2003年6月10日 湯浅長官が「(東宮家に)やはり第二子が欲しい」「国民も同じように考えているのではないか」と発言
宮内庁には明らかに「焦り」がありました。
いつまで経っても東宮妃が第二子懐妊に向けての行動を起こさない事に。
両陛下は微妙な話になるので黙っているし、そうはいっても、天皇陛下におかれては夜、眠れない程に心配されている事だし。
皇統が途切れるような事があったら大変です。
もっと国民的な議論が広がれば東宮家もその気になるのではないかと。
それがかえって「女帝論」を引き起こすとまでは考えていなかったのです。
雅子様はこの湯浅長官の発言に非常に不愉快になりました。
雅子様はもう二度と出産など経験したいとは思っていないし、皇統がどうなろうと自分には関係がないと思っていたからです。
皇太子様も、今、内親王を可愛がることの方が大事で今後の事までは考えるゆとりがありませんでした。
下手に雅子様に「2番目」の話などしたら、とんだとぱっちりを受けてしまう。
皇太子様の気持ちでは皇統がどうなっても構わないとまでは思わないのですが、そもそものご性格が「あとはよろしく」だったので、何でも他人任せで自分は中心にいない生活を好まれたのです。
2003年6月19日 フローレンス・ナイチンゲール紀章
2003年6月23日 インドのメガワティ首相出迎え
雅子様は目の前の愛子様だけが心配でした。
「よその子と違う?何が?何が違っているの?」
必死に公園デビューを繰り返しても、少しもわかりません。
いや、本当はおわかりだったのです。
確かに愛子様は同じぐらいの年頃に比べると幼い印象がぬぐえず、言葉も出てきません。
興味を示しても積極的に動くわけではなく、表情はいつもないのと同じ。
時々自分を「母」として認めてくれているのか?と心配になります。
2003年7月3日 公園デビュー3回目
国民にはわからない事ですが、この当時の雅子様は必死でした。
他人と触れ合う事で少しでも内親王が表情豊かに、笑ったり可愛がったりしてくれたらどんなにいいか。
昼間遊べば夜はぐっすり寝るのかというと、そうでもなく目をぱっちり開けてただベッドの上でぼやっとしていることもありあますし、未だに離乳が出来ない事にもいらだっていました。
また内親王はかなり内向的に見え、人が沢山いる所は好きではない様子だし、公園でも喜んでいるのは雅子さまと皇太子さまばかり。
皇太子様などは生まれて初めて得た自由とばかりに缶ビールを飲みながら子供の相手をなさったこともあり、さすがにこれは職員から注意されてしまいました。
2003年7月14日 神宮外苑児童遊園
度重なる公園デビューに皇宮警察は疲弊し、あからさまに上司や長官に向けて苦情を申し立てる者もいました。
皇宮警察は東宮家のお遊びの警備をする為にいるわけではないと。
確かにその通りなのですが、これで少しでも第二子への関心が高まればとみな、期待していたのです。
2003年8月4日 那須静養
夏の静養は那須の御用邸と決めていました。
内親王は本当はスタスタ歩いてもいい頃なのですが、あまりにも転ぶので雅子様がだっこして新幹線に乗り込みました。
段々重くなってきているし、なかなか抱っこし続けるのも大変なのですが、職員に任せる事には不安があったからです。
那須では牧場へ行ったり、楽しくレストランで食事をしたりと計画をたてていたのですが、静養始めから数日後に内親王は熱を出してしまい、せっかくのレジャーが台無しになってしまいました。
2003年8月11日 愛子内親王が風邪で胃腸炎を起こしているので牧場散策を中止と発表
雅子様はあからさまに「嫌な子!」と言ってしまいました。
せっかくこちらが一生懸命にあれも経験、これも経験と思って行動しているのに、いざとなると熱を出したりする。
看病の為に御用邸を出る事が出来ず、熱を出した子の側にいるつまらなさといったらありません。
