玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

終戦の遅れ

2021-01-06 20:20:56 | 近現代史

聯合国からポツダム宣言という名の「最後通牒」を出されて、鈴木貫太郎首相は、新聞の見出しの「黙殺する」という暴言をそのまま使った。

その言葉は聯合国側に「reject(拒絶する)」と訳された。それでアメリカから原爆を落とされた上に、ソ連に攻められてしまった。

これで国民が全滅すれば国が亡びると、昭和天皇が戦争を終わらせた。

特攻の生みの親である大西龍治郎軍令部次長は「今後2000万人の日本人を殺す覚悟で、これを特攻に用いれば、決して負けはせぬ」と言ったそうだ。(東郷茂徳『時代の一面』より)

受諾の返事が遅いと、連合国はビラをばら撒いた。これが終戦したもう一つの理由だという説もある。

何故なら、日本が負けていることが国民に判ってしまったから。

新聞は本当の事実を伝えなかった。ただ大本営発表という架空の戦果を報道していた。

今もどこかの国で、公文書を隠したり、捨てたり、改竄して、事実を国民に見せない国があるそうだ。

それなのに、マスコミは官邸発表をそのまま流している。これでは、民主的な国と言えるだろうか。国民主権の国家と言えるだろうか。

国会図書館資料:当時散布されたポツダム宣言のビラ、国内では都合の悪い部分を割愛して発表されていた。

 

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