講談社現代新書、2018年版である。私が読んだ保坂正康の本はほとんど新書ばかりで、まともな論考を読んだ事が無い。実は彼の表現方法が私の好みではないのかもしれない。
この本に限れば、彼は石原莞爾への思いがかなり強いと感じた。保坂は現実に生きた人の生の証言を集めて歴史の事実を再現、構築しようとする手法であろう。
しかし、静的な文献ではないので、話し手の思いを直に受け止めてしまい、その結果、自らの好悪の思いも沿わせていく傾向が強いと感じている。
この本でも、暗殺された犬養毅首相を語る孫娘の犬養道子氏や石原莞爾を語る周囲の人々への寄り添い方は、彼の熱い熱情を感じる。片や、瀬島龍三や東條英機への批判性は徹底して冷静できつい捉え方である。
この本を読んで二つ点が引っ掛かった。
一つは昭和天皇が繆斌の和平工作を全く認めなかったことを、当時の重光葵外相の意向が働いているようにほんの少し触れていることが妙に気になった。またその線でほかの文献で調べてみようと思う。
もう一つは、犬養毅首相が5・15事件で撃たれるとき、「話せばわかる」と云ったように巷間伝えられているが、事件当時の周りの人には「話を聞こう」と聞こえたらしい。その二つ言葉の差異を保坂氏は非常にこだわっていた。
悲しいかな、私にはその差異の重みは理解できなかった。むしろ荒木貞夫大臣が「あんたがやった」と迫られて、畳廊下にうつ伏して震えていたという証言の方が衝撃的であった。
ただ、その後の世間では5・15事件のテロ実行者が英雄となり、犠牲になった犬養家の人々があれこれと嫌がらせを受けるという、当時の奇妙に歪な社会があったことを忘れてはなるまい。
こうした社会にまた成らないとは断言できない。今の社会でも、政治でも、マスコミでも、無闇に声の大きい人々には気を付けねばなるまい。