Xを見ていると、30年前の真実の出来事を捻じ曲げてサマーズが一生懸命「皇后陛下万歳」をしています。
いくらそうではない、と、言葉を尽くしても彼らには関係ないのでしょう。
でもやっぱり多くの人が忘れている真実を過去記事から拾います。
1995年1月17日未明、阪神淡路大震災が起きました。
でも当時、時の皇太子夫妻は中東訪問を取りやめず、予定通り訪問しました。
帰国しても被災地に行こうとしなかった皇太子夫妻に批判と「妊娠では」という憶測が飛び交いました。
そのうち、ダイアナ元妃が単独訪問。
すぐに被災地に入りたいと申し出たのですが、美智子皇后は「皇太子夫妻がまだ被災地入りしていないので」とお断りしたのです。
「甘やかし」はすでに始まっていたのです。
1995年2月8日 ダイアナ妃来日
しかも、完全な衣装被り。色も形もそっくりなんて、ダイアナ元妃も相当びっくりしたでしょう。
本気で被災地を心配してくれたダイアナ元妃、でも雅子妃は有名人のダイアナに会えてうれしい気持ちしかなかったんでしょうね。
女性自身 1995年3月20日号
「阪神淡路大震災被災地か日本赤十字を訪問したいと打診したダイアナ妃側に対して、日赤の近衛社長からは丁重にお断り。松崎敏哉氏の説明では、日本の皇室からまだ誰も行っていないからなのが理由ではないか。そのことを知った美智子さまが近衛社長に電話。自分のことは心配せず、ダイアナ妃を迎えてあげて下さいと。結果、ダイアナ妃の日赤訪問が実現。その様子が世界中に配信された。
女性自身 1995年2月28日号
「なぜ?雅子様が関西大震災被災地へ行けない理由」
要するに「中東から帰国した時の雅子妃がふっくらしていて顔も白くなっていたから懐妊ではないか」ということ。
結局それは嘘で、単に「関心のない事は毅然と断る」ご性格のせい。
1995年2月26日 皇太子夫妻被災地訪問
後ろには締め出しをくらった国民が。
でも服装は今よりずっとましですけど、何だかめちゃ笑顔が多くてね。
両陛下がおいでの時は国民が締め出しを食らう事はなかったです。
1995年5月20日千鳥ヶ淵戦没者慰霊
1995年5月24日
ヨルダンのサルワット王妃と共に乳児院を訪問
1995年5月24日 日本赤十字大会
1995年7月4日 マンデラ大統領歓迎晩さん会
頻繁に衣装被りがあるけれど、これはひどいなという1枚。
女性セブン 1995年8月24・31日号
「酷い!雅子さまに不妊治療バッシング」
別に誰も期待したりバッシングしたりはしていなかったのに雑誌って本当に嘘を書きますよね。そもそもこの場合の「不妊治療バッシング」ってなあに?不妊治療しちゃいけないってことなの?それともしなくちゃいけないってことなの?皇太子妃だから無料で不妊治療はずるいってことなの?
女性自身 1995年8月22・29日号
「雅子様長男の嫁「耐えた重圧」
1995年8月31日 秩父宮勢津子妃葬儀
1995年10月19日第40回CWA版画展セレモニーで英語スピーチ
これが最初で最後のスピーチ?
緊張しすぎて「一人にして下さい」なんていう妃殿下は今までいませんでした。
これっきりこれっきりの30年。
アクセサリー残ってるなら愛子内親王に上げればいいのに全然見ませんね。
もしかして・・・・
1995年10月25日 秋の園遊会
1995年11月19日 奥多摩雲取山登山
週刊新潮 1995年12月21日号
「雅子妃の誕生日に行われたオフレコ会見の中身」
誕生日記者会見を見送り、模範的回答文書を出した雅子妃
実は誕生日前日に皇太子夫妻と宮内庁記者クラブが懇談会を開いていた
懐妊の話にならないように?宮内庁が画策した?