ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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雪組・蒼穹の昴ライブビューイング

2022-12-26 07:00:00 | 宝塚コラム

私は清朝ものが好きです。

衣装は豪華だし、女性同士のあれやこれやれも多いし。

でも「蒼穹の昴」を宝塚でやろうとは思いません。

なぜなら、宝塚に必要不可欠な「恋愛」要素がゼロだからです。

おまけに、辮髪でしょ?無理無理・・・と思っていたら原田諒がやったっ!

全体的に「政治物」「男の話」としてはうまい作りだと思うけど、その分女性達が全然活躍せず。

何しろ、さよならの朝月希和にボロを着せて出番少なくなんて、「堕天使の涙」の舞風りら以来の屈辱物よ~~

梁文秀との関係は最後まで「兄と妹」にほかならず・・・原作では後に結婚するけれど。

今回は主人公が二人いるようなもので、1幕では文秀と春児の関係も対等でさらさら見せ場もあって進んでいくけど、2幕目は春児はほとんど何もせず。

そりゃそうです。春児が活躍するのは京劇役者としての時、西太后づきになってからの彼は西太后の孫のような存在になっていくし、宦官の世界では正義感に溢れた考えでのし上がっていくわけです。

改革派の文秀と清朝側の春児は対照的な立場で、無論考え方もそうです。

しかし、はっきり言ってこの対比がうまくいっていたとは思えません。

どうしてもトップに焦点を当てなければならないから、春児達は後回しになるのは当然。だったらそんな難しい話を2時間にまとめようとするなよと言いたかった。

確かに大階段を使っての宮廷シーンは見ごたえがありました。

しかし、宮廷ならではの「しぐさ」というものが一切排除されていましたね。

例えば「お茶」を飲む仕草。

日本と違って、あちらでは茶たくに湯呑を乗せ、蓋をしたまま口にもっていき、蓋で茶葉をよけながら飲みます。

例えば「お辞儀」

文秀達のお辞儀は腕が生ぬるい。妃達は膝を折って挨拶します。

せめて、光緒帝の3人の妃達の優雅なお辞儀を見たかったです。

西太后ら后は重いリャンパトウを頭に乗せて、長方形のかかとがついた靴を履いていますので、一人では容易に歩けないし跪く事も無理です。そして寒い時には陶製のカイロを両手に持っています。

そういう、いかにも「清朝」的なものを取り入れてくれたらムードが出たけど。

我が家の姫も、お辞儀の仕方に違和感ありと、名前の呼び方に違和感があったといいます。

例えば「珍妃」はチンフェイ、「西太后」は「シータイホウ」と発音します。

梁文秀と春児、順桂など一部の人達だけ中国語読みっていうのはちょっと・・ってわけですね。

私は西太后が光緒帝を「ツァイティエン」って呼ぶかなと。

李春児も本当は「李春雲(リチュンウン)」が本名で「春児」は愛称です。

 

とにもかくにも、専科の人達がの演技に脱帽してしまい、これをずっとみていられるなんて幸せだ~~と思ってしまいました。

だって、芝居ってこうでないとが詰まっているんだもの。

一樹千尋と夏美ようなんて、元星組コンビですよ。この大げさで大仰な物言いの似合う事といったら!素晴らしかったなあ。

また。京劇の朝美絢のカッコよさも半端ない。よくぞここまで頑張ったとしかいいようがない。

という事は、申し訳ないけど主役がかすむわけで。

正直、こんなに専科が出て来る芝居は鳳蘭主演の「誰が為に鐘は鳴る」以来じゃないの?って感じです。

かすまなかった鳳蘭はすごかった。遥くららも大物だった。

でも残念ながら雪組トップコンビは・・・

しょうがないよね。原田諒は組にあてて書いたっていうより、自分が書きたいものに役を当てはめただけなんだから。

終わってみれば梁文秀も春児も何か大きな事やったっけか?

ああ、爆弾から西太后を護ったのは春児だけど、それだけ大きな成果を上げたのに誉め言葉一つなしかい?

