
最後の「ラララー」のコーラスは、「ヘイジュード」のラストをおじさん的にはイメージする。コード進行はたぶん「ハローグッバイ」だ。
そんな古い歌を想起するのは、いきものがかりの楽曲には、なんか日本のポップス音楽が長年かかってつくってきた様々なものが詩にも曲にも自然に含まれているように感じるからだろう。
もはやジャンルをこえている。
ここまで来たのかと、陽水も拓郎も、ひょっとしたら桑田圭祐でさえ言うんじゃないかと思うくらいだ。
~ 風が吹いている 僕はここで生きていく
晴れ渡る空に 叫び続けよう 新しき日々は ここにある ある
風よ吹いていけ 君と夢を繋ぎたい
愛し合えるだろう つくりあえるだろう この時代を 僕らを この瞬間を
La La La... ~
ここで生きていこう。
でも墓参りもしてこよう。