一つの間違いやほんの一段の踏み外しで、すべり台のように貧困に落下するという。近頃の大学の学資は、その教える内容に比べてかなりの高額だと思う。それでもやっと大学出ても、何かで一回失敗すると、すべり台のように落ちて行く。
その危険性は現代の今に限ったことではない。抑々が、この国は再スタートが遣り辛い社会になっている。
『反貧困』の著者の湯浅誠は、「一旦躓いたら、必ず誰か親身になって手助けしてもらえること、または、それに代わる機能や役割が必要になってくる。簡単に、すべり台のように貧困に落下することを防ぐには“溜め”が必要だ」と言う。
その“溜め”の機能は、言い換えれば、“猶予”期間でもある。
正規雇用が減少し、次の再就職まで、失業保険の給付を受けて猶予期間を持てる人が絶対的に少なくなったことが、今日的なすべり台貧困の典型でもあるネット難民を産んだ一つの要因だと思う。
ネット喫茶は昔で言うならば簡易宿泊所であろう。昔はそこまで落下するには結構時間がかかった。今は親兄弟、親戚の助け合いが昔に比べて希薄化や遠隔化して、失業保険対象でなければ、又は日頃の貯えがなければ、簡単に貧困層に落下するようになった。
現在さかんに言われている「賃金を上げること」も急務だが、再就職を国が応援していくシステム、具体的には新たな職に対応できる技術・技能の習得のための充実した学習機会を設け、その期間は国が生活を保障する、と云った再就職のための生活保護受給システムを構築することが本論であろう。
こうした地道な提案をすることが、批判ばかりだと言われる野党に求められている。