ご日程
両陛下
12月2日・・・天皇陛下 → 通常業務
12月5日・・・両陛下 → 令和4年度「障害者週間」関係表彰式出席
12月6日・・・天皇陛下 → 通常教務
皇嗣家
12月2日・・・両殿下 → 退任最高裁判所判事、退任東京高等裁判所長官に会う
赴任北マケドニア大使夫妻と会う
12月3日・・・両殿下 → 中央区立久松小学校開校150周年・久松幼稚園開園80周年記念式典出席
12月5日・・・両殿下 → 赴任カンボジア大使に会う
12月6日・・・妃殿下 → 「第22回国際栄養学会議開会式」出席
12月7日・・・両殿下 → 「統計150年記念式典」出席
天皇家、公務がなさすぎ。成年皇族がいるのに・・・実質天皇陛下しか働いていない状態です。よくこれで「24時間付き添う」だのと週刊誌に書かせているなと思わずにいられません。
実は天皇の生検の結果がよくなかったのではという噂がありますが、天皇の顔色や状態を見ると、前立腺の事ではなくもっと内臓に関わる何かを感じるような気がします。
健康状態を隠すのは両陛下のポリシーというか、東宮時代から健康診断拒否してきた人達ですので、「個人情報」にやたら拘る人がいるのでしょうね。
また今、天皇が本当に病気になってしまうと困る「自称・病気」の人がいるからとしか考えられません。
ベルギーのアストリッド王女と最初に会ったのが秋篠宮家。今後、天皇皇后と会うかどうかは不透明。もしかしたら帰国するかもしれないし。
「天皇陛下をベルギーに招きたい」とおっしゃったアストリッド王女。ベルギーは上皇后の範囲ですから、「招いてやって」と言われれば招くだろうとは思います。しかし、そこに「皇后陛下」は入ってないと思われ。
それに怒って、招待されているにも関わらず会わないのかしら?と考えたり。
だんだんタイの国王のように扱われつつある日本の天皇と皇后。民と世界の信頼を取り戻すには時間がかかります。
今年の雅子皇后の誕生日文書を読んでいて、さらに細かく見ていくと今年の特徴が見えてきます。
災害や天災などに触れるも具体的な事例に言及せず
「パキスタンでは、夏の期間の豪雨により国土の約3分の1が水に浸かり、全人口の約15パーセントに当たる3,300万人が被災したと聞きます」
「・・と聞きます」という書き方は実際には目にしていないけど耳には入ったって事で畝。パキスタンの映像はニュースとして何度も流されているので「聞きます」ではなく「言われており、ニュースでその情景を目にした時心が痛みました」となる筈だったのでは。
文章の前半はニュースで得た情報、その後は「と聞いている」程度の情報。
つまり、根本的にはインパクトが強かったから覚えていた事例という意味です。
「国内でも、地震や大雨、そして台風による災害が今年も起こりました。亡くなられた方々とその御遺族に心からのお悔やみをお伝えするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いをお伝えいたします」
いつ、どこで、どんな災害が起きた・・・という記述が一切ないのです。
文章的にも「国内では今年も・・・」と入るべきですが、小学生の文章みたいになってます。
つまり、本人的には全く関心がないし今年の災害を調べる気もなければ知る気もないという事で「色々あったね~~とりあえずお悔やみいっとけばいいか」といういい加減さが目立つ文書になりました。
毎年、そんなに凝った文章を書く人ではありませんが、今年は殊更に「国内の事」にも「世界の情勢」にもまるっきり関心を寄せなくなったという点で、私は皇后に年齢的な衰えと認知機能の衰えを感じるのです。
特に今年は安倍元総理が暗殺された重大事件が起きました。
それをすっかり忘れてしまったかのような、いや、わざと触れないのかもしれないけど、無視していい事と悪い事があるんじゃないかと思います。
エリザベス女王=長生きしたし、世界中で悲しんでいるわ
