水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

『水を縫う』(1)

2020年06月03日 | おすすめの本・CD
 すぐれた文学作品というものは(主語でかくない?)、なんらかの形で人の背中を押してくれる力をもつ。
 ほとんどの場合、押された人の言動が、傍目からはさほど変わったものには見えないが。
 そこが、映画とちがうところか。
 映画だと、見終わった直後に、健さんやロッキーになった人はたくさんいた。
 はっきり形に見えないとはいえ、内部での変化の度合いは、映画を観た後のそれより大きいことも多々ある。

 すぐれた文学作品?
 たとえば何だろう。教科書に載っているような「名作」?
 餓死寸前の下人が老婆をボコって盗人になる話や、友人の好きな女を我が物にして友人を自殺させる話や、異国の地で少女を手込めにして妊娠させ発狂させる話のこと?
 教科書に載っているこれらの名作も、あまりの非道徳性ゆえに、わたしたちの背中を押してくれる。
 こんな自分でも生きていこうかなと感じさせてくれるという意味で。
 文学は、不健全な精神の持ち主たちを、なんとか社会からはみ出さずに生かしてくれようとする。

 社会の一員として迷いなく人生を過ごしている方にとって、文学は「不要不急」以外の何ものでもない。
 一見ふつうに社会生活を送っていけてるようでも、何か喉の小骨がとれないような感じをもっていたり、自分のやっていることにちょっとした違和感があったり、しょっちゅう作り笑いしてる自分に気づいたり、イヤなことはやめよう思いながら決心できない自分を嫌悪してたりする人にとっては、ふと手にした何でもない人の物語が、そっと背中を押してくれたりすることがある。

 寺地はるなさんの小説を読むといつも、そういうことを思う(え? 前置きながない?)。


~「そう。プール。泳ぐの、五十年ぶりぐらいやけどな」
「そうか。……がんばってな」
 清澄はふたたび手元に視線を落とす。ぷつぷつとかすかな音を立てて、糸が布から離れていく。うつむき加減の額にかかる前髪も、皮膚も、まだ新品と言っていい。
 この子にはまだ何十年もの時間がある。男だから、とか、何歳だから、あるいは日本人だから、とか、そういうことをなぎ倒して、きっと生きていける。
「七十四歳になって、新しいことはじめるのは勇気がいるけどね」
 清澄がまっすぐに、わたしを見る。わたしも、清澄を見る。
 でも、というかたちに、清澄の唇が動いた。
「でも、今からはじめたら、八十歳の時には水泳歴六年になるやん。なにもせんかったら、ゼロ年のままやけど」
 やわらかな絹に触れる指が小刻みに震えてしまう。そうね、という声までも震えてしまいそうになって、お腹にぐっと力をこめた。      (寺地はるな『水を縫う』)~
コメント
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