水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

下町ロケット

2015年11月24日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「下町ロケット」

 佃航平には、宇宙飛行士になりたいという幼い頃からの夢があった。
 その夢を抱きながら大学ではロケット工学を学んでいる時、当時最先端の技術者だった大場教授の講義で「ロケットエンジンは神の領域だ」という言葉を聞く。二年生のときだった。航平はその言葉に魅了された。宇宙飛行士になりたいという漠然とした夢が、自分で設計したロケットを飛ばしたいという具体的な目標に形を変えた。
 大場研究室に所属した航平は、大学で7年、卒業後は宇宙科学開発機構の研究員として2年の時間を費やし、ついに画期的なロケットエンジンを開発する。
 しかし、そのエンジンを搭載した実験衛星ロケット「セーレーン」の打ち上げは失敗した。
 何百億円もの国費が投入されたプロジェクトだった。注目が大きかっただけに世間のバッシングも激しかった。何よりつらかったのは、自分を支えてくれていると思っていた研究仲間や上司からそっぽを向かれたことだ。責任の全て航平一人に押しつけようとする組織のありようにも失望した。
 折しも、電子機械を製作する佃製作所を経営していた父が病に倒れ、そのまま亡くなった。
 航平は開発機構の研究員の職を辞し、実家である佃製作所の社長に就任したのだった。
 佃製作所は、小型エンジンを主力商品とするようになった。新エンジンの研究開発を行いながら、実際に製品化していく。規模では大手にはかなわないものの、技術があり、性能のよい製品を作る会社として評判になり、順調に業績を伸ばしてきた。
 しかし、研究と経営とは異なる。会社がうまく回っているうちはいいが、取引先との関係に齟齬が生じ一方的に契約を打ち切られたりもする。経営に陰りが見えると、社内の空気も微妙なものになり、大手でもないのに研究開発費を使いすぎだという、航平のやり方に対する批判もうまれる。
 当面の危機を乗り切ろうと出向いたメインバンクから融資を断られた帰り道、経理責任者の殿村が「夢を追いかけるのは、しばらく休んではどうですか」と話し始める。


 ~ 「社長はまだ研究者だった頃の夢が忘れられないんですよ。だけど、もう社長は研究者じゃない。経営者なんです。社長は私ひとりが研究をこころよく思ってないと考えているかもしれませんが、社内には同じ考えの者が何人もいます。せっかく上げた利益が研究に消えていく――そう彼らは思ってます。社長がいうように研究開発の成果がいまの売上げに結びついていると理解している者はむしろ少数です。このままだと社内、バラバラになってしまいますよ。ですから――研究開発をやめないまでも経営資源をもっと他のところに回しませんか。水素エンジン絡みとかじゃなくて、もっと実用的なエンジン構造にテーマを絞れば社内もまとまるし、本当に実利に結び付くものになると思うんです。そうしましょう、社長。」 (池井戸潤『下町ロケット』小学館文庫) ~


 航平は言葉を失った。しかし腹は立たなかった。社長にここまではっきり意見するには決心がいったはずだし、同じ考えの社員も実際多いのだろう。何より、本気で会社のことを考えた上で進言してくれたのだと思えた。

コメント
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