もう色々な方がブログで書いていると思うので、改めて書く事もないのではとは思うのですが。
4月13日、上皇夫妻と秋篠宮両殿下・佳子様は霞会館で開かれた「島津家ゆかりの会合」に出席。
今までも出席されてきたとは言われていますが、報道は初めてではないでしょうか。なにゆえに、報道されたのかと思います。
島津家・・・というのは、香淳皇后の母君、俔子妃殿下の御実家になります。
当時は公爵家。
非常に大礼服が似合う方。でも小柄なのかな。
頭上に輝く三日月のティアラはどういうものなんだろうなと思った事があります。
一見して裕福そうに見えますけど、久邇宮家は賊軍の家柄に当たりますので、結構「お手元不如意」と言われていました。
上皇陛下は香淳皇后の息子ですので、外祖母に当たるのが俔子妃という事になりますね。
戦後は皇籍を離脱。昭和31年に亡くなられました。
後に、清宮様が島津家に嫁ぎ、絆はより強いものになったと思います。
このいお二人は「はとこ」の関係なんですよね。
つまり、皇室の中には脈々と島津家の血が流れているという事になります。
ところが、この会に招待されなかった人達が。
そう、天皇家の3人です。
前日に能登へ行ったとはいえ、そんなに「疲れて死ぬわ」って程でもなかったのに、お断りしたのか最初から招かれなかったのか。
霞会館の方々からしたら「来なくてほっ」でしょう。
ようやく、雅な一日を過ごせるわ~~という感じで。
佳子様のお見合いが含まれていたらいいなと思うのは私だけかしら?
しかし・・・今回、これが報道された背景を深読みすると、何となく見えて来るものがありませんか?
そう。11日に小和田家が皇居に招かれて愛子内親王のお祝いをしたというニュースです。
徳仁天皇にも島津の血は流れている筈。それは愛子内親王にもです。
しかし、今回、その血筋からは完全に排除され「今上一家は小和田家の血筋」と決まったように見えてしまいました。
元鹿児島藩主で公爵家の島津家と、久邇宮家。元華族と皇族の中に天皇一家は入らないと言う事です。
これは誰が考えたんでしょうね。
実は美智子様は、平民の正田家の血筋で、やんごとない家とはかかわりがない、新興ブルジョア出身です。
だから、当然、入内の時には大反対されたし(今なら私も反対する)
お蔭で美智子さまの「旧皇族・旧華族嫌い」はすさまじいもので、完全にその人達からはそっぽ向かれて、ゆえに黒田清子さんの嫁ぎ先も決まらなかったという経緯があります。
それ以上に「血筋を誇る家が大嫌い」なの雅子皇后で、3代前が不肖であり、小和田はまだしも、江頭家の血筋というのは世界的に認められていない。
小和田家が皇居に招かれた直後に「島津家とのゆかりの会合」に参加された上皇夫妻には何等かの意図があり、それゆえに一層天皇家は孤立するでしょう。
正直、退位後、こんなに大事にされないというのは美智子さまの中にはなかったと思うんです。
二重権威と言われても、「私達は天皇より上」という意識は高かったと思うし。
だから最初は一般参賀にも出たし、天皇夫妻もしょっちゅう仙洞御所に挨拶に行っていた。
しかし、今年からはそういう事もなく。むしろ、雑誌にバッシングされた事で余計に外に出にくくなった。まさに「美智子さま封じ」に成功した小和田家なんですよ。
こうなると伝家の宝刀っていう感じですかね。
しかし、上皇后陛下。せっかくの会合なのに平服というのはどういう事でしょう。「和服の方が楽」だったんじゃないですか?
せめて洋装でも明るい色を着るとか。
まるで着たきり雀になっています。
そういうマナー力も衰えてしまったんだろうかと思うとね。
でも会合に参加した人達からみれば「美智子様は私達を軽く見てるわけ?」って思うでしょうね。
「盛装なんかしない。平服で十分よ」と思われているんじゃないかと内心ではカチンときたひと多数だと思います。
色々なお遊びに出たり出なかったり、全然整合性がとれなくなってきた上皇夫妻ですけど、仙洞御所は広すぎるのではありませんか?