熱はすぐに下がったのですが、それでも予定外の行動は慎むべきと言われ、仕方なく東京に帰るしかありませんでした。
2003年6月14日 帰京
帰京し、改めて東宮職の医師に内親王を見て貰いました。
遅めの1歳半健診も兼ねていたのですが、そこで一番聞きたくない言葉を聞く羽目になり、雅子様は気が動転してしまいました。
「内親王殿下はなんらかの発達障害があると思われます。また極端なうち反足の為、夜間、装具を装着してみるのはいかがでしょうか」
「は・・発達障害って。この子は障碍者なの?」
「・・・まだはっきりとはわかりません。しかし、言葉の遅さ、運動機能の発達の遅さ、表情のなさ・・あらゆる点から考えると何らかの発達障害があり、専門の療育が必要かと思われます」
「療育ですって?」
「はい。言語療法士や理学療法士、そして一度CTなども撮って・・・」
「そんなはずないでしょ!」
雅子様は叫びました。
「ま・・・まさこ」と皇太子様はヒステリックにわめき始めて雅子様を止めようがなく、おろおろし始めます。
「何で私の子が障害者なの?発達障害ってなに?内反足?養育係を呼んで真偽を確かめるわ!女官長!女官長!」
女官長が飛んできます。それを医師は制しました。
「これは育て方の問題ではありません。元々の障害なのです。足の方は装具や矯正靴で何とかなりますし、小学校まで同じ状態であれば手術致しましょう。しかし」
「頭がおかしいの?馬鹿なの?知恵遅れなの?どういう事よ!!」
「妃殿下・・・」あからさまな物言いに医師は少し怒り口調になっています。
「発達障害は生まれつき脳に何等かの異常があり、最近はどういうわけか増えてきています。原因はわかっていません。内親王の場合は知的な遅れを伴う自閉症の疑いが濃厚なのです」
「自閉症ですって?それって育て方の問題だと言いたいの?私達の育て方の!」
「違います。思えばこのようなお子様をお育てになるのは大変でしたでしょう。誰が悪いわけでもないのです。こういうお子様は特殊能力を持っている場合もありますから、マイナス点ばかりではないのです。しかし、自閉的傾向というのは生きづらい面もあり、そこをご両親である両殿下がよい療育者にお任せになれば・・・」
「誰のせいなの。一体誰のせいなの。これって血筋?だとしたら天皇家よね」
と雅子様は皇太子様をにらみました。
にらまれた殿下はもう蛇に捕まったかのように言葉を失くし、医師を見ます。
「あ・・もう治らないの?どの程度なのか」
「程度はこれから決まるかと。ちなみに皇室の血筋とは関係ございませんので」
それを言われて殿下はほっと胸をなでおろします。
「そんな筈ない。お父様が言ってたわ。皇室は昔から血が濃いから気が狂った子が生まれるって。愛子はその犠牲者なんでしょ!」
「関係ありません。ご両親がそのような考えでは内親王がお可哀想ではありませんか」
「可哀想なのは私よ!結婚さえしなかったら、こんな目に合わなかった!」
雅子様はわあっと泣きだすと手当たり次第、ものを投げ始めました。
女官長はびっくりして内親王を抱き上げると部屋を出て行き、医師も皇太子様も怪我をしないようにと逃げるしかありません。
「許さないわ!許さない!責任とりなさい!誰がこんな子を産ませたの?誰よ!あんたの親でしょうが!」
とうとう雅子様は言ってはいけない一言を発してしまいました。
医師は侍従たちに妃殿下を抑えつけるように言い、それからすぐに安定剤を注射しました。
妃殿下の暴れる様と言ったらさながら野生のライオンのようで、みなこんな経験をするのは初めてですから驚きと怯えに似た表情を隠せません。
医師だけがすぐに冷静さを取り戻して雅子様をベッドに移すように言いました。
まだ震えている皇太子様に
「殿下、妃殿下は精神科を受診される事を提案します」と言いました。
「・・・え?」
もう何が何だかわかりません。
今の皇太子様にこれを冷静に処理は出来ません。
どうしたらいいのか。
両陛下に相談するしかないのか?
