君は路面電車の運転手で、時速100キロの猛スピードで走っている。前を見ると働いている人が5人いるが、ブレーキはきかない。しかし先に引き込み線があることに気づくが、そこにも働いている人が1人いる。
さあ、君が運転手ならどうする? ブレーキはきかないがハンドルはきく。脇の線路に入れば一人は殺してしまうけれど、5人は助けることができる … 。
有名な「サンデル教授の講義」で投げかけられる問題だ。
問いが発せられると、学生達はどちらを選ぶか挙手を求められる。そして教授と学生たちとの問答を積み重ねられながら「正義とは何か」について考察を深めていく。
「ハーバードの白熱教室講義」としてテレビで紹介され、DVDにもなり、書籍化もされた。
さすがハーバードのサンデル教授と、多くの人が讃え話題になった講義だ。
このときに、「ちょっと待って。その質問自体がおかしくないか?」
と発想できる人を、国語力である人と言う。
たとえば路面電車は100㎞では走れないはずだという当然の疑問をもつこと。
または、なぜすぐに答えないといけないのですか? と問えること。
なぜ二者択一なのか。
こんな不十分な情報をもとにして、人間の命に関わる決定をすぐに下さねばならないのはおかしい、と。
メディアが賛成と言えば賛成、反対と言えば反対。
えらい人が言うことはただしい、もしくはウソだ。
お上の言うことは正しい、もしくはすべてが陰謀だ。
若いときほど、人の思考は一面的なのかもしれないと最近思う。
やはり経験値が少ないから。
だから、文章を読むとはどういうことか、文章が書かれるとはどういうことかを、きちんと教えたい。
だまされないために。
~ サンデル氏は、自分が設定した二者択一しか考えさせず、学生の思考を狭く不自由にする「不正」を実行している。この人に〈正義〉について教える資格があるのか。 (宇佐美寛・池田久美子『対話の害』さくら社) ~
自分自身もまだまだだから、まだ読んでなかった師匠のご本を虚心坦懐に読もうと思う。