順桂が死んだのにコメントなしかい?

文秀は袁世凱に頼み事しただけかい?

戊戌の政変って・・・こんなに軽い扱いかと。

光緒帝は死ぬまで幽閉されたのよ。西太后によって。西太后の胸の内もわからないし、光緒帝の悲しさもわからないし。

結果的に政治を語っただけの芝居になってしまいました。

上田久美子だったらもうちょっと・・・あわわ。

 

衣装はどれも素敵でしたが、ただ文秀達の服の裾の波模様は違和感あり。

あれはいらなかったなあ。

辮髪なしも違和感しかないって・・・・だからやめときゃよかったのに。

フィナーレの朝月希和のドレスは可愛らしかった。

今度はぜひ恋愛要素で「珍妃の井戸」をお願いしますよ。

 彩風咲奈・・・いつになく力が入った役で、トップの地位を守り抜いた感じ。

        本編とは関係ないけど、朝月希和のさよならショーで「SUPER BOIJER」のダンスを披露したけど、二番手の頃よりずっと上手になってました。今回の作品は身を軽くしないと出来ないものだったのでしょうかね。ただ・・もうちょっとカタルシスが欲しいんだな。

 朝月希和・・・ボロボロの服で出て来た時はどうしようかと。可哀想すぎて。ラストはまあいい服着て出て来たけど、本来ならミセス・チャンにして活躍させるべきだったんじゃないの?と。さよならショーは近年まれにみるよい出来で、楽しかったです。

ご苦労様でした。明るくて可愛くて大人のひらめちゃんの幸せを祈ります。

 朝美絢・・・とにかく春児として可愛いやらいじらしいやら。京劇の振りを見事にやりこなした度胸がすごい。また朝美絢の瞳はいつも何かを渇望している。この必死な渇望感が人を酔わせるのではないかと思います。

 凪七瑠海・・・李鴻章。1幕であっさり消えるから「え?」と思ったけど、2幕目最後で見せ場あり。どんどん貫禄がついてよい男役さんですよね。

 和希そら・・・あまりしゃべらず、でもいつも憂いに満ちている表情が素晴らしかったです。あっさり爆弾で死なせるなんて。

 縣千・・・好感が持てる真面目な皇帝で演技力がある事はわかりました。黄色の衣装に助けられてよく目立ったし。このまま伸び続けてくれれば。

 諏訪さき・・・眼鏡で純粋にリンリンを好きになる風情がよかったです。

 真ノ宮るい・・・見た目いいし、声は素敵だし演技力もダンス力も抜群で目立ちましたね。

 一樹千尋・・・西太后が代表作になったかも。

専科の方々、全員素晴らしい演技をありがとうございました。

 

原田諒には「宝塚的になものとは」という視点を今一度持ってほしい。

かつて植田紳爾が「紫禁城の落日」を星組で上演しました。

これは日向薫と毬藻えりのさよなら公演でした。

しょっぱな、大階段から出演者を歌いながら降ろして華やかさを描き、愛新覚羅溥儀とその后の婉容を軸に、次期トップコンビのアピールや、次期2番手に終戦の詔を口語訳セリフを言わせるとか、全ての人に見せ場を作った作品でした。

その分、ストーリーは史実と大きく異なってしまったのですが、でも大いに泣けて、これこそ「宝塚とは」の究極の表現法だと思っています。

ちゃんと辮髪もあったし。紫苑ゆうが辮髪じゃなかったのは日本に留学していたからだし、そこらへんはちゃんとしてたという記憶があります。

原作に忠実にがよいのか、宝塚の定義に当てはめるのがいいのか。

生田大和も原田諒も次世代を担う演出家なのですから、特にそこを考えて作品作りをしていくべきと思います。

宝塚はトップが光ってこそなんぼ、泣かせてなんぼの世界。

見せ場作って一人前の世界ですよ。

 

