大日本帝国憲法を作成したのは長州藩の伊藤博文である。それを支えた山縣有朋ら元老たちもいた。天皇に統帥権持たせて、実は自分たちが操縦していく。
しかし、時代は変わり、日本陸軍は陸軍大学校出のエリート軍人たちに掌握されてしまった。
最後は、戦争を遂行した軍部幕僚たちのメンツを守るために「天皇制という国体を護持する」という大義にすり替えて終戦を遅らせた。
海軍はマリアナ沖海戦で戦艦・空母をほとんど失い、戦闘能力が壊滅したので、特攻という自爆テロ行為を正規軍が行わざるを得なかった。それでも戦争を止めようとはしなかった。
今どこかの国で似たようなことが起きていないだろうか、…。
なぜPCR検査が普及しないのか。厚労省の優秀な医系技官はかつての陸軍エリート将校と類似していないだろうか。
広田弘毅の妻静子は名家の出身ではなかった。同僚の吉田茂の妻は牧野伸顕の娘である。つまり薩摩の大久保利通の孫であった。
広田静子は東京裁判が始まると鵠沼に戻り、広田が好きだった五目ご飯を家族で食べた翌朝、自殺したそうである。遺書はなかった。そのことがこの本に少し書いてある。