この種の回顧録にありがちな、ある種のむず痒さが残った。
「1999年の堤防の決壊」と辺見庸が言った≪周辺事態法、盗聴法(通信傍受法)、国民総背番号法(改正住民基本台帳法)、国旗国歌法≫等の右傾化法案の成立を自民党の側から見たかった。
国旗国歌法の時、当時の民主党は社会党系・保守系の対立で自主投票となった。そのため自らの思想・信条が公に知られた訳だ。
2001年のテロ対策特別措置法の時は、記名ではなく、むしろ起立採決を求めてきた、というくだりは面白い。
今の立民党は「第二保守」で岩盤支持が少ない。無党派層の左派系の票に支えられているだけ。
自民党が右傾化したので、立民が旧自民党のように幅広い保守へ転身するチャンスなのだが…。
野中広務が国鉄を辞めて政治に入った理由がぼかされていた。差別の問題があったのかもしれない。
またアマゾンに魚住昭の「差別と権力」を注文してしまった。