「マシュマロテスト」は前の学年でも書いたネタだが、今回も配ったあとに、「2つ目もらえる子って、どんだけいますかね(苦笑)」と声をかけられた。
「15分がまんできれば … って説明してるうちに食っちゃう子、いますよ」
「まず話聞けよ! ですよね」
じゃ、自分たちならどうだろう。いや「たち」はやめよう。
明日のことさえ考えきれず、もうちょっとだけなら大丈夫と杯を重ねてしまうこともあれば、楽しそうな映画があれば目の前の仕事をあとまわしにしまうこともある。
小学校の通知表に「落ち着きがない」と書かれた私は、まちがいなくすぐに食べてただろう。
そのまま大きくなって数々の後悔をしてきた。
いや、だからこそ、目の前の生徒諸君には、将来の夢の実現のため己を律してほしいのだ。
学年だより「マシュマロ・テスト(2)」
誘惑に打ち勝ちたいという願いは誰もがもっている。
しかし、目の前にほしいものがおかれたとき、その目先の「報酬」に心が奪われ、将来のことなどどうでもよくなってしまう。
それは、人間の脳が根本のところで、そのように形成されているからだ。
ヒトの歴史において、ドーパミンが脳に作用し始めたころ、人間は目先の食べ物を手に入れることが最も大事だった。好きなことを実現するために何年も努力するという発想はなかった。
現実問題として、何㎞先にいるにちがいない大きな獲物よりも、とにかく目の前にあるものを口に入れないと生きていけない。目先の報酬を求めるのは、人間の原始の脳の部分だ。
一方で、徐々に大脳を発達させていった人類は、遠い先に手に入ると思われるものを価値づける脳をもつくってきた。
誘惑に打ち勝って、目先の報酬をいったん我慢し、将来手に入るであろう報酬に思いをはせる。
これは、生物として極めてグレードの高い行動形態なのだ。
原始の脳は具体物に反応する。
目の前においしいものがあるとき、楽しそうなものが目に入ったときにドーパミンが放出される。
きれいなお姉さんについ目がいってしまうのも同じだ。
視界に入ってこない報酬は、抽象的な存在なので、原始の脳は作動しない。
しかし、人間が後に身につけた合理的な脳が、目に見えない報酬の価値を計算する。
かんたんに言うと、目の前から、自分の欲望を刺激するものを隠すだけで、人間はずいぶん合理的に行動することができるということだ。
~ たとえば、ある実験では、キャンデイの入った瓶をデスクの上に置かずに引き出しにしまっただけで、社員のキャンディの消費量が3分の1に減ることがわかりました。
デスクの上の瓶に手を伸ばすよりも、引き出しを開ける方が面倒なわけでもないのに、キャンディを目の前から隠すことで、欲望がつねに刺激されなくなったのです。自分の欲求を刺激するものがある場合は、このように目の前から隠すことで誘惑を断ち切ることができます。 (ケリー・マクゴニガル『スタンフォードの自分を変える教室』大和書房) ~
拍子抜けするかもしれないが、脳科学、行動科学の専門家が研究を重ねた結果得られた真理はシンプルだ。「よけいなものは目の前におかない」。
かんたんではないか。お菓子や、漫画や、ゲーム機や、蒲団を、視界に入らないようにして勉強すればいい。幸い女子のいない本校は、きわめて意志力を維持しやすい空間だといえるだろう。
意思の力で欲求そのものを排除しなくていい。工夫で欲求への注意を散漫にさせればいい。
目の前のマシュマロをちょっとわきにおいておいて、将来大きなものを手に入れにいくのが、進化した人間だ。
その程度の工夫も我慢もできず、やりたいことを実現するというのは無理な話だろう。