歴史家 保坂正康氏は、「あの太平洋戦争からは、偏狭で、非人間的で、冷静な判断ができない国民性しか見えてこないが、本来は、堅実で、思いやりがあり、禁欲的なモラルの国民性があった筈だ。昭和の前期の日本人は『亜種』というべき状況だった」と言った。〔『昭和史入門』文春新書 〕
だが、この『亜種』という言葉を使うならば、戦後生まれの世代こそが「明治維新以降に形成されてきた日本人という枠組に入らない『亜種』である」という使い方が良いと思う。
この戦後世代は、学校教育では戦争の歴史がほとんど空白であり、現憲法の9条で平和という言葉を信じ、仮置きの民主制の中で平穏に暮らし、国家と自分との関係を終生つくれなかった世代である。まさに、日本人の『亜種』になってしまった。
蛇足ながら、保坂氏は、ただあの戦争から眼をそむけ、『亜種』という言葉で“逃げている”、と最近思うようになった。
名前の知らないタイの花