コメント (3)
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雪組 蒼穹の昴 その前に

2022-12-26 07:00:00 | 宝塚コラム

日本人は明治維新については学校で習っているし、幕末は好きな人も多い。

でも維新後は日本を中心に習う人は習い、習わない人は全く触れないので、正直、お隣の国の歴史なんてまったく興味がないんじゃないかなと思います。

ゆえに、歴史がねじ曲がって伝えられ「韓国併合」を「植民地支配」日華事変を日中戦争といい、日本が悪逆非道を尽くしました・・・と思っている人が多いのです。

 

私が、いわゆる「中国」に興味を持ったのは1995年くらいに作られたドラマ「さよなら李香蘭」だったと思います。

母が彼女の名前や存在を知っていて興味があったのです。

その後、少しずつ本を読みつつ、NHKドラマ「蒼穹の昴」と出会うわけですね。

このドラマは日中合作で西太后役の田中裕子に「すごい」の一言でした。

それから原作を読んで、さらに「中原の虹」「珍妃の井戸」と続き、浅田次郎が解説で出る清朝のドキュメンタリーを見たり、中国ドラマで色々学び、さらに宮脇淳子の本で真実を知る・・といった具合でした。

 

原田諒の「蒼穹の昴」はよく出来たストーリーではあるけれど、そもそも見る側が「清朝」とは何かを知らないと全然思いが伝わってこないのではないでしょうか?

 清朝・・・太祖ヌルハチに始まる女真族の一族「愛新覚羅(アイシンギョロ)家」です。女真族は中国人ではなく草原の民です。やがて満州族と呼ばれます。満州文字を持っているけど漢字を取り入れ、無理やり名前を漢字にしているので「愛新覚羅」という4文字なんですね。

 西太后の実家・・・イェホナラ家と言われますが、乾隆帝の皇后を出した家なのです。しかし、この皇后と乾隆帝の不和により皇后は諡号も墓もなく、「イェホナラ氏から妃を出すな」と言われて来ました。

その掟を破って咸豊帝の側室に入り、やがて後継ぎの同治帝を産んだ事で、正室を「東大后」帝の母は「西太后」と呼ばれます。

しかし、同治帝はご乱交が過ぎて性病でなくなり、後継ぎに困った西太后は身内から光緒帝を迎えるのです。

 清朝の服装・・・いわゆる「満州服」と呼ばれる格好で、男子は辮髪でした。辮髪は頭のてっぺんをそり落として後ろの髪だけを編むという独特の形。

これがあるから清朝物は絶対宝塚ではありえないと思ったら、なんと「辮髪」させなかった!

西太后達の頭に載っているカツラは「リャンパトウ」と呼ばれるもので、大変重いです。身分によって飾りの制限もあります。また、花魁の下駄みたいな靴を履くので一人では歩けません。

西太后が一人で歩くなんてありえない。女官が片手を持ってないと歩けないのです。

 清朝が滅びたわけ

端的に言うと、後継ぎがいなくなったからです。

これはどこの王室、皇室にも言える事ですが、背負う人が凡人だと必ず滅びます。

清朝は長い間「眠れる龍」と呼ばれていました。

つまり、西洋列強からすると「手を出すと怖い」存在だったのです。

でも近代における西洋の「植民地支配」「領土を増やす」魔の手がアジアに迫り、日本は明治維新後の「富国強兵」で乗り切りますが、清朝は、アヘンの流入で国力が弱くなりました。

そこでイギリスと「アヘン戦争」・・でも負けて香港割譲。

清朝のあちこちに「西洋の租界」が出来て、侵略が進んでいたのです。

光緒帝は、どうしたら清を強く出来るんだろうと真面目に考え、「開国」の道を選びますが、西太后はそれを許さなかった。

「戊戌の政変」と呼ばれるクーデターは失敗に終わり、光緒帝は幽閉されて終わります。

その後、孫文が辛亥革命を起こして清朝は消え、紫禁城に閉じ込められます。

袁世凱は愛新覚羅家にとって代わって皇帝になろうとしたけど、張作霖らに阻止され。

やがて蒋介石の国民党軍による軍閥政治が始まり、それに反発した毛沢東率いる共産党と内戦を繰り返します。

日本は、行き場がなくなった愛新覚羅溥儀を皇帝に据えて「満州国」を設立しますが、13年しか続かなかったのです。

 科挙・・・科挙という言葉は誰でも知っているけど、実際何がそんなに難しいのかわからないと思います。百田氏の受け売りと私の印象で言うなら、科挙は「暗記の天才」って事になります。

