1973年1月1日 天皇一家
1973年 3月9日 皇后陛下の古希を祝う会でテーブルに潜り込む礼宮
1973年3月 房総訪問
1973年5月8日 キャンベラのレークサイドホテルでのパーティ
1973年5月 オーストラリア・ブリスベンのレノンプラザホテルにて州政府主催の午餐会に出席
1973年5月 メルボルンの晩さん会
メルボルンで「ミチコ」と名付けられたコアラを抱いて
1973年5月 ビクトリア州総督主催の晩さん会
1973年5月 オーストラリア日本人墓地訪問
1973年5月 ニュージーランド訪問から帰国の両殿下を迎える礼宮と紀宮
1973年5月 オーストリアの高官を接待。全員和服姿
1973年6月 都内の福祉施設訪問
1973年6月 都内の幼稚園訪問
週刊明星 1973年7月22日号
「ミッキーマウスがお気に入り 美智子さま礼宮さまと慈善試写会にお出かけの紀宮」
1973年8月1日 伊勢神宮参拝
三重県で行われた全国総合体育大会開会式
1973年8月24日 軽井沢静養
1973年10月20日 39歳の誕生日
週刊明星 1973年10月28日号
「ちょっぴり寂しいなあ スペイン旅行出発の美智子妃をお見送りのご兄妹」
1973年11月30日 礼宮8歳の誕生日
1973年12月18日 吹上御苑花蔭亭でピアノを披露する礼宮
1973年12月 皇太子誕生日
真実のほどはともかくとして、この昭和の数々の写真は、国民にとって心和ませるものでした。ナルちゃんは未来の皇太子らしくあり、アーヤは健康的で天真爛漫。サーヤはみんなのアイドルでした。美智子様もまだ奇妙奇天烈ファッションに移行していない時代。
今回初見写真としては、皇太子夫妻と正田夫妻のフォーショット。場所はどこでしょう?正田家の別荘でしょうか。(解説文が小さくて読めません・・)
8歳のお誕生日のアーヤは、眞子様とパーツがうり二つで遺伝力を感じます。
そして皆で集ってのアーヤとサーヤのピアノ。これも初めてで。アーヤもサーヤもたとえ初歩の曲だとしても、ピアノを習っておられたのですね。
庶民のあこがれの対象である素敵な写真です。
昭和天皇ご一家の写真で、控えめな佇まいの常陸宮夫妻がとても素敵です。
たいてい、カメラから最も離れた位置かその手前、最後列の両サイドなどです。
美智子さまは、華麗なエレガンスを体現したかのようですが、今見るとまるで女優ですね。
今日の写真全部素敵です。見てるだけで笑顔になりました。
天皇の浩宮時代のキリリとしたお顔、ヤンチャで可愛いアーヤに愛らしいサーヤ。昭和天皇ご夫妻の優しい笑顔。上品で穏やかな華子様等々。
恵まれた特権階級の暮らしを見ても何も疑問を感じない時代でした。
ここに小室母子が入るなんて、あり得ない…。
それ以前に雅子さん…。
この頃みたいな皇室に戻る日は来るのでしょうか?
また楽しみに待っています。
昭和天皇が要になっていたんですね。
今の天皇の家族写真は、恒例のコルク防音室で、天皇が定年間際のオジサンのようなカジュアルな服装で、夫婦や親子で冊子を読んでる、決まり切ったポーズは、少しばかりウンザリしています。
天皇も浩宮の時は、佇まいが、きちんとしています。秋篠宮さまの幼少期は、自然体で可愛くてたまりません。
いくら心に思っていても「みて子」という呼び方は、ふぶきさんのコメント欄では、相応しくないように感じます。
この頃からなんでしょうか、美智子さまの眉毛がほとんどそり落とされて描かれているように見えるんですが。。メイク担当の方が変わったんでしょうか。当時このような流行だったのかは覚えていませんが。。もちろん、この眉毛でもとてもお美しかったとは思います。
私は、このハープの写真だけは、キッチュと言うか、はっきり言うとダサイと思うんです。西洋への憧れ的な感じがします。本当に習われていたのなら、申し訳ないんですが。。。
私の友人が桑島先生のお弟子さんだったのでそのように聞きました。
高価なんでしょうけど、私もこの金色のハープは趣味が悪いと思いました。
一時、写真の雅子さんの手が変ということが話題になりましたけど、美智子さんの手も同じだと気が気づいたしだいです。
その画像では、額にハエが止まっているように見えます。