沖縄=平和
というやたらステレオタイプの情報しかないという愚かさを露呈してしまいました。
自分が実際に英国へ行き、女王について何を感じたかがない、沖縄を始め地方で行って歓迎されたから「ありがたい」というだけの話なんですね。
天皇、愛子内親王、上皇夫妻の近況に触れず
今年は、4月に愛子内親王の記者会見があり、それ以後皇居にこもり、国宝展へ行き、陛下に関しては前立腺の不調があったと思うのですが、一切の言及はありませんでした。
愛子内親王の誕生日には表の行事には参加せず、「お祝御膳」のみ一緒という異様さ。
上皇夫妻の長寿と健康を願うわけでもなかった。
「家族」に対する関心のなさの原因は一体、何なんでしょうね。
個人的には、皇后は3月の記者会見も養蚕を手伝ってくれたことも忘れているんじゃないか?と思ったのですが。
女帝にしたい程愛しい娘について何も語らず、フォローもないと言う事は、20歳を境に本当に関心がなくなったとしか思えないのです。
皇室入りして29年半という中途半端な言葉にこだわる
「私が、当時の皇太子殿下との結婚により皇室に入りましたのが平成5年6月9日、ちょうど29歳半の時でした。
本日の誕生日で、その時からちょうど29年半になります。
いつの間にか人生のちょうど半分ほどを皇室で過ごしてきたことに、感慨を覚えております。
これまでの人生を思い返してみますと、29歳半までの前半にも、また、皇室に入りましてからの後半にも、本当に様々なことがあり、たくさんの喜びの時とともに、ときには悲しみの時も経ながら歩んできたことを感じます。
そして、上皇上皇后両陛下のお導きをいただきながら、どのようなときにも、天皇陛下を始め、多くの方々に私の歩みの一歩一歩を支え、見守っていただいてきたことを思い、心から感謝したいと思います。
この冷たい文章はなんでしょう。
「当時の皇太子殿下との結婚により皇室に入りましたのが・・・」
あなたの夫は当時の皇太子で、日本国民はみんなそれくらい知ってるよ~~~
それを言うなら「平成5年6月9日、私が皇室に入りました時29歳と半分でした」と書けば可愛いのに、まるで他人事のように・・
これがこの人の拘りなんですね。「29歳の時」ではなく「29歳半」
「東宮様に嫁ぎました時」ではなく「当時の皇太子殿下」と三人称で書くのは、29年半経っても徳仁さんは「夫」でも「家族」でもないという事ですね。
請われて結婚してやったけど、ひどい目に合わされたくらいにしか思ってない。
「この29年の間に一人娘を授かった事は私にとってもっとも幸せな瞬間でした」と書けばそうだね~~ってみんなに共感されるのに。
だって29年半で悪かった事ってなんですか?
流産した事だけじゃないですか?
29年半かけてお辞儀の仕方も覚えない、晩さん会にもまともに出席出来ない、外国に行けば好き勝手にドタキャンする。散々好き勝手やって週刊誌に上げ報道させて、どこに悲しい事があったんだ?と思わざるを得ません。
ディズニーランドへも行った、「静養とお遊びは治療の一環」のお墨付きを得て、スケート、買い物、遊園地、花火大会船貸し切り、ハロウィンも楽しんだ。オランダに遊びに行った。他に何かあったっけ?
「今29年と言われまして、私の中では29年半だったものですから・・・」とか言う拘りは雅子皇后独特のもので、こういう所がある意味「究極のKY」と言われる部分なんだろうなと。
年齢を重ねるに従って、ハイになると口が止まらなくなり暴走し誰も制御出来ない。
モンゴル大統領夫妻との会見の時がまさにそうだったようで「会話を雅子さまがリード」っていうけど、本来は天皇と大統領との会見であって、妻は一歩控えるべきなのに自分が主役になってしまう。
これも「究極のKY」なんですよね。
年々それがひどくなっていくなら、やっぱり認知機能に問題が出て来たのではないかと思います。
頑固さはますます増していき、扱いにくい人になっていきますね。