中国と朝鮮において「科挙」は重要な役人登用の窓口。

けれど実際は「論語」など古典を読み込んで暗記して間違いなく書けて、さらに解釈を自分で入れて、それをいかにも漢詩のように美しく流れるように語るように書くって事です。

中国でも朝鮮でも軍人より文官の方が位が高かったのです。

中身は究極の「国語」ですよね。

日本では科挙を取り入れませんでしたし、将軍家から農民に至るまで読み書きに加え、数学が流行ったり、天文学が流行ったりと学問は自由でした。

でもお隣の国では1教科しか科目がなく、全国の人が一つの問題に答えるのですから大変。

文秀が言ってた「科挙の部屋」って・・マンションのごみ置き場を石造りにして並べたような狭い部屋。椅子と机しかなく人一人がやっと入れるような空間しかなく、そこで何日も答えを書き続けるんです。

お金と暇がないと4回の科挙を全部受けることは不可能です。

その「科挙」を廃止する事は正しい事だったけど、官僚がその考えについていけなかった。日本は価値観ががらりと変わってもなんとか慣れていくけど、あちらはそうではないんですよね。

 

 日清戦争・・・日本が明治維新で感じた事は「うかうかしていると西洋列強に支配されてしまう」という事。それを防ぐ為に清や朝鮮に対して開国を求めるも、どっちも拒否。朝鮮を巡って日清戦争が勃発。日本が勝利します。でも勝利したから得をしたのかというとそうでもなかった・・・

 春児達が貧しいわけ・・・百田さんの本で読んだのですが、中国大陸は自然災害や戦が多い。王朝が変わる度に大規模な戦争が起きて負けた側は全て殺される。また計算すると4年に一度飢饉が起きていたらしく、痩せた土地に住んでいる農民は常に死と隣り合わせだったのです。

 宦官と後宮・・・宦官は2000年も前から大陸で存在し、それを受け入れたのは朝鮮と琉球。日本は中国からこの残酷な風習を取り入れませんでした。

宦官が出来たのは、皇帝の妃達と男女問題を起こさない為でした。

また、日本の後宮で働くには家柄や血筋がとても大事にされましたが、中国や朝鮮ではいわゆる食い詰めて行き場がなくなると宮殿に仕えるという習わしだったわけですね。

後宮の女性には「皇后」「貴妃」「貴人」などの明確な位がありましたが、末期になると皇帝自体が繁殖能力を失い、後宮の女性は少なくなるばかり。

宦官になる為にはいわゆる男性性器を切り取る作業が必要ですが、これは専門家がいて、ちゃんと処理しないと死んでしまうんです。切った後3日間は絶食、水も飲めない。この間を生き抜けば何とか・・・って感じです。

西太后・・一樹千尋の役。回りを固めているのが宦官です。春児はこの宦官の中でも長となっていくのです。

光緒帝・・・縣千の役です。彼は頭がよかったし、国を思っていたけど、いかんせん国民がついてこなかった。

隆裕皇后・・・光緒帝の正室。うまれつき猫背で美人ではなかった。でも西太后の姪です。この人は溥儀の時代まで生きます。

珍妃・・光緒帝が最も愛した女性。ちょっと小太りで美人には見えないけど・・・この人は義和団の乱の時、西太后によって井戸に落とされます。

譚 嗣同(たん しどう)・・・諏訪さきがやっていた眼鏡のお兄ちゃん。

 悪役・栄禄・・悠真倫の役。この人の娘が溥儀の母です。

 康有為・・・奏乃はるとの役。

李鴻章・・・北洋軍の将軍。凪七瑠海の役です。

 

 

 

 

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