皇太子様の苦悩は始まったばかりでした。
2003年8月23日 那須静養
2003年8月25日 牧場散策
前回、牧場散策が出来なかったので2度目の那須の静養では、早速一家で牧場を訪れました。
どんな子供であろうとも、皇太子様にとっては愛しい我が子であり、今更どうしようもない事で悩んでも仕方ありません。
これからはしっかりした療育者を見つけて、何とか一人前になるまで生きていればいい・・・そんな風に考える夫に対して妻は真逆の事を考えていました。
(もう誰も信用できない)
一人で何とかすべきなのだ。
こんな事を周囲に知られて馬鹿にされるのはたまらない。
どこまでもこれは秘密にしなくては。
雅子様の決意は固いのでした。
2003年9月3日 皇太子皇室会議の予備議員を外される
とにかく、ご結婚以来、生活の全てが「雅子様」になっている皇太子様。
公務の数も減り、内親王が生まれたらかかりきりの静養の数々。
皇太子様が務めてきた皇室会議の予備議員選挙ではとうとう落ちてしまい、代わりに高齢の常陸宮様になりました。
2003年9月3日 ルクセンブルクのアンリ大公の内輪の晩さん会
2003年9月4日 小和田邸に里帰り
小和田邸に帰った時、さすがに隠しきれずに真実を話すとお父様はお怒りになりました。
「堤の奴!」
今度は産婦人科医のせいです。
「あいつは二度と世間に出てこられないようにする」
そして雅子様にもおっしゃいました。
「気を落とすな。愛子を女帝にすればいい。今の内閣は皇室の事など知らんあほだ。男女平等の理念にして女帝を誕生させればいいんだから」
「私、そういう事はどうでもいいんだけど」
「よくない。お前、皇后になっても親王を産んでいなければどうなるかわかるか?地位の安泰はないんだぞ。それに愛子だって将来天皇になれば、何不自由なく暮らせる」
女帝・・・内親王を女性天皇にする。
お父様のおっしゃる通りなのかもしれないと雅子様は思いました。
アストリッドは自閉症スペクトラムですが、空間の識別能力が以上に高く、絵や画像、video等を見ると異変が直ぐ様解る能力が有ります。
それで彼女の特徴は指先です。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e4/7ddf067504989f95b0532f6b06bcc839.jpg
↑この画像を見てアストリッドとそっくりだわと思いました。がその子供時代と現在を見比べるとかなり進歩したことが伺えます。頑張ったんですね雅子さま。勿論愛子さま御本人も、
同じ年頃のお母様やお父様は若ければ20代前半の方もおられたでしょう。
もちろん同世代の方もおられたとは思いますが、世代的に話が合わない人の方が多かったことでしょう。遊ばせ方、接し方、注意の仕方、かなり違ってくると思います。
それも含めて公園デビューだったのかも知れませんが、いろんなギャップに結局は母親が疲れてしまうと思います。そして愛子さまがなんか違うと気付いてしまった。
そして医師の診断の時、男の子に【ライクユー】と嬉しげに言ってしまったことを思い出していれば良いですけどね…この女の人は微塵も思い出さなかったでしょうが。
母親として本当に強ければ愛子さまの現状を受け入れ国民に知らせ、療育の道を選ばれるべきでしたね。
【自分は悪くない】ここに極まれり。
半島人(被差別民も元々は半島人)は日本人の事をダウン症に似ている、と虐めるのです。(余り知られていませんでしょうが、そうなのです)
障害があるというだけで憎しみの対象になるのです。わたしは多摩地区のマンションに住んでから、半島人たちには挨拶をしても、し返された事が無い。
反対に半島男性からのセクハラは異常に多い。特にカルト信者たちからの扱いは酷く、電車内でもカルト信者たちには嫌がらせを受けます。
可愛い女性が電車内で「あんたたちカルトの方が気持ち悪い!」と怒鳴った光景も見かけます。(人身事故の多い中央線なんぞはそんなもんです)
雅子さんが海外へ愛子さんと行かれた時に何か遭ったのではないでしょうか?その後欧州王室の天皇一家に対する扱いは、見ているとまるで無いものの様な扱いです。
雅子さんに愛子さんを可愛がる事は、半島人として無理だったのでは?と容易に想像出来ます。わたしは優しい在日半島人(被差別民含む)を見た事が有りません。
5さんのコメントは、なかなか鋭いと思います。
雅子さまは障がい者に対していまどきあり得ないほどの差別的な発言をします。差別をしているという感覚すらないのではないかと思えます。
その原因は、超々々権威主義のあの父、水俣病の被害者たちを物乞い扱いした母方祖父の江頭豊にあると思います。これほどの血筋と環境で、障がい者に温かくするなんて無理。
愛娘が発達障害だなんて発狂ものでしょう。
そして、お決まりの「原因は近親婚を繰り返してきた皇室にある」発言。
それにもかかわらず、愛子さまを天皇に、などと画策するご実家の野望は常軌を逸しています。
野望家とはそういうものですね。
衣装は上位の方から決まると聞きましたし。
被らせた側はしてやったりなので、どちらかハッキリ分かりますね。
こちらの画像では、対照的に、雅子妃が大公を触れなば落ちん的な視線で見上げているんですね。ま、雅子妃は、インドネシアでも同じ視線でした。周辺の男性が呆れた風情でガン見してましたけど。ナルさんは、もう慣れてて、気にしないのかな。雅子妃の「触れなば堕ちん」画像集を、希望します。