学年だより「下町ロケット(2)」
「佃製作所? いったい何者なんだ、この会社は … 」
帝国重工の本社ビルの一室で、財前道生(みちお)は書類に書かれた会社名を穴の空くほど眺めていた。
株式会社佃製作所、資本金3000万円、従業員200名。大田区にあるエンジン部品の製造開発を手がける中小企業――。帝国重工からすれば吹けば飛ぶような規模の会社だ。
帝国重工の宇宙航空部は、政府から民間委託された大型ロケットの製造開発を一手に引き受ける国内最大のメーカーである。宇宙事業「スターダスト計画」を社長の肝いりでスタートさせ、巨額の資金を投じて水素エンジンを開発していた。
しかし、その新型エンジンの重要な部品の特許が認められない、すでに同じ技術が登録されているとの報告を、担当から聞いたのだった。
帝国重工の技術力は世界のトップクラスだ。大学の研究室や他の大企業の研究室ならいざ知らず、まさか聞いたこともない中小企業に、先を越されるとは。財前は、佃製作所のことを調べさせた。
社長の佃航平は、宇宙開発機構に昔所属していた研究者であったこと、会社自体は30年以上の歴史をもっていること、堅実な経営を行っているようだが、今は訴訟問題に巻き込まれ資金繰りに苦しんでいることもつきとめた。
「君が佃なら、この特許、いくらで売る?」報告書を投げつけた財前は、開発主任の富山に聞く。
「これだけの特許を、そう安くは売れないと思いますが … 」と言葉を濁す富山に冷たい目を向けていた。特許開発の遅れは、直接の担当者である富山はもとより、自分の責任問題にもつながる。ここは、佃の特許を買い取ってしまうしかない。
そして今の状況から考えて、佃製作所は喉から手が出るほど目先のカネを欲しがっているにちがいないと、彼の嗅覚はとらえていた。「よし、私が直接出向こう」下町の中小企業に、帝国重工の部長が乗り込んで交渉するという。
「20億で、いかがでしょう」突然の金額提示に、佃は一瞬息を呑んだ。
「あの特許技術は、弊社が開発したロケットに搭載されてこそ生きるはずです」財前が続ける。
20億あれば、今の会社の窮地は脱することができる。しかし苦心して開発した技術が自分達の手を完全に離れてしまうということだ。
許諾料を払いながら使用してもらうのではだめかと言う佃に、会社の方針に反するからあくまでも買い取りだと財前は主張する。
財前達が帰ったあと、佃製作所の会議室は紛糾した。特許の売却を主張する営業系社員と、反対する技術系社員とで意見とで二分された。しかし、最も強く賛成すると思っていた経理部長の殿村が反対に回った。20億では安すぎるというのだ。
「売却は見送りするのが本社の結論です」
佃の言葉を聞き、財前は狼狽した。まさか、この提案を受けないなんて … 。「御社の現状を考えたら、売却されるべきじゃ … 」と言いかけた財前に、佃はこう言う。
「うちの財政事情など心配してもらうことはない。特許が必要なら、自社で開発したらいいじゃないか。特許を自社で持ちたいから売れ、なんてのは大企業の思い上がりですよ。うちの心配をする前に、そちらのスターダストなんとかいうプロジェクトを心配した方がいいんじゃないですか?」