時たま、この国の報道が信じられなくなる。
あったことを報道しなければ、あったことが結局無かったことになってしまう。
大げさだが、そう思うことが多い。
カレル・V・ウォルフレンは“横並び報道の日常化”と括っている。
大切な事実が、猥雑な事件の喧騒でかき消せられることもある。
結局、無かったことになる。
外国人は言葉の壁があるが、その浸透する目は信頼できる。
彼は“日本の新聞の解釈がどれも驚くほど似通っている”と言っている。
“画一的な日本の新聞報道によって、日本の政治的な現実は形成されていく”とも。
これらが日本の習慣や風土ではなく、誰かが意図的にやっていたら、実に厭なことだ。
コロナ禍で、「37.5度以上、4日間以上の高熱」「PCR検査はむやみにやれば医療崩壊になる」こう言った政府、こう報道したマスコミ。
ワクチンは本当に来るのか?それで、オリンピックは1年延期にしたのではないのか。
彼らを信用していない、が…。